最近は果物の糖度を計るのに「光センサー」が重宝されています。
市場には、全国各地から届いた生鮮品がひしめいていますが
その中にも「光センサー」で確認しているということが
誇らしげに記載されていたりします。
不確かなものを、何らかの機械的なもので、確実なデータにして確認したい。
そうしたニーズが、ICやマイコン、電磁波などなど目には見えない価値基準を
数値やグラフのような、目に見えるものに変えて、人々を納得させようという試みが
いつの間にか拡大しているように思います。
けれど実際に自分の味覚と、センサーの価値基準を食べて比較する機会を得ると
どうも納得のいかないケースがあるのです。
その一つが、果物の糖度センサーです。
例えば、私が実際に体験したトマトの糖度検査ですが、糖度検査用の光センサーでは
パイナップル並みの16度という結果が出たのですが
私の人間的味覚は、決してパイナップルと同じとだは認めませんでした。
私の体験的記憶によって定義されているパイナップルは、
それらよりはるかに甘く、超スウィートだし、かぐわしいのです。
あんこにお塩を入れるように、シュークリームにバニラビーンズを組みあわせるように
甘さは香りと一対のものであり、微妙な味わいとのバランスに
ささえられてこそ、パイナップルにはパイナップルの
バナナにはバナナの香りと味と甘さがあるのです。
例えば、実際の果物を味わってみて結果を下す味覚調査で
全国でも№1と言われるような果物は、決して当時計で高い糖度を示すわけではないそうです。
味わいとは、香りや、食べ合わせや、残り香などといった
複合的な要素が一体となって、その総合的な感度が微妙に混合された結果として
存在しています。
これは、決して美しいだけがすべての結果につながらない、恋愛の法則にも通じます。
ある欠点が、決定的な魅力となるケースは少なくないのです。
それだから、世界はめちゃくちゃ楽しいのです♪
だから私は「光センサー」至上主義といった風潮は好きになれません。
疲れたときには濃い味が欲しいし、薄味を静かに味わうと言うのもまた乙なものです。
昆布ダシと鰹ダシの違いを、いつも感じていたいし
干シイタケのコクが、静かに後味としてのこる素晴らしさ・・・
そんな感覚が、単純なセンサーで見極められるはずもない。
それに旬の野菜の香りと味、隠し味の白醤油やごま油の香りが
微妙に交じり合って、お袋の味は形成されている。
こういう事実を、いつまでも忘れないでいたいなあ・・・・・と
思ってしまう今日この頃の私であります。
果物検査に、様々なセンサー技術が生かされるような時代になったとしても
私は、自分の家に、家庭の味センサーなんて、決して入れないぞ!!!
と、そんなことを決意している。本日のなかじまなのであります。
とはいえ、この画像に対してなにやら文句があると言うわけではございませんので
あしからず。
市場には、全国各地から届いた生鮮品がひしめいていますが
その中にも「光センサー」で確認しているということが
誇らしげに記載されていたりします。
不確かなものを、何らかの機械的なもので、確実なデータにして確認したい。
そうしたニーズが、ICやマイコン、電磁波などなど目には見えない価値基準を
数値やグラフのような、目に見えるものに変えて、人々を納得させようという試みが
いつの間にか拡大しているように思います。
けれど実際に自分の味覚と、センサーの価値基準を食べて比較する機会を得ると
どうも納得のいかないケースがあるのです。
その一つが、果物の糖度センサーです。
例えば、私が実際に体験したトマトの糖度検査ですが、糖度検査用の光センサーでは
パイナップル並みの16度という結果が出たのですが
私の人間的味覚は、決してパイナップルと同じとだは認めませんでした。
私の体験的記憶によって定義されているパイナップルは、
それらよりはるかに甘く、超スウィートだし、かぐわしいのです。
あんこにお塩を入れるように、シュークリームにバニラビーンズを組みあわせるように
甘さは香りと一対のものであり、微妙な味わいとのバランスに
ささえられてこそ、パイナップルにはパイナップルの
バナナにはバナナの香りと味と甘さがあるのです。
例えば、実際の果物を味わってみて結果を下す味覚調査で
全国でも№1と言われるような果物は、決して当時計で高い糖度を示すわけではないそうです。
味わいとは、香りや、食べ合わせや、残り香などといった
複合的な要素が一体となって、その総合的な感度が微妙に混合された結果として
存在しています。
これは、決して美しいだけがすべての結果につながらない、恋愛の法則にも通じます。
ある欠点が、決定的な魅力となるケースは少なくないのです。
それだから、世界はめちゃくちゃ楽しいのです♪
だから私は「光センサー」至上主義といった風潮は好きになれません。
疲れたときには濃い味が欲しいし、薄味を静かに味わうと言うのもまた乙なものです。
昆布ダシと鰹ダシの違いを、いつも感じていたいし
干シイタケのコクが、静かに後味としてのこる素晴らしさ・・・
そんな感覚が、単純なセンサーで見極められるはずもない。
それに旬の野菜の香りと味、隠し味の白醤油やごま油の香りが
微妙に交じり合って、お袋の味は形成されている。
こういう事実を、いつまでも忘れないでいたいなあ・・・・・と
思ってしまう今日この頃の私であります。
果物検査に、様々なセンサー技術が生かされるような時代になったとしても
私は、自分の家に、家庭の味センサーなんて、決して入れないぞ!!!
と、そんなことを決意している。本日のなかじまなのであります。
とはいえ、この画像に対してなにやら文句があると言うわけではございませんので
あしからず。
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