センター試験が終わった。
丸暗記ごっこのオンパレードだったが特に今年はやる気のない現代文だった。世界史、現代社会は出題に余地がないので、まったくどうでもいいものを山川の教科書にあるばっかりに、アタナシウス派、アリウス派… 掛け算の九九の暗記ごっこのオンパレードだった。
アタナシウスがその後の世界史の展開に登場することはない。こういう愚門には犯罪性がある。バカが問題を作ると目の前の行き詰まりの解決に精力をそがれ、そもそものセンター試験とは何を選抜しているのかを忘れる。
つまり、バカが賢い人間の選抜はできないのである。
数学も初めて問題を見る生徒にはかなり難しい。だが事前にやって解法を暗記していれば簡単だ。そういう僕は満点をとれない。だが僕は何ともない。解けないのではなく知らないだけだ。
それが極端に出たのが現代文である。もうすぐ終わるセンター試験のために誰も情熱をもって問題を作らない。面白くない問題だ。ひねりも、ユーモアも、隠れてひにっくぽいセンターの意地を見せる「骨」も、見られない。
これじゃあお行儀よい子しか合格しない。いわれたことに従順な電通好みの言いなり小僧の選抜会だ。
韓国の修脳試験は、まさに科挙の現代版であり,事大主義の名残を見た。あれではまともな人間が落ち言いなり小僧が通る。
よその馬鹿の心配をして自分の哀れな境遇を忘れる日本人がいる。朝鮮人並みだ。
センターを受けるものの中で成績5%は日本を作っていく人たちだ。選挙で痴呆が投じた一票はむしろ日本を惑わす。衆議院選挙よりはるかに大事な、日本の柱になる人たちの選抜試験だ。
「いいえ、うちの子はバカですから。」という声を聴く。一部正確だ。ただしくは「うちはばかですから」だ。親の無教養は子供を殺すのが常だ。そんな無教養親によって泥水の中に引きずりこまれる子供のうち、ごく一部にでも鶴がいたら親の行為は犯罪だ 。親は無教養だから鶴が見えない。
松は幅1メートル、梅は高さ15センチだ。でかいだけのバカ松、アホ梅よりここにこそ宇宙がある。
栴檀は双葉より芳し。座敷梅の盆栽を見に行った。福岡県山川町。2月には咲くだろう。素質のないのに税金を投入すべきではない。