それがないのよ。レパートリーが貧困。
いきおい同じものを食い続けることになる。いや、それがまずいとか食傷するとかいうのではない。
わかめご飯の連続でも十分おいしい。難民に届く国連物資のようにありがたい。
ただ、希望としていろいろ作りたいと思うのだ。
子供のころ、母は僕が台所に近づくのを嫌った。「男が来るところじゃなか。お前は女か。」
おかげでご飯の炊き方も知らず、ハンカチ一枚洗ったこともなく20歳を超えた。
どうやって独身時代を生き抜いてきたのか考えてみた。何のこたあない。全部外食で、下着までクリーニングに出していいた。
だから基本がなってないのだ。基本を理解してない。当然応用力がない。
すると面白くない。関心がなくなる。まるでそっくり、バカと勉強の関係と。
恐ろしいのはそうして成人した人間は舌が肥えてないということ。服を清潔に保つのはクリーニング屋の仕事だと思い込む。
キャンプ飯を食いながらだんだん考えるようになった。なんでわかめご飯がいつまでたってもうまいのか。僕の味覚は炭水化物にしか反応しなくなっている。
悲劇だ。何とかしなくちゃ。わかめご飯に埋没するときは至福のときではなく堕落のときだ。
toyokko_2014さんのブログには一度として同じ料理はない。が、全部うまそうだ。
いろいろ身近な人から聞きだしてノートを作ることにした。半分義務感が動機だからあまり面白くないが、みそ汁すらインスタントに頼るいびつな人間になってしまっている。それはいかんと思った。
美味しいことを言い訳に一人炭水化物同好会をしていた。
半年ぐらいかかると思うが、料理ノートを一冊完成させよう。
実は12月から料理ノートを書き始めた。ネタは、母とか妻とかテレビとか本から。
ハンカチ一枚洗ったことのない男がすることだから、たかが知れている。しかし、ぼくの頭脳のための養分は、体内にあふれている。
糖分。わかりやすく言うと糖尿。
優れたニューロンは活動をやめない。
まず、否定的な表現をしたわかめご飯。
ステンレス容器の底にはアルミ板を敷いてキッチンシートを2重にして容器に半分ぐらい水を張る。そこにサランラップに包んだご飯を入れていわば湯煎状態にする。これはバーナーが一部を強力に熱するのを分散させるため。
ラップは洗い物を少なくするため。山中では水が乏しいのであまり残飯、野菜くずとか洗剤を流さなくて済むように考えた。
誰か自然に戻るラップを発明してくれないかな。そしたらごみゼロ。
で、料理ノートの一番を飾った料理らしい料理とは、
だんだんうまくなりますから。60年以上も生きて初めて作った肉じゃがです。大目に見てやってください。
ご飯も少し変化。
相変わらず麺類のときも。
黙って僕を乗せてくれるARAYA