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三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【縁側・囲炉裏は「幸福感」装置/日本人のいい家③】

2020-10-10 05:44:39 | 日記

写真は播州・福崎の古民家写真から縁側空間。
北海道の家からは「縁側」は150年前・最初期からほぼ消え去っている。
明治天皇の「休息所」として建てられた「清華亭」〜明治14年でも
縁側外周にはガラス建具が嵌め込まれ、いわば「大型窓」化している。
いわんや一般住宅に於いては冬は雪の壁を眺めることになるし、
夏場といえども、吹き渡る「涼風」を楽しめる期間は1ヶ月程度。
であればと北海道人は自然とのふれあいについては、
より直接的なジンギスカンなどで純粋な野外パーティ志向になり、
家はハコとしての密封性を高める方向に舵を切っていった。
いわば暮らし方の方で「メリハリ」をつけていったと言えるでしょう。
日本伝統住宅と北海道の家が枝分かれした最初期のパーツでしょう。
その後、北海道住宅は家の中の「環境性能」志向を高めた。
そこで検討されたのがいわば「いごこちの科学」。
温度や湿度コントロールが主に寒冷期を対象に探究され、いごこちが論議された。
で、そういういごこち研究の成果を通過してきて、今度は日本人として
もう一度、この縁側空間というもののオモシロさに帰り着く部分がある。
北海道での体験を経た上での伝統住空間のいごこちや体感的心地よさ再発見。

本州以南のニッポンでは、冬場でも雪はあんまり降らないので、
積雪を心配することはない。大体は縁側は南面して開放・造作される。
庭園主体の建築で被写体への採光鑑賞目的から一部に北面するものもある。
太陽光を受けた庭の輝きを視覚的に愉しむ意味ですね。
しかし圧倒的多数は南面する縁側空間というものに日本人は慣れてきた。
軒が張り出しているケースが多いので、日射制御コントロールが
さまざまに「デザイン」されるけれど、縁側本体では
「ひなたぼっこ」という楽しみが演出装置されることになる。
たぶん秋から冬、そして春にかけて、8ヶ月以上はこの体験装置空間になる。
この縁側でまどろむ、という民族的体感が現代住宅から消えつつある。
これってよく考えてみると、住宅の「温熱快楽体験」として
家庭風呂にも匹敵する建築装置ということができるのではないか。
もちろんその季節毎で太陽輻射熱によって得られる温熱体感は違うけれど、
縁側の自然素材の板の間から薫ってくるニオイまで含めて、
独特の民族的癒やしの空間であり「温熱装置」の側面が強い。
炎などはないけれど、一種の「暖房的建築装置」という理解もあり得る。
天気の良い日に縁側で過ごすというシアワセ・贅沢ぶりは、
現代的な住宅ではいまや見果てぬ夢。その喪失への残念感が募る。


さらに、直火輻射の囲炉裏のある空間は、古民家での最大の見せ場。
写真は川崎・日本民家園のなかの古民家で囲炉裏に火を入れたところに
見学で訪れていた小学生軍団が押し寄せている図(笑)。
手前にはかまどとせいろ蒸しも置かれていて、
なんとも賑やかで、そして煙い囲炉裏火だけれど、
子どもたちの明るい笑顔が底抜けで、釣り込まれるような「あたたかさ」。
温熱としては炎からの直接的な輻射熱だけれど、
心理に染みわたってくるような独特の幸福感で満たされる。
たしかに温熱で言えば、全体に一様なものではなく局所そのものだけれど、
北海道人感覚からするとかえって、これはこれ、という気分が感じられる。

縁側での太陽熱による輻射体感と、囲炉裏の直火による輻射体感。
かなり魅力的で自然な温熱体験とあこがれを持って見てしまう。
こういった古民家の「温熱装置」、単なるノスタルジー以上に
なにか訴えかけてくるものがあるように感じられます。

