三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【コロナ「自閉」打破のリアル情報交換/アース21例会】

2020-10-15 05:22:38 | 日記

北海道では全国を先導するカタチで住宅性能の研究と実践が
歴史的に活発に展開してきましたが、その特徴は「官学民」の交流連携。
まずはあたたかい家を希求するユーザー密着の地域工務店活動があり、
開拓使由来の殖民推進DNAを感じる行政側の施策があり、
それらと連動するカタチで研究者の開発努力が積み重なっている。
こうした、いわば地域総体の「コンセンサス」が基礎にあって、
住宅の性能向上は道内各層を串刺しする意思として共通言語化されていた。
それには活発な「情報交流」活動が強い推進力だった。
今回の新型コロナ禍は、こういった北海道地域の交流活動にも影を落とし、
年6回ほど開催と活発だった地域工務店グループアース21の例会も
ほぼ8カ月間休止せざるを得ず、情報交換機会が毀損させられていた。

その危機に当たって、WEBを活用した情報交換も模索されてきたが、
やはり情報機器・手段活用の面では、個人差がありすぎて、
ツッコんだ意見交換が進みにくい、というのが正直なところ。
それはそうだろう、リアル意見交換なら日本語コミュニケーションさえできれば
自然に自分の意見を発信できるし、他者のホンネも聴ける。
それに対してWEB利用では、まずPC、スマホの使い方から始まって
Zoomの使い方、画面共有の技術差などなど、それぞれクリアは容易とはいえ、
どうしてもスキルに個人格差があって、論議する中身に集中しにくい。
そしてそのスキルは必ずしも各人の情報把握力とは相関もしていない。
また、発表者以外の参加者の「反応」なども大きな情報ファクターだけれど、
WEB環境だけではまったくわからないし、伝わりにくい。
どうしてもリアルとWEBにはコミュニケーションレベルに「ズレ」があることが否めない。
このあたりには「恥の文化」の日本人の悪い面が表出してしまう。
自分の意見発出に当たっても、どうしても制約的になってしまうのが日本人。
1対1ならば、人間的信頼関係があればホンネが言えるけれど、
多数相手にWEBを通してホンネで対話するのは日本人メンタルに似合わない。
WEBセミナーに至っては、ただただ発表者の一方的発表を聴くだけで
参加者の主体的関与が保証されない。ただ聞くだけの時間は耐えられない。
そのうちに予約時間すら忘れるようになって、ほとんど意義を失う可能性がある。

で、今回久しぶりにリアルでの会合機会が実行された。
たしかに通常の例会と比べて出席率は約7割と落ち込んでいたけれど、
やはり人間の表情と声音、そして公式的対話と「ここだけ」会話とが
融通無碍にシンクロするコミュニケーションはまことにストレスがない。
・・・わたし自身もそうだけれど、最近のWEB会話環境では
「表現意欲・パフォーマンス能力」が減衰していることに覚醒させられた。
今回とっさに発言を促されたとき、ふだんなら可能な応答レベルに達しなかった。
知らず知らずものすごく抑制的・自閉的になっていることに驚ろく。
要するに、ひとに自己表現で考えを伝える行為から遠ざかっていたことに気づいた。
無意識のうちに自分のなかで制御が作動していてそこから復元するのに
ある心理の「乗り越え」が必要になっていたと思われるのです。
自分でも「あれ、なんか脳ミソ働きが鈍っているのでは・・・」というもどかしさ。
リアル会話では相手の受け取り方がストレートに「見える」のに、
WEB会話では「ヘンな顔はできないしなぁ」という自制心が強く働いて
その無表情対応が、思考・表現力に悪影響を与えるのではないかと自己分析。

やはりリアルとバーチャルは両輪があってお互いが生きてくる。
コロナ局面ではリアルの情報感度が鈍磨しないよう意識して維持する必要がある。
そういった気付きを得られた、久しぶりのリアル情報交換でした。

【会津45万石「行政庁舎」家老屋敷/日本人のいい家⑥】

2020-10-14 05:33:34 | 日記


「いい家」シリーズで日本人の住空間を考えてきています。
一応テーマは、環境適合とくらしのありよう、みたいなことであります。
環境適合とは地球各地の自然条件のなかで人間が家によって生き延びてきた
そういう側面から住環境を考える視点。
とくに寒冷地北海道を開拓し、殖民を進めたことで日本は
ちょうど西洋文明の全的摂取に国を挙げて取り組んでいた時代と同期して
北海道はまさに「実験的」大地として、住宅も進化させた。
そういう環境適合の視点から、現代住宅の方向性を考えていくもの。
で、もう一方は、人間の生き方とか暮らし方を掘り起こしていく視点。
いわゆる伝統的な文化、様式や格式といった社会性とか、
個人主義が根付いてきて以降の「個性表現」、ライフスタイル表現などが
住宅にどのような足跡を刻印するのかを探るというもの。
とくに新型コロナ禍以降、生き方的な視点に強い関心が出てきていると思います。
その両方の視点を行きつ戻りつ、浮き彫りしてみたいということです。


