馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

朽ち果てる

2010-03-07 13:12:15 | 日記
3月5日(金) 午後6時半事務所に、学生時代同期の 元新聞社支社長と食道癌の彼が
やってきた。4時ごろから居酒屋巡りで浅草馬券売場近くの屋台で飲んでいた。
事務所内で焼き鳥 刺身を買い 発泡酒 日本酒で9時まで飲む。
浅草橋より癌の友人と総武線に乗る。
呼吸が苦しそうで車内の人が見やるほどだ。
少しよろけるので私が支えた。
下車して川沿いの道歩くが足取りはおぼつかない。
腰を支えて彼の住まいの扉開けると
崩れるように玄関で仰向けに倒れる、荒い息遣いと目が白黒激しく動く。
直ぐ携帯で119電話 遅い、来ない。
携帯が鳴る、違うマンションに行ったようで河口のリバーサイドだと
告げ、玄関道路で待ち構える。
男二人女一人の救急隊員、
部屋に入る前に、「末期癌で声出せない、独身 61歳
 余命は一年以内」であると告げる。
治療中の癌センターに運ぶべき 荒い息遣いの彼に
言うが、首を振って拒否、私も隊員も説得するが
ダメ 妹さんに携帯電話で告げるが しゃべれないので
会話が成り立たない。
救急隊員も医療行為は禁止されている。
一同 なす術無しで時間は過ぎる、隊員が上半身を起こし
ガーゼ、バンドエイド 鏡、包帯を見つけ
彼が喉の開口部を大きく開け処置する。
やっと呼吸が楽になり、ベッドに運ぶ。
彼は寝れば大丈夫だとジェスチャーで示す
救急隊は彼に サインさせて引き上げる。
寝入る彼の部屋に両親の仏壇と遺影
毎日 線香をあげているのだろう灰と一輪挿しがある。
61歳の男やもめの2DKの住まいは塵一つ無く
清潔で整理されていた。
3階角部屋からは河口と水門が見え
ベランダから釣りが出来るほどの近さだ。
静かな寝息になったので
明かりを消し 鍵かけず私の自宅に帰った。
午前1時半着

3月6日(土)午前10時首の治療のため日本橋に向かう
 10分首をベルトで持ち上げる。
少しだが痛みが取れだしたようだ。
昼、柳橋事務所で前夜の飲食の残骸片付けと書類整理
2時半帰途 船橋駅下車、3時飲み屋横丁を
通ると3時からオープンする居酒屋を覗く
半楕円カウンターの奥にやはり、あいつはいた。
これから、私は診療所で診察を受けるから
その後 来るからと告げる。
診療所で薬だけ貰うつもりだったが
3ヶ月も経過しているので 診察させられた。
肛門の具合を調べられて順調に快復しているが
2ヶ月に一度医師が指で肛門を広げる必要があると言う。
治療終わり 居酒屋へ
サワーを4杯 煮込み、いわしフライ、マグロぶつを食べる。
余命少ない彼に飲むなと言えず、又一人酒も寂しいから
付き合うが、心は晴れない。
5時半 川沿いの道を歩き帰るが
63歳の生涯で飛んでもないことが起きる。
お腹が動き出したが肛門が閉まらない
冷たいサワーと肴が腸を刺激したのだろう
脱糞したのだ。
先ほど 診療所で医師が肛門に指入れて
拡げた、そのまま筋肉がコントロールできないのだ。
ショック こんな痴呆爺みたいなことが
自分の身に起きてしまった。
昨日倒れた彼の住まいに行く
妻に電話して衣類を持ってきてもらう。
彼の住まいのトイレとシャワーを借りる。
すっかり意気消沈
着替えを済ませ 彼と妻との3人で
行き着けの飲み屋で妻のために食事
当然 我々は飲んだ。
居酒屋のオヤジに驚くべき事を告げられる。
彼が倒れた当日、3時ごろに先ほど行った飲み屋で飲んでいたとのこと
それから浅草まで来て屋台で飲み
更に柳橋の私の事務所で飲んだことが判明
これでは 常人だって倒れる。
ビヤーホールチェーン大手の支配人をしてきたので
35年間 食べるより飲むのが仕事だから
酒も給料のうちとばかり退職するまでを換算すると
3千万円はただ飲みしていた計算
家庭料理も食べず 只ひたすら味付け濃い肴と酒 煙草
食道癌一直線だった。

中国の諺
若い時は 人間が体イジメ
老いては 体が人間イジメル

3月7日(日)午前10時 彼からメールが入る
「昨日は飲みすぎた。部屋のおまえのベルトが置いてあった」
と書かれていた。

返信メール 「申し訳ない 7時半いつもの飲み屋に持って来てくれ」
やれやれ 今夜も人騒動だ。
すこしづつ朽ち果ててゆく私達
窓辺に小雨降る中でショッピングセンター入る
車誘導する団塊オジサンが震えて誘導灯を振っている。
60歳幸せな人達はいるのだろうか