【「仏壇」ミッシングリンク論〜日本人のいい家②】

2020-10-09 05:39:07 | 日記

写真は北海道開拓期の「森林伐採」風景。
とにかく鬱蒼たる森林を伐採して農地を開いて行くことが開拓の実質。
森林から変貌の農地は、自然落葉で天然施肥が永年なされていたので、
驚くほどに地味が豊かでもあったという伝聞を聞く。
しかし森林伐採は気の遠くなるような作業であり、
空知地方のように、囚人労働の集中投下で筋道がつけられ
本州で農家技術蓄積のある美濃などの先進農業地域出身者に
優先的に農地が割り当てられた、というような情報もある。
北海道が食糧基地として日本をリードしていることの根源と言われる。
で、北海道に入植応募した人々は故郷では農地を獲得できない
農家の次男三男層が中心だったとされる。
「北海道には仏壇背負って来た人は少ない」という何気ないひと言を
ある住宅研究者から聞いたとき、大きな気付きがありました。
血統的「家意識」からは「仏壇を背負っていない」人々が北海道の多数派。
北海道に移民として応募する最大の目的は、自作農になれる、
自分が土地所有者になれる、というそれまでの日本社会が提供できなかった、
大きな人生飛躍の可能性への希求があったのだといわれている。

わたしの家系は明治末、大正初年に北海道に移民したけれど、
実は広島県から「仏壇背負って」来た一家です。
小樽の港に着岸上陸し空知地方に入植していた地縁者を頼って来た。
ただ北海道で生計が立つかどうか見極めてからということで
「本家」としての伝承の品々は広島県地方の縁戚に「預けて」いたという。
明治期までの日本社会では、家意識、本家意識は強烈な倫理規範であり
メドが立つまで「本家」としての伝来のものは遺しておいたのだと。
(このときの混乱で、いくつもの品々が散逸してしまったとも聞く。)
この「本家意識」というものは、日本人の「いい家意識」に深く関係している。
極言すればそれまでの社会では「家」はハコではなく血統だった・・・。
先祖代々の連綿とした「継続性」が、家の「格式」を表現するという価値感。
わたしはそのような家系の伝承を聞いていたので、ほかの北海道移民も
同様なのではないかという無意識の認識を持っていた。
で、北海道でたくさんの友人・知人たちとの間でこういう話題は
ほとんどしたことがないことに、改めて気付かされる。
「あなたの家はどこから?」という問いに答が返ってこないことが多い。
言いたくない、関心がないを含め、いわゆる伝統的「家意識」の喪失。
それは、北海道移民がほとんど「仏壇背負って来ていない」ことに由来するのだ。

このことが、北海道の住宅の進化にとってかなり大きなファクターだった可能性。
本州出身地の「本家」とははるかに離れて
この地で「フロンティア」として初代を始め(ざるをえなかっ)た意識が濃厚。
たしかに北海道には「代々この地に暮らしている」人間はごく少数。
「代々続く」家のありようから自由であり、多くが新規スタートだった。
日常生活に於いても伝統的ライフスタイルへの執着があまり存在せず、
地域の気候に対しての「環境適合」ファクター価値感がはるかに優先した。
寒いんだからとにかくあたたかい家を、という希求が最優先。
様式的・格式的価値感よりも、生活リアリズム・合理主義がはるかに優先した。
高断熱高気密という日本住宅の「革命」も渇望的に求められた由縁。
この日本伝統住宅と北海道住宅の進化の間の「ミッシングリンク」が、実は
「仏壇背負ってこなかった」ことに大いに関係があるのではないかと思われる。
北海道の住文化解析としては仮説的ですが、
深く納得できる部分があるのではないかと思い続けています。

【宮城水害被災地から2年ぶり「新米」到着】

2020-10-08 05:43:30 | 日記

昨日日中に宅配便到着。
「お」と思っていたら、案の上「新米です」という配達のお兄さんの元気な声。
1回に30kgを頼んでいるので、「重たいですから・・・、どこに運びます?」
という親切な申し出もあったのでストックヤードにお願い。
5k入りで6袋の「宮城県産」の「ひとめぼれ」令和2年度新米であります。

