けだし名言だ。成績のいい子供ほど勉強しろと言われたことが少ない。低脳が生んだ低脳な子ほど勉強しろと言われて育ってきている。そしてしなかったいいわけが上手だ。弁解する能力はだれもバカには勝てない。
違うという人はわが子を見よ。そういうバカ親もいいわけ上手で、うちの子は頭が悪くて…という。さもありなん。この親にしてこの子だ。
たとえば東大は難しいか。5000人も通る大学が難関校か。早稲田は57000人も在学している。18歳年齢人口は今や130万人程度だ。やがて100万人になる。この数に慶応や上智を足しただけでも相当の低学力が進学してくることになる。
つまりバカでも進学している時代に「バカですからいい大学にいけませんでした」ということは、バカが得意のいいわけにもならない。気違いなら大学側も断るかもしれない。それはよく分からない。ウチには少ししかいない。
つまり、今や進学をするということは何の意味もない。日本経済大学は出席する学生のうち留学生がほとんどだ。太宰府市の人口が一挙に2700人増えた。たった6万の市が。ほとんど中国人だ。習慣が違うので違和感があるがきわめて真面目だ。よく努力する。必死に質問して食い下がる。10年前の日本人だ。
それにひきかえ日本人の体たらくは何だ。親から言われただろう、「勉強しろ」。ところがその親は缶ビール片手に野球中継を見ながら言った。
その子供はいいわけ上手の子になる。勉強をしない子になる。缶ビール片手に野球を見ながら子供に勉強しろという子になる。
そうあってほしいという希望だけで中国人をバカにしてはいけない。チャンコロはバカであってほしかろう。僕は彼らと話すのは楽しい。向学心があるからだ。その向学心が勉強にふさわしい環境をつくっていく。僕はもう日本人の学生の部屋にはいかない。選択の余地のない悲しいバカの未来が見える。
僕は勉強しろと言われたことはないが、一番にならないと家じゅうのみんなが僕を相手にしなかった。ところが、この一番になるということはさほど困難なことではない。クラスで一番、学年で一番、バイオリン仲間で一番、バイクで一番、ケンカで一番。
問題は一番であり続けること。これにはどうしても親の背中を見てきたことが必要だった。想像を絶する努力。もちろん僕はなかなかできなかった。目標を一つ減らし二つ減らししていくしかない。上には上がいるのだ。だからこそ勝たねばならないことを体得した。