このFuggerei(フッゲライ)、古いといえば相当に古いどころでなく、とんでもなく古い
1514年から1521年ごろという建設期間は、日本で言えば応仁の乱が1467年に終わって、
室町幕府の最後の頃、、、。(つまり、もう500年も経っているんですね、、、。)
Fuggerei(フッゲライ)を作ったのは、アウグスブルクのフッガー家(Fugger)の
ヤーコプ・フッガーさん(1459-1525年)、61才のとき、還暦過ぎ。亡くなる5年前。
フッガー家は、当時のヨーロッパでは、イタリア・ルネッサンスはフィレンツェの
メディチ家にも並び称されたと思しき南ドイツの大富豪。
ヤーコプ・フッガーさん (絵を描いたのはアルブレヒト・デューラーさん)
成る程、この絵を見ても、なんだか、とても良さそうな方に思えます、、、。
1550年頃?のアウグスブルク。(右が北)
中央の左下にFuggerei(フッゲライ)すでにあります。
1800年頃?のアウグスブルク。(右が北になるように180°反転させてあります。)
だいぶ周囲が建て込んできています。
Fuggerei(フッゲライ)の西側(この絵のだと上)の疎水は、今でも流れているようです。
冬のFuggerei(フッゲライ)
入ってすぐ左は教会でしょうか?右はポケットパークのように凹んでいます。突き当たり
の白い三角は水盤の冬の養生とおもいます。
Fuggerei(フッゲライ) その3 につづきます
追記 28′30″あたりに フッガー家 出て来ます。
山田五郎さん、
カトリック → 第一次産業
プロテスタント → 第二次産業・第三次産業
と解説していますが、、、
カトリック → 農民 ( 地主・土地持ち )・差別層 (領主・貴族・聖職者など?)
プロテスタント → 職人(網野義彦さん的な広い意味で、、、)・漁民・被差別層
と置き換えて、考えてみたら駄目でしょうか、、、?