子供のころ、5センチぐらいのおもちゃの船を作ってもらい、風呂でよく遊んだ。誰が作ってくれたのか、もう忘れた。
船尾に樟脳を付けると樟脳が溶け出す勢いで船は進んだ。表面張力のなせる技とはつゆ知らず。推力がなぜ生じるか、樟脳がなくなるまで考えに考えた。
親たちは僕の研究には関心がなく、ほったらかしにした。それがかえって良かった。僕は十分考えることができた。
その頃、福岡県の筑後地方には1500件の樟脳工場があり、着物の虫除け剤を作っていた。虫か来る、とか、虫がつくという言葉は死語になった。下品な染色、肌触りが好まれ、石油や石炭で作った貧乏な化繊が好まれ樟脳工場は今1件だけになった。
先日散歩すると楠の街路樹が消えていた。切り口の新しい楠の切り株は芳香を放ち断末魔にあえいでいた。樟脳は楠からつくる。
交通の支障になるとか、障害者のためにバス停を広げるとか、取って付けた理由で街路樹をなくす。土建屋の仕事づくりのために障害者を利用するな。
欧州の道はなぜ気持ちのいい道が多いか。日光や風を遮る木々は車なんかより大事にされなければならない。
素敵な街並みを作ろうと国家百年の計に基づき都市計画をしても、徒労か。無能で下品でカネ儲けのためには何でもする人は中国に移住したらどうか。
韓国、大学路は僕が住んだ街だ。100年前、日本人がアカシアの木を植えた。それまで韓国には街路樹がなく、人々は道路に木を植える日本人をいぶかしがった。それが今では巨木に育ち、夏、急激に気温が上がるソウルで数少ない涼しい空間を提供していた。
アカシアは消えた。日本人が植えたという理由で。
地方のお粗末市長は、とことん土建屋に奉仕する。
太宰府市役所を訪ねる機会があったら、バス停を見てほしい。バス停には天を覆う楠の一群があったのに。