一昨日、昨日と連続して山口県を回った。かくも一時(ひととき)に、しかも有能な幕末の志士たちが生まれたのはなぜだろう。松陰のみの功績とすることはできない。さらに彼は道を説くときは冷静で論理的で慎重であったのに、自らの行動は無鉄砲この上ない。松下村塾が総体として革命の炎を上げたと言える。
ただ、成功したから志士であるが失敗すればただのテロリストだ。萩という町は外界と断絶しているがその内部では自給自足のように高度な精神文明が維持されている。素敵な街並みに穏やかな人が住む。萩高校も気に入った。また次回に書く。
今日は株主総会の日だった。九州電力。この上なくでたらめな会社だ。佐賀県での原発説明会には、やらせメールを大量に送りつけ、さも原発賛成派が多いかのような自作自演のインチキをして住民をペテンにかけた。
その張本人の社長が責任をとると言って辞めるポーズはとったが、結局は天下りし子会社に無理に相談役とか何とか「いす」を造らせ大量の給与をもらっている。
川内(せんだい)原発は立地に疑惑があるがきちんとした説明がない。玄海原発はほぼ町内に一本の割で温泉を掘ってやり、町の予算の数倍の補助金を与えた。町会議員で九電の息のかかっていないものはいるか。まさかの時は即死するようなものを目の前にして、原発よありがとうと言うんだから。
だから安全なんだろ。安全なら博多湾に作れよ。送電ロスは半端ないぞ。
ところが一つ九電によいところがあるとすれば、株主提案をキチンと動議としてとり上げているところだ。あわせて株主代表訴訟は、形骸化した株主総会を実質化する有効な手立てだ。たとえ法学部を出ていても数十年前では理解しづらい。またリベラルな人が教えてないとただの暗記で終わる。
文句あるならお前も投資してみろ、カネも出さんで文句は言うのか。という19世紀的自由権の発想が田舎資本主義である日本を席巻してきた。
したがって十億二十憶持ってないと株主提案も現実味を帯びないが、少なくともその株主という枠内においては民主主義が目を覚まそうとしている。貧乏人は黙れ、麦を食えの一言で「持たざる者」は民主主義のなんたるかを知らずに生まれ、そして死んできた。カネも出さんでレクサス乗ったらいかんだろうが、か。
これに対しそのような乱暴な強い者のみが享受する自由な世界はいずれ破たんすることをわれわれは60年前に知った。
株主提案、代表訴訟。貧乏人こそ大事にすべきだ。強者生存の厚い壁を穿つ奇跡の一歩に思える。
ところが議論を聞くと、どこかの政党からの差し金とか、旧過激派とかがいて、全然発言時間を守らなかった。僕は頭にきて「お前だけの時間じゃないぞ。」と言うと潜んでいたサクラが一斉に僕をやじった。
僕は丸刈りにして金髪にしたばっかりだったので、ちょっと怖かったのだろう。頬の傷も目立っただろうし悪いことに背広のローテーションで偶然今日は黒服だった。瓜生社長には悪かったが、こらえると胃によくないのでヤジの来たあたりに「なんか!」と言った。みんな怯えていた。怯えていたのは僕の方で、帰りは一目散に帰った。
残念だった。心情は彼らと近いのに、でも、議論のルールを守らないほうが悪い。
写真は総会のあっているホテルニューオータニの前で気勢を上げる原発要らない派、九州の金持ちが集まるのに長靴が痛ましい。