8月26日(金曜日)
リビアのカダフィ政権が実質崩壊した。
一国の独裁政治のTOPであっても、ズーット大佐を名乗っていた理由を知ったのは
十数年前であるが、当時は別に詳しく知らなくても良かった。しかし
2007年にエジプトに行った時にこの近辺の国に興味が湧いたのも事実で
遅ればせながら、色々近隣諸国の事を調べてみた。
特に、チュニジアにはカルタゴ要塞の遺跡もあって行きたいと思っている。
行きけるかな?
少し調べた、リビアのカダフィ大佐の事を記す。
**********************************************
2003年の年末に、フセインが逮捕。
そんな中、ついにリビアのカダフィ大佐が、
鎖国的な今までの方針から転換。
2003年12月19日、ブッシュ大統領はホワイトハウスで声明を発表し、
9カ月にわたる米英両国との交渉の末、
リビアがすべての大量破壊兵器の廃棄を約束、
国際機関による即時かつ無条件の査察受け入れに合意したことを明らかに。
リビア政府も同日、自らの意思で廃棄を決定したとの声明を発表し、
カダフィ大佐が「勇気ある行動」と自画自賛し、
「北朝鮮なども大量破壊兵器を手放すように」と迫る、
というような状況になりました。
しかし、
このカダフィ大佐。
大佐なのに、なんで偉いのか?
そもそも、この人何者?
と言うような人も多くいらっしゃることではないでしょうか?
***
カダフィ大佐の本名はムアマル・アル・カダフィ。
1942年9月にリビアの遊牧民カダファ族の1人として生まれました。
彼は、アラブ民族主義を説き、
52年エジプト革命を起こしたエジプトのナセル陸軍大佐、
革命後に大統領の思想に共感し、
自らもリビアに於いて69年9月、無血クーデターで国内掌握。
以後、リビア最高指導者として君臨し、
色々な役職に就いていますが、
79年からは、全ての行政上の役職を放棄。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
では、肩書きはどうするのよ、と言えば、
ナセルの「大佐」に憧れ、それ以後カダフィ大佐を名乗り、
引き続きリビアのトップとして君臨しています。
そんなわけで、カダフィにとって、「大佐」という肩書きは、
自分が尊敬する人物の輝かしい地位であるわけです。
ちなみにカダフィ自身は革命当時、陸軍大尉でした。う~ん
以下。参考です。
===============================
政権をとるまで・・・
リビア地域は、
古代はフェニキア人植民地→カルタゴ→ローマ帝国&東ローマ・ビサンツ帝国→
イスラム・アラブ系の色々な国→オスマン・トルコ帝国と支配者が次々と変わり、
1912年にイタリアが占領します。そのため、第2次世界大戦では
激戦地の1つとなり、戦後、フランスが統治。
1949年にはリビアの独立が決定し、
1950年に有力なキレナイカ部族首長で、
この地域で大きな影響力のある
イスラム教サヌーシー派指導者
・ムハンマド・イドリース・アッサヌーシーが、イドリース1世として国王に任命。
51年に憲法発布&独立の宣言、
52年には選挙の実施&アラブ連盟へ加盟、
55年に国際連合加盟と、国際社会の一員として登場していきます。
ところが、そんな動きを苦々しく見ていた
青年将校達が、1969年9月1日にクーデターを決行。
トルコで療養中の国王イドリース1世を追放し、
当時28歳のカダフィ陸軍大尉(→議長)を
中心とする社会主義政権が誕生しました。
それもインターネットネットの急速な普及と利用で
民衆は目覚めて内戦勃発。古い体制は皆壊れていく。
中国は?どう変化するのか?
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リビアのカダフィ政権が実質崩壊した。
一国の独裁政治のTOPであっても、ズーット大佐を名乗っていた理由を知ったのは
十数年前であるが、当時は別に詳しく知らなくても良かった。しかし
2007年にエジプトに行った時にこの近辺の国に興味が湧いたのも事実で
遅ればせながら、色々近隣諸国の事を調べてみた。
特に、チュニジアにはカルタゴ要塞の遺跡もあって行きたいと思っている。
行きけるかな?
少し調べた、リビアのカダフィ大佐の事を記す。
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2003年の年末に、フセインが逮捕。
そんな中、ついにリビアのカダフィ大佐が、
鎖国的な今までの方針から転換。
2003年12月19日、ブッシュ大統領はホワイトハウスで声明を発表し、
9カ月にわたる米英両国との交渉の末、
リビアがすべての大量破壊兵器の廃棄を約束、
国際機関による即時かつ無条件の査察受け入れに合意したことを明らかに。
リビア政府も同日、自らの意思で廃棄を決定したとの声明を発表し、
カダフィ大佐が「勇気ある行動」と自画自賛し、
「北朝鮮なども大量破壊兵器を手放すように」と迫る、
というような状況になりました。
しかし、
このカダフィ大佐。
大佐なのに、なんで偉いのか?
そもそも、この人何者?
と言うような人も多くいらっしゃることではないでしょうか?
***
カダフィ大佐の本名はムアマル・アル・カダフィ。
1942年9月にリビアの遊牧民カダファ族の1人として生まれました。
彼は、アラブ民族主義を説き、
52年エジプト革命を起こしたエジプトのナセル陸軍大佐、
革命後に大統領の思想に共感し、
自らもリビアに於いて69年9月、無血クーデターで国内掌握。
以後、リビア最高指導者として君臨し、
色々な役職に就いていますが、
79年からは、全ての行政上の役職を放棄。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
では、肩書きはどうするのよ、と言えば、
ナセルの「大佐」に憧れ、それ以後カダフィ大佐を名乗り、
引き続きリビアのトップとして君臨しています。
そんなわけで、カダフィにとって、「大佐」という肩書きは、
自分が尊敬する人物の輝かしい地位であるわけです。
ちなみにカダフィ自身は革命当時、陸軍大尉でした。う~ん
以下。参考です。
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政権をとるまで・・・
リビア地域は、
古代はフェニキア人植民地→カルタゴ→ローマ帝国&東ローマ・ビサンツ帝国→
イスラム・アラブ系の色々な国→オスマン・トルコ帝国と支配者が次々と変わり、
1912年にイタリアが占領します。そのため、第2次世界大戦では
激戦地の1つとなり、戦後、フランスが統治。
1949年にはリビアの独立が決定し、
1950年に有力なキレナイカ部族首長で、
この地域で大きな影響力のある
イスラム教サヌーシー派指導者
・ムハンマド・イドリース・アッサヌーシーが、イドリース1世として国王に任命。
51年に憲法発布&独立の宣言、
52年には選挙の実施&アラブ連盟へ加盟、
55年に国際連合加盟と、国際社会の一員として登場していきます。
ところが、そんな動きを苦々しく見ていた
青年将校達が、1969年9月1日にクーデターを決行。
トルコで療養中の国王イドリース1世を追放し、
当時28歳のカダフィ陸軍大尉(→議長)を
中心とする社会主義政権が誕生しました。
それもインターネットネットの急速な普及と利用で
民衆は目覚めて内戦勃発。古い体制は皆壊れていく。
中国は?どう変化するのか?
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