北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

土佐源氏 その2

2015-04-24 02:48:13 | 日記
宮本常一さんは、武蔵野美術大学で民俗学の先生をしていました。武蔵美の建築の学生

さんも教わったはずですし、いまでも武蔵野美術大学には、宮本常一さんの膨大な民俗

資料が保管されているはずです。香月洋一郎さんは、一橋に入ったのに、近くの武蔵美の

宮本常一さんに師事して、「景観のなかの暮らし](未来社)という本を書いています。


景観のなかの暮らし



とてもよい本です。


わたしも、神田に「あるく・みる・きく」のバックナンバーを買いに行きました、、。

(「あるく・みる・きく」は近畿日本ツーリストで香月洋一郎さんらが編集していた一種

の広報誌?日本の企業にまだまだ余裕のあった頃の話、、、?)



「土佐源氏」は柳田国男の「遠野物語」と比較されて、柳田国男には「笑い」や「性」の

視点が、あえて扱われていないが、宮本常一の「土佐源氏」は、云々、、、などと言われ

たりする事もあるようなのですが、、、私には良く解りません、、、。。


私は、「土佐源氏」からは、このブログの「マンションと言えば、、、(脱線)」の「沢田

マンション(沢マン)」を、思い出してしまうのです。(なんせ設計士ですから、、、。)



沢田マンション(沢マン)




この沢田マンション(沢マン)の、なんとも言えない「おおらかさ」は、「土佐源氏」と、

どこかで通底していないでしょうか?(この記事は「土佐源氏と沢田マンション」にすれ

ば良かったかな?)


沢田夫妻は、それまで木造の建売りや不動産などは扱っていたようなのですが、ある時、

最近高知にも建ち始めた鉄筋コンクリートの「マンション」もいいなぁーと思って、沢田

マンションを地下を掘って建て始めたらしいのです、、。(重機のオペレーターやダンプ

の運転も自分たちでやったのかな、、、?)ところが、どうも高知市役所の建築指導課に

確認申請の手続きも、したか?しなかったか?で、(それまでは、都市計画区域外の物件

ばっかりだったのかな、、、?)鉄筋の配筋も、構造計算をしたか?しなかったか?で、

「あそこの建物であのくらい入っていたから、うちのはそれより多く入れておけば大丈

夫?」で作り始めちゃったみたいなんです、、、。(詳細は不明、、。)

高知市役所の建築指導課も指導課なのですが、建ってしまってから問題視したらしく、騒

ぎにはなったらしいのですが、その頃には建築の専門家のシンパも現れて、後追いの構造

計算までしてくれて、今では誰も何も言わなくなってしまったみたいなんです、、、。

これって、明らかに、おおらか過ぎませんか、、、?(僕なんて、確認申請の時は、毎度

ハラハラドキドキなんですけど、、、。事前着工なんてしたら死んでしまいます、、。)





                     土佐源氏 その3 に続きます、、、

コメント
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