5月5日(木)夕
しばらく休んでしまったが、以下の続きを書く。
ニュートンスペシャル
ワーストケース 東京壊滅 巨大地震
PART2 火災 ワーストケース
震度7、午後6時半発生のケースをシミュレーション(第6項)
★6.東大震災で避難場所だった被服廠跡で3万8000人の被害を出した火災旋風
関東大震災で避難場所だった被服跡で3万8000人の被害を出した火災旋風
1923年の関東大震災のときには,本所にあったわずか10万平方メートルほどの広さの
被服廠跡だけで,約3万8000人もの死者がでました。
これは大規模な火災によって発生した「火災旋風」
が一つの要因と考えられています。
火災旋風とは,大規模な火災のときにはしばしば発生する,
火炎と火の粉をはらんだ竜巻のようなものです。
大震災をもたらした巨大地震は,午前11時58分ごろに発生しました。
その直後から,本所周辺の人々は被服廠跡に避難しはじめました。
続々と避難者はふえつづけ,午後4時ごろには避難者の数が
約4万人にもふくれあがっていたのです。
人々が被服廠跡に避難しているとき,地震直後から発生しはじめた火災は,
被服廠跡に北側,南側,東側の3方向から徐々にせまってきていました。
被服廠跡で火災旋風が発生したのは,午後4時ごろのことでした。
そのころには被服廠跡の3方向を,火災が「コ」の字形に囲んでいました。
そして西側にも北からせまってきた火が燃え移ろうかというときでした。
日本気象協会参与の山下邦博氏は被服廠跡で火災旋風がおきた要因の可能性として,
①コの字形に火災がおきていたこと,
②かなり強い風がふいていたと考えられること,
③すぐ近くに隅田川があったこと,の三つを指摘しています。
「コの字形の建物などに特定方向から風がくると,渦が非常に発生しやすくなります。
火災がコの字形に発生していると,それによって生じた上昇気流が同じようなはたらきをすることがあります。
渦の発生には,上昇気流に打ち勝ってしまわない程度の適度な速さの風が必要です。
また川の上と陸地とでは横方向の風に強弱があり,その強弱が渦の発達を促進した可能性があります」(山下邦博氏)。
そしてその渦が火災旋風に発達したのです。
関東大震災のときの火災旋風は,東京や横浜でほとんど被害をもたらさなかった小さなものも含めて100個以上発生したといわれています。
火災旋風の発生や移動の仕方は,はっきりしたことはまだ分かっているわけではありません。
しかし木造家屋が密集していて火災が大規模化すれば,つねに火災旋風が発生する可能性があるのです。
*** ここからキャプション(図中文字) ***
午後3時
午後3時ごろの被服廠跡周辺での火災のようす。
地震直後から発生した火災が,被服廠跡に徐々に迫りつつあった。
午後4時
午後4時ごろの被服廠跡周辺での火災のようす。
南北と東の3方向で,火災に取り囲まれたような状況になっていた。
このような状況の中で火災旋風が発生した。
***********************************************************
★関東大震災を7歳の時経験した親父が
小さな地震にも怖がった事を思い出すが・・・
結構トラウマが酷かったようだ!
”畑にいて稲の穂が波打ってきて、更に地が割れて水が噴き出した!”と 言っていた。
私たちも備えねばいけない!今は非常品をバックに入れてあるだけ・・である・・
しばらく休んでしまったが、以下の続きを書く。
ニュートンスペシャル
ワーストケース 東京壊滅 巨大地震
PART2 火災 ワーストケース
震度7、午後6時半発生のケースをシミュレーション(第6項)
★6.東大震災で避難場所だった被服廠跡で3万8000人の被害を出した火災旋風
関東大震災で避難場所だった被服跡で3万8000人の被害を出した火災旋風
1923年の関東大震災のときには,本所にあったわずか10万平方メートルほどの広さの
被服廠跡だけで,約3万8000人もの死者がでました。
これは大規模な火災によって発生した「火災旋風」
が一つの要因と考えられています。
火災旋風とは,大規模な火災のときにはしばしば発生する,
火炎と火の粉をはらんだ竜巻のようなものです。
大震災をもたらした巨大地震は,午前11時58分ごろに発生しました。
その直後から,本所周辺の人々は被服廠跡に避難しはじめました。
続々と避難者はふえつづけ,午後4時ごろには避難者の数が
約4万人にもふくれあがっていたのです。
人々が被服廠跡に避難しているとき,地震直後から発生しはじめた火災は,
被服廠跡に北側,南側,東側の3方向から徐々にせまってきていました。
被服廠跡で火災旋風が発生したのは,午後4時ごろのことでした。
そのころには被服廠跡の3方向を,火災が「コ」の字形に囲んでいました。
そして西側にも北からせまってきた火が燃え移ろうかというときでした。
日本気象協会参与の山下邦博氏は被服廠跡で火災旋風がおきた要因の可能性として,
①コの字形に火災がおきていたこと,
②かなり強い風がふいていたと考えられること,
③すぐ近くに隅田川があったこと,の三つを指摘しています。
「コの字形の建物などに特定方向から風がくると,渦が非常に発生しやすくなります。
火災がコの字形に発生していると,それによって生じた上昇気流が同じようなはたらきをすることがあります。
渦の発生には,上昇気流に打ち勝ってしまわない程度の適度な速さの風が必要です。
また川の上と陸地とでは横方向の風に強弱があり,その強弱が渦の発達を促進した可能性があります」(山下邦博氏)。
そしてその渦が火災旋風に発達したのです。
関東大震災のときの火災旋風は,東京や横浜でほとんど被害をもたらさなかった小さなものも含めて100個以上発生したといわれています。
火災旋風の発生や移動の仕方は,はっきりしたことはまだ分かっているわけではありません。
しかし木造家屋が密集していて火災が大規模化すれば,つねに火災旋風が発生する可能性があるのです。
*** ここからキャプション(図中文字) ***
午後3時
午後3時ごろの被服廠跡周辺での火災のようす。
地震直後から発生した火災が,被服廠跡に徐々に迫りつつあった。
午後4時
午後4時ごろの被服廠跡周辺での火災のようす。
南北と東の3方向で,火災に取り囲まれたような状況になっていた。
このような状況の中で火災旋風が発生した。
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★関東大震災を7歳の時経験した親父が
小さな地震にも怖がった事を思い出すが・・・
結構トラウマが酷かったようだ!
”畑にいて稲の穂が波打ってきて、更に地が割れて水が噴き出した!”と 言っていた。
私たちも備えねばいけない!今は非常品をバックに入れてあるだけ・・である・・