か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Lost jungle gym

2015年07月03日 | 教育

教師は独善的になりやすい。閉鎖空間の中では自分が小山(おやま)の大将であり、何をしてもまず外にバレることはない。

とくに義務制諸学校の場合、多くの事件はもみ消され隠蔽されてきた。スケベ教員が女子児童の胸や尻をなでようと、恐怖におののく子供は何も言わない。子供がスケベに目覚めていようものならなおさら安全だ。

学校はAVの舞台となる。

なぜそれが可能か。誰も何も言わないからだ。利害が相反する団体が相互に抑制と均衡を効かす世界は、マッカーサーの幻想に過ぎない。

不都合な真実は、組合も、校長も、委員会も、有力者なるものも一体となって「火消しつぼ」に入れる。

興味ない。僕は興味ない。便所虫たちのありそうな蠢動は気にならない。ポイントは次のとおり。

「危ないから」という殺し文句は今、小学校でとても有効だ。高校ですら騎馬戦が消えた、棒倒しが消えた。ジェンダーとかで男子にもダンスがある。そんなら女子も騎馬戦をしろ。ぜひ見に行くから。

いわゆる学校関係者たちは、親が狂ったように「危ないから」というか、子供の一人も死ねば、狡猾にも「火消しつぼ」に入らないことを即座に悟る。すると、騎馬戦を廃止し、棒倒しはとっくに消え、ジャングルジムも消えた。

牙を抜かれた騎馬戦は取っ組み合いをする方式ではなく、相手の風船の取り合いをする。バカにするな。モンスターペアレントなるものが不足する能力で考えるほど子供は子供ではない。いいか。子供を子ども扱いしてはいかんのだ。

ジャングルジムは数学的思考の宝庫だ。賢い子供はジャングルジムに潜む多くの立方体の面と辺に一定の法則があることを見つける。上の写真はジャングルジムの変形だが、はたして正何面体か。

そんなこと考えて遊ぶ子供はいないって? NO. あなたが考えなかっただけだ。50人いればかならず人気(ひとけ)のなくなった校庭で考えている子供が1人いる。子供から考える楽しさを奪ってはいけない。

下の問題は小学生用の問題だ。これを考える子供が頭がいいとは限らない。だが確実にいえるのはその子は考えるという人間だけの特権を行使している。

 

クモンクモンとスピードだけを競い他の思考を寄せ付けない指導では、子供はその潜在能力を失う。

1000万の子供のうち一人や二人はジムから落ちて死ぬ。だから「安全のため」を理由にジムをなくしていいか。

それは交通事故をなくすため車をなくすことと同じだ。小学校に関係する低能たちは責任逃れだけを考え自分の無能に考えが及ばず本末転倒な茶番をする。

 

 

 

 

 

 


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