か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 86

2021年12月20日 | 韓国
<前回のつづき>

「日本帝国主義は1932年頃から侵略戦争を拡大していきながら」、占領地区で「軍人たちの強姦行為を放置したのは性病感染を予防し軍事機密の流出を防ぐためのものであった。」という言い訳を用いて韓国と台湾と占領地域の10万名から20万名に及ぶ女性たちをだましあるいは暴力で連行した。彼らは満州、中国、ミャンマー、マレイシア、インドネシア、パプアニューギニアおよび太平洋の島々などにある占領地で性奴隷として酷使された。11歳の幼い少女から30歳を超えた成年に至るまで多様な年齢の女性たちを「慰安所」に閉じ込め軍人相手に性的行為を強要された。彼女らは軍人と一緒に移動したりトラックに乗せられて軍隊を回った。彼女らの人権は完全にはく奪されて軍需品、消耗品扱いを受けた。戦後においても帰国しない被害者たちの中には現地に捨てられるとか、自決を強要されて\るとか、虐殺された場合もある。運良く生き抜いて故郷に戻った日本軍「慰安婦」被害者たちは社会的疎外と羞恥心、貧しさ、病弱な体により一生を苦痛の中で生きていかなければならなかった。(国史、343p)



ところで最近筆者が研究したところによるとこのような記述は事実と異なり、事件の実態を深刻に歪曲しているのだ。実際、歪曲だという表現すら婉曲なもので、実際に起こったことに対して完全にチグハグなイメージを植え付けようとする意味からこの記述は「操作された」という表現が当てはまる。



[独創的な発想]
軍隊慰安部は大東亜戦争期海外に派遣された日本軍の強姦を予防し性病の被害を放置し、軍の士気を上げるために始まった制度である。ヨーロッパで第一次世界大戦が進行していたころ、日本は1917年に発生したロシア革命を鎮圧するため履く群を形成し米軍とともに1918年から1922年までシベリアに出兵したことがある。このときシベリア遠征軍72000名のうち10000万名を超える将兵が性病にかかった。この中の多くが死亡したために戦死した軍人より性病にかかって死亡した軍人のほうが多かったというとんでもないことが起こった。この事件を契機に日本軍では海外遠征軍の性被害を減らすための特段の処置が必要だという世論が起こった。この後大規模な日本軍が海外遠征をすることがなかったためこの事件は忘れられていたが、1931年満州事変が起こり中国と戦争がはじまると日本軍内部で軍慰安婦が制度化され始めた。



満州事変を契機に日本軍が満州を占領したのち日本海軍は中国軍の抵抗をけん制するために第一次艦隊を華中、第二次艦隊二次艦隊を華北に配置したのであるが、1932年1月上海駐屯海軍特別陸戦隊(海兵隊)と中国軍の間に戦闘が始まった。これを上海事変という。これにより日本政府は1932年3月陸軍第9師団第12師団から選抜した混成一個旅団を上海に派遣し、以後日本は陸軍と海軍の世紀部隊を上海に駐屯させた。これが第一次世界大戦以後最初の海外派兵である。このとき上海派遣軍岡村寧次中将は長崎県知事に軍に慰安婦を送ってくれと要請している記録がある。これが公式的な日本軍慰安婦制度の始まりとなる。日本軍はシベリア遠征軍の悲劇を忘れてはなかったし、その事件を教訓に独創的であり効率のいい制度を創案したのだ。この後岡村中将は慰安婦が到着したのち強姦がなくなりとても満足に感じると記録している。


軍隊という集団は現代国家の武力であり、戦時の軍人は本質的に殺人を目的に訓練された人間だ。現代国家は20代前半の男性を中心に構成される。この時期、男性は体力と精神力、知的な能力が最高潮に達しており殺人機械に訓練するにはぴったりの年であるためだ。このように国家とは20代前半の男性を殺人機械として犠牲にし国家の繁栄と存立を維持するものであるのだがその代価として性欲が最高潮に達している軍人たちに最小限の欲求解消を保証してやる必要がある。とくに戦時海外に派遣された軍人は最も不幸な人間であり、彼らは命令で戦争の消耗品として使用されるのだ。そういう理由で平時には温和な人でも戦場の軍人は残忍になり攻撃的になってしまう。このように旺盛な時期に若者を殺人機械にし戦場に送りつつその性欲をわずかではあるが解決してやるのは国家と社会の当然な義務である。


<次回に続く> 毎月20日発行


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