この農家は以前断熱材メーカー勤務の方で仕事関係での深い知り合い。
実家が米作農家で、定年退職後はこちらの農家を営んでいる。
そんなことからわが家の「契約農家」として継続的にお送りいただいていた。
ところが、昨年秋、宮城県で発生の水害で新米出荷直前のお米が被災。
やむなくわが家は1年間、ジプシー食生活を送っておりました(泣)。
やはり知人が作ってくれているという安心感は大きく、
また、味も滋味にあふれていてすっかりカラダに馴染んでいた。
昨年の被災直後には元気づけたいと、仕事で出張の合間に被災地を訪問し、
その被害の状況も見させていただきました。
土手の高い河川流域に面していて、土手の決壊という水害の様子を
まざまざと目のあたりにさせていただいた。
床下に流入した土砂流入の痕跡と、それを乾燥させるプロセスも見学。
コメは作るのに1年間かかる。
首を長くして待っていたところ、先々週にLINEでの「新米刈り取り」の知らせ。
「おはよう御座いますー
雨上がりましたら稲刈りですー
来月から新米ですー宜しくお願いしますー」といううれしい知らせです。
さっそく、「おお、ついに、ですね。雌伏の年月ご苦労様でした。
また30kgづつお送りください。楽しみに待っています。」と返信。

ということで新米の到着であります。
この1年の農家としての苦労などを思いながら、
まずはご苦労に感謝して神棚に上げさせていただいた上で、
ありがたく食させていただこうと、お腹を鳴らしております(笑)。

【日本人の「いい家」意識①/血統拝跪と環境調和】

2020-10-07 05:26:27 | 日記

昨日、ある住宅研究者からヒアリングを受けました。
わたしどもは住宅雑誌を32年以上発行しているのでその経験からお答え。
で、いくつかのポイントが浮かんできましたが、
追ってその研究の進展で当社の誌面にも反映されることが考えられます。
そのヒアリングを受けて逆にいろいろと再発見的な気付きもあった。
そのなかで大きかったのが、日本人にとっての「いい家」規範の変化ぶり。
このテーマでちょっと考えをまとめておきたい、その第1回。

考えてみれば日本人が「注文住宅」ということを経験し始めたのは、
たぶん、戦後の「住宅金融公庫」システム成立以降のように思う。
それ以前の住宅、古民家・歴史的建築物を見学取材する機会が多いけれど、
おしなべて「格式的・様式的」であって、人間表現個性表現的な部分は
その様式の「扱い方・利用の仕方」の範囲ではないかと思う。
このことがよくわかるのが、沖縄の中城に残る「中村家住宅」。
この家は沖縄での戦国武将・護佐丸配下の建築・築城家である中村氏が
中城城を築いた当時、その邸宅として建築されたものと伝承されている。
わたしの大好きな500年近い由緒のある古建築住宅。以下中村家住宅HPより。

〜今から約500年前中村家の先祖賀氏(がうじ)は、琉球きっての築城家として
名を成した護佐丸(中城城主)が読谷から居城を中城に移した時、
共にこの地にその「師匠」として移ってきたと伝えられています。
現存建物は18世紀中頃に建築という伝承。
建築構造は、鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えていますが、
各部に特殊な手法が加えられて独特な住居建築。この遺構は、
士族屋敷の形式に農民の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して
沖縄の住居建築の特色をすべて備える。屋敷は、南向きの緩い傾斜地を
切りひらいて建てられて、東、南、西を琉球石灰岩の石垣で囲い、
その内側に防風の役目を果たす福木を植え台風に備えています。〜
という建物。その主たる建築計画の骨格は中村賀氏の設計と思われる。
沖縄での「愛着ぶり」を見ると住空間の一種の規範だったように思うが、
建築家としての「個性表現」の部分は少なく、環境調和性が際だつ。
環境調和で合理的な建築を作るのがホンモノの専門者という先人の教えかと。