この写真の建物は住宅、というよりも社宅とか、政庁と分類すべきかも知れない。
会津藩家老屋敷。オモテの石高23万石、実質45万石の藩の
政務一切を取り仕切る家老の政庁であり、居宅でもあった。
ちなみに江戸時代が終わった段階で全国の石高は3,000万石。
日本全体のGDPの1.5%相当の政治経済を運営する政庁。
いまの日本のGDPは540兆円。この時代は商業への税支配は強いとも言えないが
現代に換算すると単純には8兆円、たぶん4−5兆円くらいの財政規模で発生する
いろいろな「公務」がこの役宅で予算組みから決済、管理されていた。
って考えると、この建築の存在理由は自ずと知れる。
家老の個人生活領域も一定の確保はされているけれど、
さりとてそれは「殿様」のようなそれではなく、あくまでも「高級社宅」。
間取りを見ると、事務所的な個室群が多数展開して、
たぶん増築に次ぐ増築で床面積が拡大していったのではないかと想像できる。
このくらいの財政規模で各種の「公共事業」について
起案し、公儀決済のための書類作成し、運用していく作業は
事務所も必要であり各種陳情受付、打合せ対応のための応接も不可欠。
江戸時代のそういうやり取りは、密室での「◎◎屋、おぬしもワルよのう、ぬふふ」
ばかりではなかっただろうことは明らか(笑)。
基本的には江戸時代の「行政庁舎建築」というのが実質なのでしょう。
いまの時代で言えば、各地方での中核的行政庁舎、県庁・都庁などか。
武士という階級がどんなふうにこの時代を運営していたか、
その痕跡を残してくれている建築と考えると面白みが深まってくる。

【囲炉裏の配置/日本人のいい家⑤】

2020-10-13 05:31:14 | 日記

囲炉裏は日本人がながくDNAに刷り込んできた暖房装置。
日本ではこの囲炉裏端が「食遊空間」でもあり続けた。
「家族」という繋がりは人類が進化プロセスのごく初期に選択した
種の維持文化とされるけれど、囲炉裏はそこに根がらみしている。
たぶん夜になって暖を取らなければ休息を取れない熱環境で、
人間の生命が永らえてきた炎への記憶が住空間に存続したのが囲炉裏。
同時にそれは、生命維持のための食にも深く関係してきた。
座卓文化の日本では卓を共有しての食事よりも膳に各人の食器に
食材を盛り付けて食事するという風習が一般的だった。
この囲炉裏を囲んで、各人の膳に盛られた食事を食べるスタイル。
あるいは、囲炉裏の周囲の仕切り木材が膳の代わりにもなっていた。

写真は会津若松の城下「家老屋敷」の台所土間と
板の間の中間に切られた囲炉裏。
囲炉裏はそれぞれの住宅・建物でその配置が工夫されているけれど、
このように土間から連続して、板の間との段差を活かした配置もよく見られる。
ちょうど縁側が簡易な「応接」として家人側が板の間に座り、
客側が土間などから腰だけを板の間にかけて対話する場面とも近似する。
家人側は気遣いして「上がれ」というけれど、
客人側は遠慮しつつ「いえ、こちらで結構です」と謙譲しながら対話する、
というような日本人的な相互信頼的繊細さの感じられるコミュニケーション。
台所土間でも、これよりもさらに気さくなコミュニケーション装置として
このカタチの囲炉裏は人間交友の空間を成立させていたと思われる。
縁側が主人との対話機会とすれば、こちらは奥さんとの対話っぽい。
まことに生命維持により近い生活そのもの空気感がただよう。
夏期以外ではたぶん火が入れられていて、
客人には暖を応接道具として提供し、簡単な白湯、麦焦がしなどがふるまわれ、
興が乗ってくると、あるいは自家製漬物などが提供されたのではないか。
いかにも気兼ねのない人間関係の象徴のように使われる空間。
現代住宅では、こういう人間関係建築装置というのは見いだせない。
なるほど暖房装置は進化し、食卓空間も機能的になったけれど、
しかし対人関係コミュニケーション装置としては、とても敵わない。
玄関というのはいかにも正式な対面であり、それほどでもない日常的な
交友関係、情報伝達関係ではこのような空間が使われた。
コミュニケーションにいくつもの「レイヤー」が存在して
無意識のうちにそれら機能使い分けが社会「礼儀作法」として存在していた。
非常に繊細な「精神文化的」な暮らしようではないだろうか。
想像をたくましくすると、家人も普段はこの板の間の別の囲炉裏などで、
日常の食事は済まされていた。
なので、この土間囲炉裏と板の間の間はこれもシームレスに連続していた。
いわゆる「オモテ」とは違うやさしいコミュニケーションの確かな存在感。

江戸期までは身分制社会であり武家は格式重視の家づくりだったが、
このような「台所空間」では、堅苦しい身分制が
ある程度緩和されたものに変化していたと思える。
日本的「融通無碍」という雰囲気を感じさせてくれる囲炉裏の形態ではないか。

