馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

隅田川 屋形船 震災復興祈願

2011-07-01 16:22:50 | 日記

  

 

71日(金)午前10時頃、神田川にある船宿の屋形船が

一斉に隅田川に漕ぎ出した。

浴衣のオジサン、オバサンが乗っている。

311日の大震災以降、屋形船は殆ど係留されたままで

テレビでも4月花見客自粛があり大損害と報道されていた。

船には震災復興祈願の登り旗がなびいている。

   

国会で互いを引きずり落とそうと政治屋が騒いでいるが

与野党のセンセイ方も呉越同舟して隅田川に繰り出して

仲良く協力して復興に邁進して欲しい。

でも、無理だろうな、

相手を船から突き落とすことを考えるだろう!

   

        柳亭亀清楼の仲居さんが見ている。

 


一周忌

2011-07-01 13:46:23 | 日記

630日(木)

友人からメールが来た。

私は625日にあった一周忌に出席しなかった。

自ら誘いをしながら自分が出席しなかった非礼を

詫びたメールを送っていた。

わざわざ大阪に単身赴任中なのに来てもらったのだ。

彼は浪人時代予備校で一緒だった。

同じ大学に進学、私は山岳部、彼は合気道部に入った。

卒業後は会うことはありえないと思っていたが

癌で亡くなったあいつも合気道部だった。

余命がわずかだと知った時、誰にも病状を知らせない

あいつに苛立ち、合気道部の同期に知らせなければという

使命感と恐怖感があって手紙を書いた。

彼は上場企業の役員をしていて、関西中部地区の総括役員だった。

大阪から船橋の斎場まで駆けつけてくれた。

彼を中心に昨年94日 学生時代の仲間が集まり五反田で偲ぶ会をしたのだった。

一周忌にもご夫婦で参列したのに私が出席しなかったのは

申し訳なく深く謝罪したい。

 

亡くなったあいつと3年前、偶然船橋駅で再会

それから癌で亡くなるまで、学生時代は顔見知りではあったが

親しい間柄ではなかった。

それが、あいつの人生の最後を看取る状況になるとは予期していなかった。

以下文面

 

 

ご無沙汰です。

役員会や退任役員の送別会等で先週の金曜日の夕方から

東京にいて、今日から関西に出社です。返事が遅くなりました。

 当日は天候を心配しておりましたが、岡山の一周忌も無事終わりました。

菊地も妹さんも、これまでの苦労が思い出に変わり、達成感が湧き上がって

くることと思います。ご苦労様でした。

 思えば昨年3月、菊地の手紙で容態を知り、会えば本人は大変元気そうで

その時は安心して関西に戻りました。しかし急激に悪くなり診断どおりの結果とな


残念でなりません。残された関係者それぞれが、一日でも長く元気で岡山の思い出
話を

することが供養だと思っています。 また会いましょう。連絡します。

 取り急ぎ送信します。
薄 井

 

本日のランチ 冷麦

 



二人の来客

2011-07-01 12:28:49 | 日記

629日(水)夕方 二人の来客

先に来たのは学校同期の元警察幹部で現在外郭団体に天下り?

蒔絵万年筆とシルバーボールペンを買いに来た。

私の商売の窮状を見かねて買ってくれた。

かなりの数量をポケットマネーで購入

使い道は若い警察官がチョットした善意の行いをした時に

報奨としてあげる。お金を渡す訳にはいかないので

品物で報いている。

彼は人間的に温厚で偉ぶらないので若い警察官は慕った。

部下をかばい、自分が責任を取ることで、尚一層頑張ってくれたと述懐した。

私は聞いてみた。

「日本が大不況で大多数の国民が苦しんでいるが実感はあるか」?

答えは予期したように

「実感はない」と言った。

定年後安定した職を得て65歳まで働き年金生活に入れる。

卒業時、警察官になると聞いた時、みんなでバカにしたものだった。

高度成長期で就職はいくらでもあり、あえて安月給といわれた

公務員など眼中になかった。

それに加え、当時は全共闘世代で反権力志向が若者にはあり

公権力の犬だと呼んで警察官には成りたがらなかった。

今では厳しい数十倍の競争試験を突破しなければ警察官にはなれない。

 

少し遅れてもう一人の来客がやってきた。

今年の3月までデザイン版下会社を経営していたが

不況で会社を閉じた。

4月から葬儀会社に就職、50歳でサラリーマンになった。

久しぶりの再会だったが痩せて見えた。

3ヶ月で7キロ体重が減少した。

表情は苦闘を物語っていた。

28歳で独立して、好きなデザイン、版下の仕事をずっと

続けてきた、苦しく辛いこともあっただろうが、

好きであったので続けてこられた。

妻と学生である子供二人を抱え生活していくためには

経済的に安定しなければならない。

葬儀という仕事が年中無休、昼夜別なく動き

個人的考えや行動を許されない仕事。

 

学生時代の友人は警察官だったが、同様の年中無休

昼夜別なしで動き、規律や上下関係に縛られている。

我慢の中で歩んできた。

その報奨が安定した収入と老後保障

対照的な人生を歩んだ二人

しかし、二人とも、他人の人生の裏側を直接見る仕事

現在の状況であれば、我慢我慢でも安定収入の道選ぶだろうか?

  

本日のランチ あさりパスタ