北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

認識と蓋然 その2

2015-04-16 14:30:45 | 日記
吉村先生は、中谷宇吉郎博士の雪の結晶の話にふれて、設計の最初のヒントなりアイデア

は、空中の塵かゴミに雪の結晶が生成し始めるような感じ、とおっしゃっていたと思いま

すし、村野藤吾さんは、自分が設計に関与して、「村野だから、こう設計した。」と言う

のは、「100パーセントの中の1パーセントくらい」と、やはり、おっしゃっていたと

思います。(お二人とも、なんて謙遜なさっているんでしょう!!!)


「建築教育」の記事の中で


  大勝などしなくて良いのです、半目勝ちは素人には難しくて(素人で半目勝ちは、

  ほとんどの場合、ただの偶然でしかないかも、、、)、100点満点ではなくて、51点

  とか52点でも、上出来という感覚を身につけて欲しい。建築の設計でも、敷地とか

  予算とか工期とか、その時代の職人さんの腕とか、いろいろな技術や材料など

  「相手のある事」なのです。


と書きましたが、この「51点とか52点」は「49.5点とか50.5点」と変えても良いくらい

で、「相手のある事」ですから、設計は、この1点の間で苦労している感じなんです。

(50.0点以下は逆に、建築の場合はマイナスで、これは避けなければなりません、、。

つまり、スイートスポットは50.0点から50.4点で、50.5点は100点満点だから、これは

あり得ない、、、。)


私が建て主さんに、「設計で50.4点なら上出来なんです。」なんて説明したりすると、

「こんな設計士に設計されてしまうのは冗談じゃない」みたいな顔をされて、やっぱり、

商売にならないんです、、、。


住宅会社やハウスメーカーの宣伝に、「理想の間取り」とか「自由設計」などと書かれて

いる事がありますが、あれ、やめてほしいんです。玄関があるだけで「理想の間取り」に

なんてならないんです。(ならないから工夫するんです、、、。そんなものがあるのなら

誰も苦労しません。初期の篠原一男さんの住宅じゃないんだから、、、。)「自由設計」

って、そんなもの、最初から自由な訳ないじゃないですか、、、、。「相手のある事」

なんですってば、、、、。(スーパーで商品をカートの中に放り込むのとは違うんです。

どうも、売る方はクルマのように住宅を売りたいようだし、買う方もクルマのように住宅

を買いたいようで、、、どっちもどっちと言うところなんでしょうか、、、?)



原発の話でも、「想定外」とかって「認識」の話しないで、「熱くなれば融ける」「融け

ればこうなる、、」って、「蓋然性」の話して下さい、、、。(50.0点以上の原発を作る

のって、処理のことも含めて相当難しそう、、。私も、設計士のはしくれなので、、。)


それにしても最近は、「ここは、こだわりたい。」とか「これは、はずせない。」とか、

変な世の中になってきましたねぇー、、、、。



追記  実は「樹木」と言うのは、もっとも安定した、美しい、汎用性のある、安全な、

    いろんな意味でバランスのとれた、エネルギーの保存方法の一つの形なんですね

    、、、。人間の知恵なんて、まず、神様の知恵には、敵いそうにありません。










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認識と蓋然 その1

2015-04-16 11:17:21 | 日記
なんか、凄く難しそうなタイトルだ、、。(大丈夫か知らん、、、?だけど書いてみよう

、、、。「○○○○と○○○○」のシリーズって事で、、、。)

「認識」はいいとして、「蓋然(がいぜん)」は「認識」の反対語らしい、、、。

「蓋」は「けだし」で、「然」は「しかり」かな?(なにかの漢文?)

英語にすると、「認識」はrecognitionで、「蓋然」はprobabilityでいいのかな?

「認識」の方は、このごろの「釈明会見」?などで、「認識していませんでした、、。」

などと使われたりするようですが、「蓋然」の方は、あまり「話し言葉」として使われる

事は少ないようです、、、。(あまり馴染みもないだろうし、そもそも釈明にはそぐわな

いのかも、、、。「そんなの当たり前だろう!」と開き直られても困りますよね、、。)

「蓋然」の方は、「物事の道理で行けば、こうなれば最後はこうなりますよねっ!」くら

いの意味でしょうか?(もしくは、そうなる可能性が非常に高いとか、、、。)

ところが、「認識」の方は説明しようとすると、これが案外むずかしい、、、。(普段、

聞き慣れている言葉のはずなのに、、、。)「認める事」「気付く事」「理解する事」と

言われても、「なんのこっちゃ?」ですよね、、、。

でも、「認識」を「私の気持ち」「僕の気持ち」って読み替えたらどうでしょうか?

「私は○○は嫌なの!」「私は○○したかったの!」「私は判らなかったの!」つまり、

全部「私は、、」なのですが、これって「『だいふみ』さん」の記事で言うと「天動説」

の人って事になると思うんですけど、どうやら

    
      認識の人=天動説の人

      蓋然の人=地動説の人


って事にはならないでしょうか?(相変わらず乱暴でスイマセン、、、。でも、凄い大工

さんって、もの凄く頭がいいんです、、、。「世界の中心で何とかを叫ぶ」とか言うタイ

トルの本が随分と売れたようですけど、、、?? 読んでないけど、、、タイトルだけで

読む気がしない、、、。著者の方、スイマセン、、、。)

「大奥」の記事の「追記の追記の追記」に


  「でも、設計って、こう言う地道な思考、作業の積み重ねなんです、、。」


と書いた「積み重ね」って、「蓋然性の積み重ね」かも知れないんです、、、。

多分、おそらく、設計と言う作業の99パーセントは、この「蓋然性の積み重ね」で、

残りの1パーセントが、「あーしたい」「こーしたい」の認識の部分かな?と感じていま

す、、、。(人によって、このパーセントの割合は違うでしょうけど、、、。)

じゃ、残り1パーセントだから、「認識」はどうでもいいかと言うと、そうではなくて、

逆に凄く大事なんです、、、。

せっかくコツコツ設計して、最後の最後の「色決め」で失敗すると、全てが台無しになる

事があります。「色」の場合は、大部分が経験と感覚の問題でしょうから、(とは言いな

がら、それはそれで色々な考え方も問題もあるのでしょうが、、、、) 労力とか作業と

言う意味では、それほどの比重ではないのかも知れませんが、出来上がりに及ぼす影響は

決定的なような気がします、、、。(「色」と言っても「色即是空」じゃありませんけど

この世の形あるものは全て「色」がある訳で、「色」を決めると言う事は、材質もなにも

全てを決める事になってしまうんですけど、、、。最近は工業製品の製品番号だったり、

日本塗料工業会の塗料番号だったりして、「何だかなー?」なんですけど、、、。)



           長くなったので、 認識と蓋然 その2 につづきます、、、
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