役人時代に、熊本の辛酸をなめていた僕は、熊本のウルトラ保守どもを、永遠の敵だがもう会うことはないと思っていた。ところが御釈迦さんの言うとおり、「怨憎会苦」だ。まさにその、世界で一番赴任したくない熊本に、赴任するはめになった。熊本でなかったら、アンカレッジでも南スーダンでもよかった。
僕は、熊本以外を受験したのに、こともあろうにその熊本から合格通知が届いた。受験しない合格は選考基準違反だ。しかし行政は自分の都合で条例をどうにでも解釈する。
だが天草だったのでまあいいかと思い「着任します」と返事した。魚釣りは魅力だ。
東京からの合格通知が届いたのはその直後だった。1000倍も競争率があったのに。ま、人生はそんなもんだろ。
ところがだんだん状況が見えて来ると、予想とは異なることが分かる。本来見分けのつきにくいことだが、そこにいたのは保守ではなくバカだった。
便所虫と同義である学年主任ごときが、僕に命令口調だ。「ああ、半年前なら僕に土下座した人なのに」、そう思うと情けない。
地位は地位であり人間性の上下ではない。教育現場では、軍隊のような指揮命令は、火事のとき以外は必要ない。それよりも、自らの学問的識見を高め、教科書批判の論文を書くぐらいの気概を持て。と、何回もいい合いをしたが、バカは死ぬまで治らなかった。
不潔でケバイ田舎のモーテル、異常に高いブスの比率、魚は釣れるが餌屋までが遠くて撒き餌が腐る。観光客にはいい景色でも、僕には目が痛いだけのUV地獄だ。真珠が安くエビがおいしいところでも、僕には真珠は要らない。エビは五日で飽きる。
熊本は、僕をそんなところの学校の末端職員として引っ張れば、さんざん僕から罵倒された半年前の仕返しができると計算したのだ。それで福岡の250倍、佐賀の40倍、(長崎、山口は非公表で不明、鹿児島は落ちた)をパスしていたのに強引に有力者を通じ僕を引きこんだ。ガキのケンカのような幼稚な論理だ。
ところがその幼稚な論理がまかり通るのが公務員だ。
さらにところが、天草は、ぼくにとっての心の故郷になる。僕は決めた、天草で灰になる。それは次回。
移動がほとんどなかったその学校は、年齢構成が高く、僕の次に若い人はぼくより20歳年上だった(男性)。どんなにバカでも齢を重ねるとそれなりの深い総合力、判断力がつくものだ。そんな人間は、一人も、一人もいなかった。なんでそんなにバカなのかと腹を立てても空しい。
僕の誤算だ。「受験しない合格」には、熊本の練りに練ったレイテ作戦のような、精密な復讐のシナリオがあった。