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Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

骨波田の藤

2011-05-12 17:33:00 | 日記
5月12日(木)夕

カミさんは特に仲の良かった同じ年の友達だった方の
お墓参りに仲間の奥様方と出かけた。(今年は女性陣が出かけた!
(誘われなかった・・ランチか?)
 2年前に癌で亡くなって多いにショックを受けた。一時は落ち込みが酷かった。
今はようやく旦那も交えて時々食事会をする様になった。
子供会の時からの夫婦一緒のお付き合いが4組で続いていたが残念。
兎に角明るい方だった。

そんな訳で雨の降らない空を観ていても仕方ないので11時頃からぶらりと
本庄市(旧児玉群)の長泉寺(骨波田の藤)を見に出かけた。





花房の長さがもう少しで1Mになりそう。ここの藤は素晴らしい。
毎年立ち寄っている、カメラロケーションがとても良いので・・・。

丁度、俳優の清水省吾氏が絵の展示会を本堂で開いていた。
奥さんの清水ハルマンさんは不在だった。


ハルマンさんの特徴ある絵。値段が高くて手が出ない!
妻沼から本庄に移りすんでもう何年だろうか?

現役時代にリーダクラブという若手従業員で作る会が社内にあり
活動は年何回かリーダに必要な企画を立て講師をお呼びする。

私が会長の時、清水省吾さんに講演を依頼し快くお引き受けいただき
撮影現場の事や女優さんの話など聞いた覚えがある。

今回、平日とあってあんまり人もいないので、少々話し込んだ!
彼は私の事など覚えてはいないが、講演に来ていただいた事は
鮮明に覚えていたようだった
(演技がうまいから良くはわからないが・・)
今本庄を舞台にした映画を井上順ちゃん他結構な有名人と撮ってそれを公開中とのこと。

題名が”JAZZ爺MEN”
上映は13日の明日まで上映は”ユナイテッド・シネマウニクス上里”でとチラシにあった。


天候がよければ冴えた絵になったろう思うがクリックしてみてください。
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二つの大震災(もう一つの時間)

2011-05-12 10:09:52 | 日記
5月12日(木曜日)

晴耕雨読といえども雨の日の本読みは長くは続かない。
基本的にじっとしているのは苦手である。
でも昨日は長田弘氏の本を読んで、今回の地震と比較してしまう
文章があったので気を引いた。少し文章を転記する。・・・原文通りではないが!


子どもたちの日本 長田弘
をめくって目に飛び込んできたのが次の項目であった。
 (講談社:2000年6月30日第一版)とある。

二つの大震災の項

1995年1月神戸・淡路地方を大震災が襲いました。

その時、震災が突然に出現させた、もう一つの時間の光景を覚えています。
明石の標準時間を刻む時計が壊れ、ほぼ1ケ月、この国の標準時間は刻まれないままでした。

震災に遭ったさまざまな人が・さまざまな人生のさまざまな時間を、
大震災は一度にさまざまに止めてしまった。


直後に一日の時間について
被災した人々が・口にしたのは、一日の時間の長さの感覚が全く違ってしまった。
・・・・・・・・
刻々とニュース映像は見える事実を生々しく伝え続けていましが
どんな映像よりも生々しく伝わってきたのは、そのときそこで人々のうちに時間が壊れたままになっているという、見えない、しかしはっきりした心的事実です。

自明だった時間感覚が消え去って身体ごと全く思いもしなかった断ち切られた時間の中に
ばらばらに放り出されたような むやみな感じ・自分の感覚を伝えられないもどかしさ・
とまどうばかりの感じ・在るべき一日の時間感覚が亡くなっていて目の前にあるのはどうにもならない時間の感触だけ・・刹那の感じ。


災害は人の人生の時間を裏返しにします。人生の裏地をなすもう一つの時間を引きだします。
応分の時間のなかに普段は気付かないもう一つの否応ない時間が潜んでいる。
災害は否応なしに私たちの内にひっぱりだすのは、そうしたもう一つの時間に対する自覚です。

1923年9月東京・南関東を襲った関東大震災

短いけれど記憶すべき証言を東京が故郷である芥川が大震災で
めちゃめちゃになった街で目撃したのは大凡思いもしなった時間の景色でした。

やっと、静まったのち、屋外に避難した人々は急に人懐かしさを感じ出したらしい。
向三軒両隣、親しそうに話し合たっり煙草や梨をすすめ合ったり、
互いに子供のお守りをする景色は渡辺街・田端・神明町=――――の至るところで見受けられたものである。

殊に田端のポプラ倶楽部の芝生に難を避けていた人々などは背景にポプラ
の戦(そよ)いでいるせいか、
ピクニックに集まったかと思うくらいいかにも楽しそうに打ち解けていた。


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そして思いがけない鮮烈な印象をこう書き続けます。

“いつにない親しさ”
に満たされた“兎に角美しい景色”
だったことを坦々と認めています。

そして“市民たちよ!”否定的精神の奴隷になること勿(なか)れ“
と訴えています。

震災が容赦なくもたらしたものは灰塵の下の瓦礫なす街でした。

時間が壊れた。そして
それまで目にすることのなかったもう一つの時間にみたされた町が現れた。
芥川が“美しい景色”としたのはもう一つの時間に満たされた東京の、その景色です。
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今回(2011.3.11)の東日本大震災を芥川氏がもし生きていたらなんと表現するだろうか?
長田氏はこれから書かれるだろう・・・か?

ただ、芥川はこれを書いた時(1923年)瓦礫の街を歩き回ってから
わずか4年後(1927年)に自殺している。****************************************************************