1943年初頭、ドイツ軍の前線部隊から、3000mの距離で敵戦車をアウトレンジ撃破が可能な車輌を求める声が上がった。
これは、主に東部戦線での戦訓による。ソ連軍戦車隊は、ドイツ軍戦車に対してクロスレンジでの戦闘を挑むべく、グッと接近してくることがままあった。
接近するのは2~3輌ではなく、10輌を超えた数でドッと押し寄せてくる。
これでは敵を数輌撃破した時点でこちらも早晩敵弾を食らう可能性が高くなるのは当然で、1943年ともなると、ドイツ軍はソ連軍に対して数量的に劣り始めた頃であり、もし随所でこのような飽和攻撃を挑まれれば、最終的には数でソ連軍に押し切られてしまうのは明白であった。
だからこそ従来のように1000m前後のレンジで射撃を開始して敵の数を減らすのでは間に合わなくなってしまい、さらに遠い3000mのレンジから、T-34やKVに対して有効打を与えられる火砲を搭載した車輛が求められたのである。
(略)このようなニーズは、完全に防勢的観点からのものであるといえる。(PANZERより抜粋)※一番下に動画があります。
終戦後、ドイツ・ハウステンベックゼンネ演習場にたたずむヤークトティーガー(P)。連合軍に接収され、現在この車両はイギリスのボービントン博物館に展示されている。実物をぜひ見てみたいものである。