【京都・伊根と北海道「環境」の巨大隔絶/日本人のいい家④】

2020-10-12 05:44:18 | 日記


北海道をベースにして住宅を考えると、自然環境というのは、
冬期の積雪寒冷が最大のテーマであり「暴虐な自然から身を守る」ことが
亜寒帯地域居住での無条件的な希求ということになる。一方で
伝統的ニッポンでは亜熱帯から温帯での自然環境への「最適化」が追究されてきた。

日本人は歴史年代を通して、当然ながら食料生産活動を最重要経済活動として
コメ生産を基本にして生存してきた。その最適地、あるいは多少条件がよくなくても
克服して適地に「変えて行く」発展を全体として追い求めてきたのが日本史の基本。
そのコメ生産が水利の利便性をもとめて河川流域の開発に傾注していって
当然のように周辺平地の拡大へと進化発展し、やがてその集散中心地として
都市が形成されて商業が生まれ、人口集中構造が出来上がっていった。
その人口集積が「労働力」に変容して工業発展も促進されていった。
しかし、この列島は四周を豊かな海で囲まれていて、
縄文的ライフスタイルとしての「漁業採集」型という原初的生活様式も存続した。
日本社会の主流はコメ生産型だったのでこっちの方は、
いわば原初期型「散村」的漁村として列島各地に分散的に形成された。
やがて漁業も大型化して、遠洋などの出漁も進むと集住が大型化して
いろいろな機能を果たす「業業基地」的な都市も形成された。
そのように日本人の「住」を考えてきていたけれど、
写真の「海の京町家」伊根の様子を見て、強く衝撃を受けた。
海との共生ということがタイムカプセル的に存続し、お伽噺のように成立している様子。
温暖地的「環境との調和」というありようをまざまざと目にさせられた。
日本海が大きく湾入りして穏やかな様相を見せている京都府北部に位置。
日本海の「外洋」の風波からはその湾入りが保護してくれている。
歴史年代を通して、大都市・京都と適度な距離(125km)があって遠からず近からず。
経済的交流と独自地域性が両立し得たものなのだろうか。
まるで縄文の世がそのまま一定の都市化も果たしながら
奇跡的に現代まで生き延びてきたようなありようを見せてくれている。

伊根の「町家」群は海に向かって各戸が船の「駐車場」を持って軒を接している。
開口はおおむね海に向かって開かれていて、自家用船ですぐに海のくらしができる。
海生動植物採集という生存条件に忠実に、それが小都市にまで発展進化している。
「いい家」という概念が、非常に直接的に表現されていると。
海という環境に対して、自然に適応して暮らしがあり得た奇跡。
たぶん、北海道的な自然とはまるで違う「環境」意識があるのだろうなと思えた。
太古から続く「自立循環」型のライフスタイルとも言えるのだろうか。
天橋立から車で30分だけれど、歴史年代を通じて一番近い人口集積地・舞鶴などへ
船での交通で行き来してきたに違いない。孤立集落的な感覚はなかっただろう。
こんな奇跡的におだやかな「環境」というものがあり得ることが
北海道人には打ちのめされるほどの衝撃だった。

【朝の気温は8度 彩りが深まっていく北の秋】

2020-10-11 03:37:56 | 日記

写真は朝の散歩路、札幌南西部の山岳地帯から流れ出る小川。
円山のふもとを縁取るように流れ下っている。
左側は円山の自然保護林で、右側は北海道神宮後背の杉林。
札幌の「扇状地形」はこのようないくつもの河川が複合して形成されている。
札幌の南・西側はこのような山岳地帯で、北に向かって扇状地形が広がっている。
で、北の方に流れている石狩川河口に向かって低湿地が広がっていた。
北海道でも最大の平野部が形成されているので、
この地を北海道の首府としたのは先人の知恵としてごく自然だったのでしょう。
南西部側の地盤は、山岳の岩盤の上にあり、
低湿地側に対しては標高も確保されているという立地条件。

朝方の気温がどんどん下がって来ていて、
いかにも「つるべ落ち」的な感じがしております。
散歩時の服装がどんどん重武装化してきている。
いまどきはダウンの内側の薄手の羽毛入り下地をまとってちょうど良い感じ。
本格的ダウンジャケットの手前くらいがピッタリの季節感。
なんですが、ランニングしている人はいまだに短パン仕様という人も見かける。
当方はズボン下にはやや厚手の下着も着込んでいるので、
こういう短パンを見かけると震え上がっております(笑)。

散歩道にはリスたちのうごめきが多数目撃される。
先日書いたように、落果がたくさん落ちているので、
それを越冬用食料として保存確保する作業にかれらは余念がない。
でもかれらは保存した土中の場所を全ては憶えていないので、
結果としては、植生の種延命継続に大いに役立っているのでしょうか。
あまりにも数多くうごめいていて、さらにかれらに餌やりする人もいるので
ほとんど人間を怖れることがなくその距離が非常に近い。
ヘタをすれば気づかずに蹴飛ばしてしまいそうなのであります(笑)。
徐々に落葉も始まっていて、山の色づきも目立ってきている。
ことしは中国韓国の観光客が激減しているでしょうから、
北の秋も本来の静かさで深まってきていると思います。