ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

レンデルシャムの森の事件(Rendlesham Forest UFO case -2)

2012-06-25 21:53:05 | UFOの研究(信憑性が高いもの)

【事件概要~真実かどうかは別として】

1980年12月27日午前3時、英国ウッドブリッジ空軍基地から800mの森林内に「UFO」が着陸、3人の宇宙人が当時、基地司令官だったゴードン・ウイリアムズ将軍と会見。 

深夜の森の中で動揺する兵士とは反対に、落ち着いた模様の将校。

着陸を事前に知っていたかのような基地上層部の行動。

1983年10月2日、イギリス最大の新聞「ニューズ・オブ・  ザ・ワールド」誌がこの事件をすっぱ抜き、大騒ぎになりました。 

当時基地で兵士として勤務していた、ラリーウォーレン氏が新聞社に情報を提供したのが発端と言われています。

Larry_warren

↑ラリー・ウォーレン氏

早くから証言をしていたラリー・ウォーレン(当初アート・ウォーレスという仮名でBBSのインタビューに答えていた引物)は、光に包まれた3人の宇宙人を見たと語っていました。 

そして、基地司令官・ゴードン・ウイリアムズ将軍と、身振り手振りを交えて何かしらのコミュニケーションをとっていた、と言うのです。

また、事件当夜行動を共にしていたエイドリアン・ビステンザ(ブスタンザ)軍曹は、「ああ、これは以前、アラスカの基地でも見た事がある!」と語ったという。

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↑チャールズ・ホルト中佐

アメリカ空軍第81戦略戦闘師団ウッドブリッジ空軍基地の副司令官・チャールズ・ホルト中佐は、自らも事件当夜調査隊を率い、問題の光る物体を大いなる動揺とともに目撃し、「不思議な光」という題名をつけた備忘録を作成し、報告書として提出しました。

しかも、ホルト中佐はいつも仕事のために携帯しているテープレコーダーで、生々しい現場の状況を録音していました(この録音テープの存在も否定していた)。

事件がマスコミで大きく取り上げられたのは、その時の模様が公式な文書として存在し、その意味で信憑性が高かったからで、ラリー・ウォーレンの証言だけでは与太話として相手にされなかったかもしれません。

ウォーレンの証言が、この公文書を補完するかのような内容であったため、「事実起こった事」として扱われたのです。

公文書を作成したホルト中佐は、基地副司令官という立場上、多忙を極めていたせいもあるかもしれませんが、1980年代当時、沈黙を守ってマスコミの会見をいっさい拒否していました。

 

イギリス政府は、国内に駐留する米軍の、それも基地副司令官の作成した報告書を受け取っていたにもかかわらず、「そんなんものは存在しない」と言い続けていました。

イギリスには情報公開法がありません。

そこで、最初にこの事件を調査したイギリスのUFO研究家は、アメリカの研究家に情報公開法に訴えるよう連絡を取り、その結果、アメリカ・イギリス両国にとって安全保障上問題ないと判断されたのでしょう、ホルト中佐が作成したあの夜の報告書が機密解除になって出てたのです。



数年前、この事件の極秘資料がイギリス政府から機密解除されて閲覧できるようになりました。

しかし内容そのものは、20数年前のいわゆる“ホルト・メモ”そのものでした。

やはり情報は隠されていた上、撮影されたはずの写真やムービーなどが公開されたわけではありませんでした。 

あの夜、確かに何かが起こった。だが、真相は闇の中だ・・・ 
ホルト中佐は近年この事件について告白し、公文書に書かれていることはすべて 
真実だと語っています。

しかしホルト氏はまた、最初にこの情報を世に出したラリー・ウォーレンの証言、中でも「3人の光に包まれた宇宙人」などは見ておらず、「ヤツのホラ話で、この事件自体が貶められた」と憤慨しています。



Rendlesham_header
これはファースト・コンタクトなのか、それとも大掛かりな秘密兵器の実験だったのか?
  1984年に、矢追純一氏によってTVでも特番が2回に分けて作られましたが、  現在では完全に忘れられた事件になってしまっています。 
矢追氏の製作した番組で紹介されたということもあり、信憑性において疑問を持つ方も多いと思いますが、機密解除で出てきた文書は、当時番組で紹介された内容と全く同じでした。

つまり、当時イギリス政府が「そんなものは無い」と言い切っていた文書は、やはり存在したのです。
当時のイギリス政府が、何故この事件を20年近く隠したのか、それが分からないのです。

UFO(広義での未確認飛行物体)を捕捉した場合、どういう手段で補足したかを隠すために機密になる例があるようですが、この事件は、どうもそういうことではなさそうです。 
また、ひじょうに興味深いのは、この事件で宇宙人を見たといっているのは、複数いる目撃者の中でもラリー氏だけで、ホルトメモにも宇宙人についての記述が無いことです。 

事件現場は森の中でしたが、事件直後に現場一帯の木は相当数(根元から)伐採され、なおかつそこの地面一帯ををブルドーザーで掘り返す、という対応を軍はとっています。

 

「何か」の痕跡を、必死になって抹消しようとしているかのようにです。
2回に渡る、この事件に関する矢追さんのあの放送(タイトル:第4の遭遇1,2)だけは、信憑性が高かったようです。

 

ただし、不審な点も いくつかあります。
それは、現地の研究家が最初に入手したUFOのスケッチ、ラリー氏がみたUFOのスケッチ、ジム・ペニストン氏(UFOを2番目に目撃した憲兵)が見たUFOのスケッチが、それぞれ同一のものとは思えないほど形状に違いがある、ということと、ホルト氏の報告書にはUFOの機体の描写がなく、「不思議な光体」
としか記述されていないという点です。 

そして、「宇宙人」なるものを見たと証言しているのはラリー・ウォーレンだけだ、という点です。


現在までの情報を総合すると、実際に公文書として存在したということもあり、何かがあったことは間違いないようです。

それはイギリス政府も認めています。
私は、UFOや宇宙人というものには懐疑的な立場ですが、どうしてもこの事件だけはひっかるモノがあるのです。

 

Landingmarksoriginalphoto

↑情報公開で唯一出てきた現場(着陸跡)の写真

というのも、軍の調査隊が森に入った際、物体の「着陸痕」とみられる正三角形を成す土のへこみ、その中心部から出ていた強い放射線など、物理的な証拠もあったようですし、ペニストン氏はその着陸跡を石膏型として残しているからです。

物体は、森の木々にその「機体」を時折ぶつけながら縫うように浮遊した挙句、最終的には森から上昇し、猛スピードで飛び去ったと言われています。(ホルト氏や、その他目撃者の話)

この物体については、個人の思い込みや灯台の見間違い、自然現象、他国の兵器、それらの可能性はありますが、それ以外だとしたら何があるでしょうか。

そして、「宇宙人」(ヒューマノイド=人間のようなもの)との会見はあったのでしょうか?

次回は、この事件を最初から詳細に検証してみましょう。 

(続く)

コメント
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