か ら け ん


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そしてまた走ります。

地方創生と裁判所

2016年06月28日 | 法律

 

 

まづ、簡易裁判所について

簡易裁判所は、当初日本には450箇所以上あった。ここは貧乏な者、あまり裁判について知らない者に対して、やさしいところだといえる。いくらでも例はある。どうしても相手の仕打ちに納得がいかないとか金(130万以下)を返さないとかに対し、いちいち弁護士に頼んでいては費用もさることながら、手続きがよけいにわからなくなってしまうし時間もかかる。

このとき、裁判所の窓口(簡易裁判所)に出向いて口頭で訴えることができる。字がかけない人向けである。昔は字ががかけない文盲はそこらじゅうにいた。しかもよく話せばその場で支払命令書を出してもらえる。

これはたった一つの例示に過ぎない。国民にとって地方自治とは民主主義の練習をする場なのである。(Jブライス) 近所に裁判所があることは裁いてくれる国の機関があるということで、起こってしまったトラブルをなるべく拡大せずに収める効果も持つ。

そこで裁判所が統廃合されたらどうなるだろう。ある島で地裁の支部が廃止されたため実際に起こっていることだが、原告と被告が同じ船や飛行機に乗りとおくの裁判所に着いても狭い待合室で顔を合わせっぱなしということが起こる。

そもそも裁判を受けるということは国民固有の権利である。

今、地裁の支部は統廃合されたり常駐の判事がいない状態が続いている。また地裁では裁判員制度によりしろうとに手取り足取りする間に、起こる事件は減らず、裁判官一人150前後の事件をかかえている。裁判所を集約すれば当然そうなる。

いっぽう過疎地などでは住民にとって司法がとおのいている。他人事と思うのは低能だ。訴えることはなくても訴えられることはあるかもしれない。

冤罪で刑事事件の被告人になったとき、少しでも司法の学習をしていることは重要で権利なのだ。せっかく憲法が、皆さん身近に裁判所があるんですよといっているのに、安倍は裁判所の数を減らし、司法の力を弱め、全国を安倍色に染めようと地固めをしている。

地方創生と逆行する裁判所削減をするのを止めろ。

(最高裁判所)

 

 

 

 

 

 

 


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