お茶をどうぞ!

毎日楽しもうよ!きっといいことあるよ!

謹賀新年・・令和3年

2021-01-01 23:07:25 | 行事



新年明けましておめでとうございます。

昨年末、手術を無事に終え年内中に退院でき
お陰様で新年を元気に迎えることが出来ました。
皆様から温かなお言葉やエールを頂戴し、ブログで
繋がったことがとても嬉しく、また新たな気持ちで
ブログを再開したいと思いました・・

入院中の様子を記したかったのですが、痛みと
両手に色々なチューブに繋がられ身動き取れず!!
退院後もしばらくは本調子ではなく・・
やっと気持ちと身体が整いました。

今朝の空を仰ぎ見・・光り満ちている景色に
こんなにも心が穏やかで迎えられた新年に
しみじみ幸せと・・・祝い膳の美しく心に
沁みる味わい・・今日からまた一年が始まる。。

入院中、さらに心に響いたのは「今を生きる」
そう!これからもコロナ禍はいろいろな困難を
私達に投げかけてくる・・だから今を頑張ろう・・

心豊かで喜びの多き一年になりますように
今年もどうぞ宜しくお願いいたします









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運動会

2020-10-24 23:42:59 | 行事
私の住まいの建物の前には多目的広場があり
その周りには小学校や中学校もありグランド
ではいつも子供たちの声が響いております。

このところ朝は軽快な音楽が聞こえており、
先生のマイクに合わせて子供達のざわめく声や指導通りに
動くのを見ていて、あぁ~そうっか運動会の練習なのねっ!

もうその季節になったのかと・・木々の間からその様子を
見て・運動会の予行練習の風景は今も変わらず、教育行事の
一環として連綿と続いている・・変わらないことも大切ですね。

運動会の思い出って後になると鮮明に思い出すものなのよ・・
もう遠い昔の事!!断片的なことでも思い出は色褪せないなぁ~
小学校高学年の頃はバトンガールとして先頭で指揮をし
緊張の中その役をこなしていたのをふっと思い出したわ~~
かけっこは結構早い方で足には自信があったの!!本当よっ
今は・・まったくもって運動音痴!!あの頃の私は幻~~

今朝出かける前にグランドのかなりの賑わいに運動会だわ~
しばらく見学しておりました。昔に比べて家族の応援が少ない!

昔は地域あげてのイベントでしたが・・そこはかなりの変化・・
しばしあの頃の自分を探している自分に思わず顔がほころんだ・・
グランドを後にゆっくりとバス停に向かった。。。




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お墓参り

2020-09-22 23:14:54 | 行事



敬老の日と言えば今までは9月15日という
認識でした。そういえばいつから慣れ親しんで
いた日付がかわったのかしら?2003年9月から
ですって・・今年はコロナで義母のいる施設に
伺うことが出来ないので、電話でお話致しました。

秋彼岸のお墓参りはコロナと夫の兄弟たち家族の
調整がつかず各自それぞれお参りということになり
秋分の日の今日、夫と午前中多摩霊園まで出かけて
参りました。毎年夫の兄弟たち家族と大勢で各自
持ち寄りのお料理をお参りの後、賑やかに広げて
おりましたがこれから先〇〇家にも変化が・・
今まで当たり前に勤めていた行事や人の集いが
当たり前に出来ない時代に入ったことを感じましたね。

ご先祖様に感謝と自分の気持ちに手を合わせることは
やはり気持ちが落ち着きますね。

お参りの後、広大な園内を歩いた・・可憐なるつるぼの花
大木の根が至るところで目に留まった・・人はいつか土に
かえり未来の木を支えていく・・自然の摂理なのね・・










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祈りの長崎

2020-08-09 22:43:51 | 行事
8月6日・広島75回目の原爆忌。
今日は長崎平和記念式典をテレビの画面から
その様子を観ておりました。11時2分原子爆弾が投下され
爆風が炸裂し街が破壊され7万4千人の命を奪った。

生き残った人々の放射能による健康被害の壮絶さは
いろいろな場面で私達は知るのですが、地獄のような
体験をされた方々の生の声に胸が締め付けられる思いです。

アメリカの原爆計画責任者は破壊力を試したかっただけの事
多くのアメリカ兵を救うために原爆を投下したと後付けの
言い訳!!世論を操作するために演出された言葉で事実は
書き換えられた・・被爆国の私達は未来永劫忘れない・・

式典で「長崎平和宣言」で読み上げられた長崎市長
田上富久市長の一文を抜粋致します。

日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の
署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を
検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の
平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の
充実とともに、未(いま)だ被爆者と認められていない被爆体験者に
対する救済を求めます。

そのくだりに安倍総理のお顔が重なった、そのお言葉は総理の耳に
どのように響いたのでしょうか・・
核なき世界と言っている現実は高性能な兵器が開発され核の
拡散がはじまっているという・・世界は矛盾に満ちている。
「戦争は人間のしわざです・・」被爆者のその言葉が耳から離れない・・






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十三回忌

2020-08-02 23:52:00 | 行事


西徳寺は十七代・十八代中村勘三郎の墓所です


平成20年8月21日に亡くなった義父の十三回忌を
本日、台東区の西徳寺で執り行った。
仕事を終えて晩酌に2合の日本酒を嗜むのが常だった
晩年の義父、先代の後を引き継ぎ、真面目に仕事一筋に
会社を守り、人生を全うした人でした。長男・次男・4男の
3人が会社を手伝い(3男の夫は違う会社に就職)義父を
支えて、男親としては頼もしい息子たちがいて嬉しかったと
思う。義父と義母は子供のいない私達夫婦に何かにつけて
心遣いを向けてくれた・・嫁いでから大切にされ思いに
お経を聴きながら義父の遺影を眺め、思い出のページを
めくり、人生の順送りなことをいろいろに思った。

お経が終わりご住職のお話を聞く中で、月一度〇〇家に伺い
お経をあげて63年前からのお付き合いに今回の法要は
ご住職ご自身も感慨深いとお話されていた。
先代から信心深く、ことを継続して一家を守る・・義父や義母が
大切に守ってきた心をこれから継承してほしいと切に思った。。

施設にいる義母は術後のリハビリがまだ続いており、来ることが
叶わず・・どんな思いで一日過ごしたのだろう・・と
帰宅後、すぐに義母から電話があり、ご苦労様の言葉の裏に
母の思いを知る。
ご住職のお話の内容もお伝えし静に受話器を置いた。




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