で、戦前までの日本人の住意識では様式・格式へのリスペクトの方が強い。
明治期以降の高級住宅でも、和と洋の違いこそあれ、
どちらも様式への自然な帰依が根強く感じられる。
「いい家」とは、「格式の高い家」「立派な門構え、床の間、庭」という価値感。
たしかに縁側から流れてくる薫風を愛でるとか、
囲炉裏での団欒や、そのぬくもりなどの「居住性」も当然重視されたけれど、
それもまた伝統的スタイルへの無条件の拝跪の念があったと思う。
ただ、茶室という空間には茶人たちの芸術的嗜好性表現はあった。
しかしそれはあくまでも「あそび」の空間であり、
生活空間としては、やはり伝統的規範こそがデザインコードだった。
それは長い日本人の生活史を背景とした「一所懸命」としての「家」意識。
私有的な土地に執着し、家意識のマユに個人が包摂されていた。
タテの血脈伝承装置・血統証明的な「家」意識が最優先されていたのだ。
そういう「マユ」に包まれて生きる価値感が日本人には優勢だった。
しかし、先述のように囲炉裏の切り方・配置の仕方などで、
独特の「感受性表現」はあったし、ハレの間である
床の間付きの和室でもいろいろなその家らしさ表現はあった。
デザインコードに従いながらバリエーションを愉しんでいたのだと思う。
(明日以降も、このテーマ続けます。)

【事務運営費が過半支出:日本学術会議の会計】

2020-10-06 06:02:49 | 日記

時事ネタ、一昨日の日本学術会議テーマの続報であります。
昨日の官房長官発表で日本学術会議の過年度申告会計内容が明らかになった。
以下、産経WEBよりおおまかな各項目毎の経費分類。総額は10億5千万とのこと。
▽人件費などを含む政府・社会などに対する提言=2億5000万円
▽各国アカデミーとの国際的な活動=2億円
▽科学の役割についての普及・啓発=1000万円
▽科学者間のネットワーク構築=1000万円
▽事務局人件費・事務費など=5億5000万円

最後の使途には目を覆いたくなってしまった・・・。
ご存知「日本学術会議」問題。世論としてはほぼ決着がついてしまった感じがする。
この学術会議の予算使途の発表で、ほぼトドメだろう。
国家予算を注ぎ込む組織にしてその活動の本来目的業務よりも
「事務局人件費・事務費」というヤツが主体を占めているというのは完全にアウト。
いかにも国家予算に対する「既得権益」組織そのものであることは明白。
どう弁明しても、本来目的と無縁の自己組織運営費が過半を占めるなど
常識的にありえない。たとえはあまりよくなくてまことに恐縮だけれど
タコが自分の足を食べているという典型的症状。公費のムダの典型そのもの。
もし、「いやそうではない」と言うのなら公的な反論メッセージが発出されるべき。
しかしことが明らかになってから当事者組織からの意見発出はいまだ、ない。
ここは自らに誇りを持っているならば、政府支出の枠外に出て独立の法人に改組し
経済的に政府組織から自立した組織になるべきではないのだろうか。
海外の同様組織はみな「独立性の担保」として政府支出は受けていないとの情報。
ただ普通の組織であれば、自己運営費が過半を占めるというのでは
会計監査以前の「モラルハザード」として、当然出資者・資金提供先から
指弾を受けるのは当然だろうと思われる。
この問題で、朝日新聞などは相変わらず「学問の自由を守れ」的な主張を叫んでいる。
追随するメディアと一部野党がこれからも声を上げていくのだろうけれど、
どうも「またこういうヤツか」という既視感が浮かび上がってくる。
大多数の国民世論とマスメディアの「乖離」の構図。
朝日新聞世論調査での「前内閣実績評価・71%」が記憶に新しい。
薄汚れた「既得権益」に斜め上から目線的な免罪符を与えようとする大手マスコミ。

いつまでこういう建設的でないことがらで国会とか政治が壟断され続けるのか。
いま日本の最大問題は、少子高齢化社会での経済縮小、社会構造転換。
これに社会として備えねばならず、どうすべきかは
国家百年の緊急的事態だと思う。こういうムダに時間を費やしてはいられない。

〜写真は日本史最大の「既得権益」放棄、「国譲り」神話の出雲大社神楽殿〜