国営諫早湾干拓事業(諫干、長崎県)の干拓地の営農者らが国に潮受け堤防の開門差し止めを求めた訴訟で、長崎地裁は17日、差し止めを命じる判決を言い渡した。諫干を巡る訴訟で開門差し止めを認める判決は初めて。
2010年に国に5年間の開門調査を命じた福岡高裁判決が確定しており、確定判決とは逆の請求を認める判決は極めて異例。 毎日新聞から引用
僕が社会問題についてくどく言うのは、本質の追求に際し詳細であることにこだわる人が多いのを批判するためだ。
つまるところ物事を判断するときの時間軸の必要性についてだ。
より広くとか、偏らないでとか、相手の立場を理解してというようなことは日本人が好きな言葉だ。が、本質的なことではない。
とくに偏らないということに異常に神経を使うのがこの民族だ。すると自動的に最善の道とは中立であることになる。何も考えなくてよい。思考停止のアホにも一定の立場が与えられる。あの人は偏らない意見を持っている、と。
あるいは、事実であるかどうか。これもさして重要な問題ではない。むしろ、本質ではない事実が都合の良いものであるとき人はこれにしがみつく。そして誤る。
このように事実でうそをつくことは簡単だ。とくに昨今、文字を仲介としない合成映像が哀れな国民をだましていた例は多い。
冒頭の引用のように、諫早の堤防を閉門したままにせよという判決が今日くだった。もちろん福岡高裁の判決はすでに降りているので抗告は棄却されるので実効性はないが、農水省の意地の堤防建設は地元に不要で根深い対立を残した。
断言する。必ず事件が起こる。人はパンのためなら何でもするのだ。堤防の内側の新規就農者VS漁獲が0になった漁業者。
訴状は、積み重ねると1メートル以上になる。堤防の是非については後回しにする。
まさにその時間軸に沿ってさかのぼる。
将来をを嘱望された神童、からけん少年が冷めた心で小学校に通っていたころ水害が起こった。何十体という死体が膨れて近所の漁港に漂着した。
一日に1000ミリ以上という降水量はいまだに日本の最高記録である。約1000人の人が亡くなった。土石流による圧死だ。
ここに目を付けたのが当時の農林省だ。いつも建設省に土木工事の美味しいところをさらわれ天下り先に不自由していた彼らには、まさに天祐の洪水であった。
締め切り堤防という在ってはいけないものも人命救助、災害調整を理由にすれば素人は騙されると踏んだ。
なぜ在ってはいけないか。造る理由が嘘だからだ。水害が起こりそうな町より上流に洪水調整池があるのは当たり前で、土石流で死んだ人のはるか下流のしかも海に洪水調整池があっても役に立たない。
その証拠に堤防完成後にわずかの雨で諫早市は洪水に見舞われている。
農林省もさすがにこのいいわけには無理があると考えて次の屁理屈をこねた。あ、そうだコメ農家を増やそう。これも間もなく始まる減反政策でウソがばれる。それがだめなら野菜にしよう。これも極度の人口流出長崎県は地方破壊政策で立ち直れなくなっていた。そこで過剰に良い条件で全国から農家を集めた。
つまり何でもよかったのだ。しまいには長崎県はこういった。長崎県には平野が少ない。締め切り堤防で平野を増やすんだ。ばか。じゃあ滋賀県も平野が少ないぞ、長崎どころじゃない。琵琶湖を埋めようじゃないか。
堤防自体より、国民をだます目的でウソをつき、ばれそうになるとまた別のウソをつく。そういう不真面目な姿勢の農林省は農水省と看板を変えても同じ過ちを繰り返していく。
長くなりましたのでシリーズ化します。