馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

炎天下の家路。

2011-08-20 01:00:49 | 日記

816日(火)横浜駅に降り立ったのは正午少し前だった。

改札を抜けダイヤモンド地下街のメンズショップを探したが

既に無くなっていた。

中学時代の同級生が居たのだが

年齢かすれば引退したのだろう。

地下街から高島屋を抜け、ジョイナスを通り郊外行きの

私鉄駅に向かった。

平日だがお盆なので人は多い。

急行に乗車、先ほど乗っていたJR線窓外の景色が

ビルと看板と密集した家並みばかりだったが、

緑が走り遠ざかってゆく。

なぜか、ほっとする。

12時半、急行で三つ目の駅で降りた。

蒸し焼きにされるような暑さの中、歩き出す。

県道に出ると大山、丹沢山塊が見えるのだが

灰色の蒸気に包まれた空の向う側にあって眺望叶わず。

炎天の陽射しの中,緩やかな坂道をとぼとぼと帽子と短パン姿で下って行く。

まもなく16歳の時アルバイトしたガソリンスタンドが見えた。

あの頃の店主も向うの国に逝って3代目になっているだろう。

小さな川を渡り坂道を上がり左に緑樹の生い茂った小高い林

の道に入った。

雑木林の中は幼稚園になっていて樹間にブランコ、滑り台、

幼児アスレチック等が置かれている。

34歳の時、失職して生活困窮者となり妻と子供二人を連れて実家に戻った。

その時、息子が通った幼稚園だ。

清涼な風が通り過ぎ一休みして首筋の汗を拭った。

 

坂道を上がりきって住宅地に出た。

碁盤の目のように整地された緑多い住宅路。

50年前、小石混じりの道路で子供達がキャッチボール

や自転車を乗り回していた路は今では殆ど人影なし。

  

およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。

道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり

人々が歩いていく、どこへいくのか誰も分からない。

 

50年以上前、家の前は何処までも続く森で、

野兎がいた、庭にはもぐら、蛇もいた。

 

中学高校大学、社会人28歳まで暮らし

時代の流れに添い、成長してやがて家を離れた。

幼馴染も遠く行って、時間が止まった住処には

連れ合いを亡くした老人達がひっそりと暮らしている。

 

13時少し前、お袋の住まいに着いた。

まだ、息子も兄貴も来ていない。

 

庭の隅に白い百合が咲いていた。

後で弟に聞くと、昨年,突然百合が咲いた

何処からか種子が運ばれてきたらしい。

  

仏壇前で線香を焚き鐘を打つ。

暗い室内に金属音が鳴り沈んでゆく

お袋がベッドでぼんやりと下を向いている。

暑い陽差しが、ごうやの簾を通して差込み

白百合が夏の後半であること知らせている。

  

息子がやって来た。

仏壇で祖父に来たこと告げ

盆提灯に明かりを灯す。

 

息子が庭に打ち水をする。

柿の実が草色で寒くなる秋をじっと待っている。

その後、冬に花開く山茶花は暑い陽差しを受け耐えている。

幼稚園の頃、夏はビニールプールで水浴びを妹と喧嘩しながら

ハシャイデでいた。

  

兄貴もやって来た。

5年ぶりの再会だ。

 

みんな揃ったところで居間で宴会が始まった。

長い付き合いの鮮魚店から刺身が届く。

弟夫婦が長野から持ち帰った山菜料理も並ぶ。

ビール、焼酎 日本酒が喉を通過。

 

お袋は安楽椅子で「痛いよ!辛いよ」と泣く。

「もう死にたいよ」!

「いつも昼間一人でいて寂しいよ」と泣く。

同居する義妹は大学病院の副院長と看護部長を兼ねていて

お袋の状態を見ても動じない。

老人医療と介護は違うので突き放す強さを持っている。

体調が悪ければ大学病院に入れてしまう。

昨年は私の妻が癌治療でお袋と病院で一緒だった。

義理の娘二人と病室で昼飯を食べていた。

87歳になったお袋、あれ程、気丈であった母親が子供に返ってしまったのだ。

18歳で栃木那須の山村から嫁として上京。

22歳の時初めて江ノ島で海を見た。

 

私が16歳の時 親父が怪我で1年半入院した。

同時に弟も病で1年間の入院療養生活に入った。

兄貴は大学受験浪人中だった。

収入の道が途絶え、お袋が一人働き支えた。

26年前 親父は新潟残雪の越後湯沢で客死した。

 

貧しい生活を気丈な意志で男3人を育てたのだ。

私の10代は青春無頼な行動でお袋を度々泣かせた。

3人兄弟の真ん中は親子兄弟関係の立ち位置は複雑で

精神的不安定を母親にぶっつけた。

5年前 お袋と喧嘩して親子の縁を切ると絶縁状まで送りつけた。

 

人生に与えられる時間は誰でも公平です。

酸素吸入器を付けた母親は現在まで

憎悪、怨念、愛情、母性、夫婦の絆 子供への無償の愛

もろもろの人生を辿ってきた。

人生は三つの時に分けられる。

過去の時と、現在の時、将来の時

お袋の確かなのは将来の時が残り少なくなったことだ。

およそこの世のことで、いつまでも変わらず、滅びないものはなにもない。

 

男兄弟3人の会話は弾み、午後8時になっていた。

兄貴に帰ろうと促された。

未だ現役で予備校講師をしている兄貴は昨日まで南アルプス北岳大樺沢で

キャンプしていたという。

猫に鈴を付けるがごとき引退勧告が出来ない予備校側

(予備校講師は予備校とは独立契約制)

弟も自営業で男3人兄弟はサラリーマンには成り切れず

細々と60歳過ぎても頑張っている。

 

暗闇から誰も乗っていないバスがやってきた。

駅で兄貴は反対方向に乗車。

私と息子は横浜駅に向かい

必ず横浜駅に来ると行く地下街で札幌ラーメンを食べた。

息子は新橋で乗り換えた。

午後10時 海老川沿いの道を歩いた。

川に向かってマーキング(放尿)した。

 

 再び戻ってくることはない今日の今宵の時間

熱帯夜の空を見上げて向う側に逝った父親と

この世の悲しみに震える母親を思った。

お袋が杖をついて玄関で帰ろうとする私達に泣き顔した。

お袋に「笑って」!叱った。

笑顔になった。

  

故郷を離れてわかった

親から愛されていたんだと