か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ペットは家族ですから。

2014年09月24日 | 日常

僕は銃を止めたのを悔いた。オートマチックは銃身が一本なので軽い。僕はこのほうがよい。上下二連は重たく2発しか出ない。

日本では、わざと改造して装弾数を減らすことが義務付けられている。アメリカのオートマチックは5発だ。もちろん「ダイハード」や「マトリックス」のように無限に弾の出る銃はない。オートマチックであれなんであれ、どんなに撃ちまくる時も残弾数が最大の関心事であり、それを間違えたら死ぬ。

その時は残弾どころが銃がなかった。38式歩兵銃でもいいから、ほしかった。次のことが起こったからだ。

山に山草を採りに行くと野犬がいた。30匹の群れ。明らかにもとペットだ。銃がないと中型犬も怖い。ドーベルマンは野生に戻り、ただ殺しまくる海兵隊員になっている。

何匹か殺せば去るだろうと思って、石を投げた。当たらない。今度は木を振り回した。かつ、奴らよりも大きな声で吼えた。こんな人間は初めてだったんだろう。

犬どもは、気違いにかかわるのはよそうという理性的な目をして去った。腹が立つ。今度会ったら食ってやる。

彼らはもとペットだ。一部、廃業犬屋が捨てるとこもある。だが、

きっと、ご近所からの苦情に耐え切れず、犬はどんどん大きくなるし、困ったあげく山に捨てたんだな。うちに捨てるな。僕にも妨害排除権がある。平和的生存権があるのだ。

子供なら確実に食いちぎられる。弁償するか、否、そんなはずはない。ペットを山に捨てる奴に常識はない。逃げるだろう。嘘だというなら、お前の子を連れて来い。僕は助けない。

警察に言っても仕方ない。民事不介入です。物証がありません。捕獲は管轄が違います。保健所にどうぞ。・・・グダグダ言って要するに動かない。

無駄吠えさせる非常識な近所に、苦情を言える押しの強い人はいい。一般の方はノイローゼになりながら、たかが犬のために人生をつぶし心を病む。このとき、即座に、安く、確実に解決してくれる天使がいる。

犬の騒音は市役所じゃだめだ。うるさいそうですがどうですか、と何回かバカ飼い主に電話して終わりだ。イギリスでは「ワン」と一回鳴いてもその家族は引越しを強制される。吠えないという約束だから。大人の国は契約に厳しい。ほとんどの町でこの契約がある。

移民の町を除きアングロサクソンたるイギリス人の町で動物の声がしたか。ペットとはどんなに鳴いても聞こえないほど広い邸宅に住む、教養と常識とマナーを知る人のためのものだ。

お互い様だという考えがあるが、それは飼いたい者同士の関係であり、嫌という者が一人でもいたら、平穏な生活を望む嫌がる人の言い分のほうが選択されるべきだ。

本来ペットとは貧乏人が、犬小屋みたいな自宅の中にさらに犬小屋を造って自己満足の動物虐待をして飼うものではない。

でたらめ日本では解決策は限られる。変態的に溺愛する飼い主にはペットの鳴き声は心地よい。だがいやだという人が、その不愉快をこらえる必要はない。すべてが当てにならない日本では、その解決を天使に頼る。

天使は夜中に消音空気銃(おもちゃの戦争ごっこガス銃ではない、人も殺せる、不法所持だから検査もない)で殺し皮をはぎ玄関にぶら下げる。室内犬は、だれもいないときにこれをやるからもっと簡単だ。

飼い主よ、天使に依頼した人に仕返ししたら、今度はお前が皮をはがれ玄関にぶら下がることになるぞ。このことを分からせるために、犬はバカ飼い主の犠牲になった。

行政が機能しないとき日本は、南スーダンかソマリアかナイジェリアになる。英国は遠い。

早く、安く、確実に処理するやくざという天使の出番だ。

①  僕の山に犬を捨てるな

②  だらだら犬を鳴かせるな

これが守れないなら今流行の怖い自己責任がまっている。






 

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