北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「能舞台=中門」説?

2014-12-24 21:31:14 | 日記
またまた呪術的思考で申し訳ないのですが、私は一時期、「能舞台」は芸能の変遷に伴っ

て、不要になった「中門」が「舞台」として転用されたものではないか?と考えていた時期

がありました。「中門」のついている「書院」が移築されたりするときに、すでにそこで

古式の「儀礼」などが行われることもなくなっていたのであれば、その頃の新興芸能の、

「猿楽」などの芸能集団に、当時のパトロンなどの階級が自分達の楽しみの為に「舞台」

として提供したのではないか?と考えたのです、、、。(そして「書院」からは、「中門」

はなくなってしまうのです、、、。)



もう一度、西本願寺の北能舞台です。




前の記事の写真とは別角度の写真です。




園城寺光浄院客殿の中門です。





間口は京間の3間ですから約6メートルです。(北能舞台は古式?なのか、少し狭いで

す。6メートルは約20尺。ちなみに、大相撲の土俵は昔は直径16尺、今は15尺で4.55m。

僕の好きなボクシングのリングは一辺18フィート~24フィートで5.47m~7.31mです。)


ですが、この話を日本建築に詳しい同級生のK君にしたところ、(彼は、能楽の盛んな北陸

のある街の女子高で、実際に能楽堂の設計施工をしているのです。) 「能楽堂と中門じ

ゃ、作りが全然違うよ(実際は京都弁で「ちゃうでっ!」)、ディテール(建築では部分の

詳細のこと。)が違い過ぎるよ(過ぎるんちゃうか?)。」と言われてしまいました、、、。




デイリースポーツオンライン 2012 0628 より



(K君は札幌生まれの山形市内育ちなのですが、若い時分から京都に行ったら、とても上

手な京都弁を喋るようになって、とても適応順応能力が高いんです、、、。そう言えば

K君の京都の建築会社の大工さん達も、京都出身の大工さんは案外少なくて、北陸だった

り、中国地方や熊本、三河や青森だったりして、水上勉の小説みたいなんです、、、。)


と言う訳で確かに較べて見ると、あちこち随分と違うのです。(残念!)今では一人で勝手

に、この「不思議な説?」を、取り下げております、、、。(「ひょっこりひょうたん島」

みたいに「中門」がドンブラコ・ドンブラコと何処かに流れ着いて行くみたいで気に入っ

ていたのですが、、、。持つべきものは友達です、、、。)





追記  能舞台の解体保存修理報告書などで、中門の連子窓の痕跡とか、落縁の差込み部

    分の痕跡とか、母屋の書院との接続部分との痕跡でも出てくれば、話は別なので

    すが、残念ながら可能性は低そうです、、、。遺構の数も少なそうですし、、。

    (なんて未練がましいんでしょうか、、、。)




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能舞台

2014-12-24 13:20:39 | 日記
いろいろな図面の説明で「舞台」と書きましたが、形状からして、これはどう見ても

「能舞台」のように思われます。(「能楽堂」と呼ばれるようになったのは、明治以降の

ようです。)ですが、「舞殿」とか神社の境内の「神楽殿」も「舞台」でしょうから、

「能舞台」だけが「舞台」ではありません。江戸時代になると、江島さんも通った、芝居

小屋が、江戸の町のあちこちにあったでしょうし、寄席の数も半端ではありません。

(『沖縄の「神の道」つづき』の記事の図の、「カミの道」の脇に「舞殿跡」とありますし

沖縄の「神アシャゲ」が、何のための建物で、その中で誰が何をしていたかは、今一つ

良く判りません、、、。)


沖縄の「神アシャゲ」です。




池浩三さん『祭儀の空間―その民俗現象の諸相と原型 』(相模書房1979年)の図版です。

























下の図の「神アシャゲ」は凄いですねぇー、まるで「中門」のようです、、、。






京都の西本願寺北能舞台です。




現存する最古の能舞台と言われ、1581年頃のようです。西本願寺白書院から観劇?出来るよ

うになっているのですが、私には、「お坊さん」と「猿楽」の組み合わせは良く判りませ

ん。(当時のお坊さん達は、だいぶ俗っぽくなっていたんでしょうか、、、?)北能舞台は、

白書院や黒書院の建物よりは古いようです。(50~75年くらい古い?) 昔の木造建築はかな

り頻繁に「生きほごし」をして、移築や改築を繰り返した例もあるでしょうから、(特に

能舞台は見るからに「生きほごし」が、し易そうです、、、。)北能舞台の方が古くても

不思議ではなさそうです。


(「生きほごし」・・・木造建築で移築なり再利用を前提に、「生きたまま、ほごす」の

意か? 「ほごす」は「ほぐす」で、解体する事? 壊して解体するのではなく、「ほぞ」や

「仕口(しぐち)」などを、そのまま残して解体する事か? 昔の人は機械も無くて木材を

「引き割って」製材するのも、その労力が大変だったでしょうから、ある程度は頻繁に行

われていたのでは?)



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