馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

高架下の老人と年金との関係

2010-09-05 20:36:13 | 日記
先々週のある日、毎朝の通勤路の途中、京葉道路高架下は日陰で船橋港から浜風吹き抜け、涼むには絶好の場所だ。
その日陰には二三人の老人かいつもいて何やら話している。先週急ぎ足で日傘を差して通り過ぎようとしたら老人の一人に話しかけられた。「あんたそんなに急いで何している」。
私は老人に近寄り「あんたら歳幾つ」と尋ねた。老人達は無言。ぼーっと私を見つめる。私は老人に言う。あんたらがこうやつて働かなくとも一日中、日がな涼む事出来るように社会保険払いあんたらに支給されれる年金のほんの少しお手伝いしています。
「暑いね・それじゃ行って来ます」。たぶん近くに住む引退した漁師だろう。
振り返ると私を茫然と見ている。
それから、毎朝 高架下を通ると老人達(私も同じだが)は
私が通ると木陰のセミが人の気配がするとぴたっと鳴き止むがごとき
話止め、固まってしまう。
それが可笑しくて通り過ぎるたびに偲び笑いしてしまう。
老人達は私の事一寸頭変なオジサンと思っていて
関わりたくないのだろう。
私はまだまだ老人達の余裕ある日々には至らない。
5日、日曜日だが展示会で使うコンセントを柳橋事務所にわすれてきたので
午後から日傘に短パン、ユニクロのポロシャツで取りに行った。
高架下に老人達はいなかった。


日傘

2010-09-05 12:53:54 | 日記
朝の通勤路は船橋港埠頭抜けて京葉道路高架下を通り船橋駅に行く。強烈な陽射しを防ぐために妻の古い日傘を差している。これがとても良い。汗の出具合が少なくなった。船橋駅まで約二キロ着く頃には全身汗まみれ、日傘差したら、かなり少なくなった。船橋駅から総武線快速で新日本橋駅下車、病院で治療して昼飯の食材を買い物して柳橋事務所に行く。この間約二キロ、往路だけで四キロ歩く。事務所到着と同時にペットボトルの水がぶ飲み、帰りも船橋駅から自宅まであるく約6キロ歩いているが痩せない、むしろ太りだす。偲ぶ会でみんなの目線は私の出腹に集中した。
ベルトを強く締めないとズボンが落ちてしまう、へそ下で締めているが
白ワイシャツなので更に大きく見えるようで腹はホワイトスイカのようだ。
しかし 体脂肪は基準値以内なのだ。
何度検査しても糖尿の気配は無い。
医師は言う「若い頃山歩きで鍛錬した足腰の貯金で維持しているが
それもまもなく尽きるよ」
脳の劣化は近年加速度的だが、身体の衰え進行が早まっている。
内臓は鍛えようが無い。
せいぜい禁煙、酒控えめにするだけ。
まだ、死ぬ訳にはいかない。働け!


偲ぶ会

2010-09-05 11:10:34 | 日記
9月4日(土) 偲ぶ会
6月25日食道癌で亡くなった大学同期の偲ぶ会を
五反田ゆぽうと、8階レストラン カンパーニアで開いた。
午後1時半 亡くなった同期の妹さんと15歳になったその娘
18人が集まった。
静岡、新潟からも来た。
あいつは合気道部主将だったので主催合気道部であったが
山岳部、射撃部、弓道部、ワンダーフォーゲル部、バレー部の
面々も集まった。声かければ大人数がくるのだがあえて止めた。
彼の在りし日の写真をB5版に引き伸ばしテーブルに置き
みんなで献杯した。
卒業は昭和1971年(昭和46年)留年した者もいるが
橋の下流れて40年、みんな濁流、急流、汚泥に抗いながら
やっと静かな河口に辿りつこうとしている。
当時の体育会学生は詰襟学生服が着用義務だった。
今や、白髪、光頭、出っ腹、ガクランの面影無し
互いに問いかけ確かめて「そうか、お前か」!
語りつくせない、オジサン達の気恥ずかしい青春の思い出話が
留まることなく続く。
会場も3次会まで続き新幹線で帰郷する友人もいるため
21時でお開きとなった。
お彼岸の頃、あいつも両親の眠る墓に入る。
それが済ませば私の役割は終わる。
帰りの車中、酔いと疲れでまどろみの中
集まったみんなが「私に感謝と慰労の言葉」を言ってくれた。
仲間は分かっていたのだ、自分だけが苦闘して誰も理解していないと
思うこともあった。
あいつは先に旅立ったが、仲間を呼び寄せてくれた。
今宵も蒸し暑かったが船橋港の埠頭を通り浜風を受けながら
よろよろと帰った。
明後日からはギフトショー始まる。
6日はビッグサイトで展示準備するのだが人数が足りない。
亡くなったあいつが手伝っていたのだ。
仕方ない、一人で力仕事はやるか!

小澤一郎はヤクザか?

2010-09-05 09:39:55 | 日記
民主党の小澤、管の代表戦はうんざり。
昨年、民主党が政権を取った直後
元大手メーカーの幹部の方が小澤一郎のことを話してくれた。
小澤がまだ民主党に入る前だが
世界的超一流企業である会社に乗り込み
献金要請をした。
有名な創業者は第一線を退いていたが小澤は面談を要求
当時の社長は受け入れず自らが対応
献金を断った。
その途端、小澤は本性を現し、「お前のとこは海外進出できなくさせる
潰されてもいいのか」迫った。
当時の社長はそれでも毅然と断った。
話してくれた元幹部は述会する。
「小澤はヤクザだ、地回り、みかじめ料を脅しで搾取する」
危ない情況になると子分(秘書)に負わせる。
別に管の応援するつもりは無いが
このようなやくざまがいの人間は公的機関、大手民間企業には
必ずスケールは小さいがいる。
正義面をしているが裏では下請け業者を泣かし何らかの要求を迫る。
結果的にその企業は高いコストを払う。
そんな男に群がる連中はオコボレをもらい
「あの方は剛毅な決断力ある立派な方だと周囲に褒めまくる。
そうしないと自分達のおいしい利権や立場がなくなるからだ。
社会的規範を逸脱する最高権力者が日本に誕生するのを見たい気もする。
極東に新たな独裁国家、半島の権力者と仲良くなるかな。
代表戦、見たくない、聞きたくない
どっちでも良いから貧乏でも心安心できる国家に
早くしてください。
私達は待てない。