馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

1970年代の日本台湾中国の庶民の暮らしの一端。芝信用金庫4月閲覧数、訪問者数は断トツの上位。(108)

2020-07-18 08:49:53 | 日記

前頁台湾のコロナの現状続きです

 

 

1972年日中国交正常化がなされた。

 

同時に、中華民国(台湾)と国交断絶した。

日中政府関係は友好を進展させ、様々な貿易交渉が始まった。

 

その間、台湾が領有を主張する金門島へ大陸側が砲撃を

1958年から1979年まで続いた

 

 

蒋介石の国民党軍と毛沢東共産党軍の戦いに敗北した

国民党軍は台湾島で中華民国を樹立した。

その時代での3か国での庶民の生活の一端を知った。

サラリーマンとして30代後半を銀座4丁目のビルで過ごしていた。

再雇用になった高齢の男子社員がいた。

温厚な方で度々、合間に喫茶店で誘われ一服した。

某日、その方が机で弁当を食べていた。

手紙と写真を読んでいた。

文字は中国語、写真には、毛沢東の肖像画が大きく描かれた

壁の前で若い男女が人民服姿で立っている。

先輩男性は言った。

「この二人の結婚式記念写真です」

 

先輩は語り出した。

横浜中華街で料理店を営む像さんという

中国人がいる。

彼に頼まれた。

先輩は度々、仕事で台湾を訪れる。

台湾で会って欲しい人がいる。

その人物は国共内戦で敗れて台湾へ逃れた

軍人であった。

金門島を守備する大佐である。

大佐には、大陸湖北省に妻子を置いたまま

会うこと叶わず。

どうしても。妻子の安否と行く末を確認したい。

そして、横浜中華街の像さんに手ずるを依頼した。

象さんは私に接触して経緯を話した。

先輩は台湾金門島で大佐に会った。

非常化の金門島に日本人が入島できない状況で会った。

大佐は対岸に向かって涙を流し妻子の名前を呼びかけた。

台北では至れり尽くせりの供応を受けた。

横浜中華街でも同様であった。

先輩は危険だが頼み事を受けざるを得なかった。

先ずは消息を確認。

日本から手紙を出すことから始めた。

次は衣類を送る。

次は衣類にお金を忍びこませて送る。

日中友好団視察に紛れて妻子に会いにいった。

貧しい暮らしであった。

既に妻は亡くなっていた。

再び台湾を訪れ状況を語った。

大佐は泣き崩れ望郷の嗚咽は止まらなかった。

そんな年月を経て台湾大陸は貿易人的交流が始まった。

台湾の中国人が大陸故郷に錦を飾る。

大量のお土産とお金をばら撒くのだ。

 

再び香港の一国二制度の崩壊現実となり

台湾海峡も緊張が大波の如く上下動を繰り返す。

 

既に先輩も物故。

その後の行く末は知らない。

政治に翻弄される中国台湾朝鮮半島。

 

日本はコップ内嵐で騒ぐ。

幸せなのだ。


再掲

芝信用金庫4月閲覧数、訪問者数は断トツの上位。

2019年5月17日

悪徳悪質芝信用金庫の3月4月の訪問者数 閲覧数は

画像の通り上位です。

 

「俺も政治家秘書に裏金あげた」ブログも

関係者が意図を持って調べているのでしょう。

 

某信用金庫営業担当者に書面を見せたら

「凄いですね」

「こんなことしたら、潰れてしまいますよ」。

「締まりのない、だらしない信金ですね」

 

成る程、そう言う 言い方もあるんだ。

非営利法人信金として使命感をないがしろにして

自分達保身を優先している。

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