「会社をやめようと、あるいはこのまま不愉快に耐えていこうと、判断するのはあなたです。あなたの人生でしょ、あなたが責任持ちなさい。」
この考えが蔓延するととんでもない社会が来る。不思議なことに自己責任論で最も追いつめられて社会の底辺でスズメの涙のような月給をもらう人間が、声高に自己責任論を叫ぶ。負け意地を張っているのだろうか。もう大人なのに。あるいは小金をためて一様に中流ぐらいにはなったと誤解する無教養なチンピラ資本家。ほんの50年前は地を這う虫だったくせに、生意気に自己責任だと。
「こんな働き方おかしいと思いませんか?」という選挙ビラを見た。この国の働く者の姿は、毎年500兆円を生みだし1500兆円の個人金融資産のある国の労働者の姿ではない。風邪をひいたら注射を打って休まず働きそれがほめられる。それはただ将来の寿命を切り取って今生きているにすぎない。風邪は寝ろ。
日本人のどこが時間に正確なんだ。ウソだろ。始業のときはキチガイの様になって事務所に走りこむが帰りは実にルーズじゃないか。上司、先輩の目を窺って席も立てないでいる。
会社が楽しいなんて嘘だ。上手に自分をだましているから信じたふりができる。僕は自分が絶望工場の工員だということを認めるべきだと思う。
自己責任とは共助の精神を否定するものだ。ちょっと前、自民党が「受益者負担」という文句をどこからか探しだした。社会保障受けるならカネ払えというのだ。紅葉を眺めて感動したらその感動賃を取られそうだ。そもそも社会保障はただなのだ。こう言うとチンピラが勉強もしたことないくせに国の財政が何とかぬかす。それはいずれ書く。
とにかく「受益者負担」が、人と人との連帯を断ち切る概念であるように、自己責任論は残虐な孤独の強制だ。「おまえが勝手にしたんだから俺は知らない」という考えを公然と肯定する社会になった。
それは他人無関心論でありそんな国で自殺が減るはずがない。年間3万人の自殺は地方都市1個の消滅だ。
追いつめられて八方ふさがりになって悩みぬいて苦悩の果ての選択を軽く自己責任で片付けてはならない。弱者を邪魔者扱いにする国が長く強国の地位にとどまったことはない。
強国になろうというスローガンは大はやりだ。
それならほんのちょっとした偶然で波に乗れなかった人が、ふたたび光明を見ることのできる社会にせよ。屋台の片隅にうなだれている人が全部不要で無能な人なのか。
国内の弱い者にすら希望を与えることのできぬ国が強国になるはずはない。また、そんな国が強国なんかになってはならない。