平成は令和になるという。とくに今回の改元では、mede in japan であることが強調される。
万葉集学者の中西進が今回の年号選定にあたったとされる。彼はその実力や業績などから選定に加わるべき人間であることに異論のある人はいない。
彼の万葉集解説はわかりやすく気取らずしかも本質を大局からおさえるもので、僕なんかはただただ彼の造詣の深さや正確さにひれ伏すばかりである。
3流、4流大学になるとインチキ野郎が多く、わかりもしないくせ難しいことをさらに難しく解説し妙にいきがるのが多い。これはあらゆる学問について言えることだ。東大の王道を行く研究姿勢は学問の垣根を超えて共通した資質だ。
相手をねじ伏せるために、あるいは自分の低能がばれないように意気込んで論証する偽学者は、たいてい3流で本人の理解がでたらめの異端である。
中西の名は以前からささやかれていたが、安部はよくぞ選んだと思う。中西先生は安倍内閣にかならずしもべったりのポチではない。
そんな中西先生の発言が朝日に載っていた。今までの彼の論がそうであったような鋭い論の展開はみじんもなく、ひたすら令和の素晴らしさを強調していた。(令は善なり、素晴らしい字 「令和」考案者? 中西市民講座 4/13土曜 朝日新聞 朝刊 )
牽強付会
「文選」」(もんぜん)「帰田賦」(きでんのふ)を見れば誰でも万葉集、梅歌の序文に影響を与えていると思うはずだ。早い話がパクリだ。(ダサソーという名の百均を開店しダイソーの真似ではないといいはる韓国人じゃあるまいし)
冷静に考えるところだ。文字自体がmade in china だろ。漢字というのは漢の字。音も漢音呉音あってもとにかく中国の発音。万葉集は万葉仮名で書かれているが肝心の単語は漢字で書かれている。
つまり漢字をくずして表音化したものだけではなく、意味を持つ表意文字もまぜて書かれている。小学校で習うことだ。
牽強付会
今までの年号は、ほとんどその2文字間に因果関係があるとか少なくとも「and」でくくられるほどの意味上近距離にあるものであった。
ご覧になられた方も多いし長くなるので引用しないで結論だけ。「令」と「和」には関連がない。ただ近くにあった単語をpick upしただけである。
元号自体がmade in chinaだ。いまや中国様の発明品を後生大事に用いているのは日本だけになった。とうの中国はとっくにやめたというのに律儀だ。
牽強付会
普通に感じろよ。「令」といわれてご令嬢の令とか巧言令色の令を思い浮かべる人はいない。命令の令だ。
律令(りつりょう)政治」、令外官(りょうげのかん)もしかり。この時代、「令」は「りょう」であって「れい」と読むことはない。"r"eiwa であるか"l"eiwaであるかも問題だ。いずれにしろ日本人が不得意とする発音の単語が語頭にある。問題の多い字だ。
ぼくは令和を見たとき、不愉快だった。命令に和して同ぜよとはなにごとか。いずれ慣れるにしろ慣れたらいい話ではない。令は命令と考えるのがまともな文字感覚だ。これには国語力を要しない。小学校4年生に令の意味を聞いてみるがいい。
中西進先生は、「令」に負けた。