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<引用 毎日新聞2017年12月19日 18時30分
川崎市多摩区の多摩川で昨年12月、横浜市瀬谷区の少年(当時18歳)が死亡しているのが見つかった事件で、横浜地検は19日、殺人容疑で逮捕された東京都調布市の無職の男(22)▽同世田谷区の指定暴力団・住吉会系組員の男(21)▽同区の無職の男(22)▽埼玉県三郷市の無職の男(21)--の計4人を不起訴とした。
またまた痛ましい事件だ。犯人のうちだれか一人が主犯であるのか、あるいは、共同正犯であるのか、これを特定しなければ日本の裁判では公判が維持できない。
したがって、だれかがやったことには間違いないが、誰がやったかわからないときには検察は事件をなかったことにする。検察の主たる仕事は治安維持だから。
給料も安い。うまく昇進しても年1500万程度だ。試験の困難さからすると見合った額ではない。
僕らみたいな小さなゴミみたいなバイク泥棒に関しても、警察の関心事は事実確認だけで説諭を受けたことはない。
警察は少年からけんにこう言った。誰が言い出したか、誰が最初にバイクに触ったか、一番積極的だったのは誰か…もし捕まると事実を厳しく追及される。だが起訴はない。
人間は学習する生き物だ。起訴がなかったら罰もない。罰がなかったらまたやる。今回の人殺しも同じだ。
福岡県ではバイクは盗られた人が悪い。しかし家の中に置いている現金150万円を泥棒するのと同じことをしている。中学生に蔓延するバイク泥棒はしていいものだという道徳は警察が作った。神奈川のように人殺しをしていい県ではないが、泥棒はしていい。正される日は来るか。
ま、無理だな。治安維持とは関係ない事件だ。全員がバイク泥棒になって騒乱状態になりそうなときはバイク泥棒を捕まえる。
今回の事件もそうだ。街のチンピラの勢力争い、金銭問題なんかに検察がやってられるかという気持ちがある。違うと言い切るならこの住吉会系が犯人でなくとも真犯人を探す努力を続けろ。
流石に冬裸にして川に蹴落とすという残虐な殺しとなると世間の目もあるので捜査をしたが、検察は不起訴にしやがった。住吉会からは感謝状がいくべきだ。
現場の警官の悔しさを察するとまさに怒髪天を突く心情だろう。何のために口の堅い証言者から苦労して証言を得たんだ。非番の日も働いた人もいるではないか。証言者も何のために勇気を振り絞ったんだ。チクリの復讐は死だ。
人間の怒りとして当然だ。よくわからないバカな人は冬の川で全裸で泳ぎなさいよ。あがってきたら僕が沈めるから。悔しかったろう、寒かったろう、無念は晴らすぞという警察の思いに検察は答えていない。
不起訴とは、次のような場合だ。人違いでした、まったく犯人と関係ありません、勝手に18歳の少年は全裸で寒中水泳をしてました、この少年こそわいせつ物陳列で逮捕すべきでした。そばにいて止めたけど聞き入れてもらえませんでした。こういうときが不起訴なのだ。あ、よく考えると30年前の事件でしたとかいうときも(時効)。
ほかに嫌疑不十分で公判の維持が確実でないときは、せめて起訴猶予という手もある。検察自身が捜査する権能がある。こうするのが順当だ。警察は証拠と熟慮の果てに送検するから、今度は検察の番だ。黙って合理的な理由も示さず不起訴にするのは反逆だ。
本当に人違いだったとしよう。そしたら警察を指揮し、情報を共有し、捜査を継続するのが当然だ。
自己保身のためあるいは自己の虚栄心のためならどんなにむごいことをする。それが検察か。事件処理において人権を中心におく検察のすることか。無罪判決が出たらカッコ悪いもん。ぐらいの事だろ。
80年代の正義感に燃えた侍はどこに行った。
事件発生は、ちょうど今頃だろ。神奈川県では人を殺してもいいのだ。じゃあ俺が殺すから警察と検察は川で泳げよ。
約束だ。