馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

魚のお返し!

2012-02-10 16:05:47 | 日記

26日(月) 本日のランチ 富山 ブラックモツ鍋

 

夕方 来客

横須賀に住み、ヨットで釣った魚を度々頂くので

実家で漬けた沢庵を差し上げた。

 

浅草橋駅前の日高屋でビール、日本酒で軽く飲む。

ここから都営線で京急乗り入れて横須賀まで

座り居眠りして帰る。

 

しかしこの日乗車した電車が人身事故で40分以上止まり

難儀したと聞いた。


沢庵。

2012-02-07 14:18:03 | 日記

25日(日)昼前、実家から沢庵が送られてきた。

毎年、暮れに仕込むのだが今年は正月明けになった。

お袋の容態が悪化して不在のため、大根の漬け込みを

弟が一人で仕込んだ。

お袋が作る沢庵は絶品で楽しみしていた。

 

りんごや柿の皮を糠味噌に入れ段取りをお袋がしていたのだ。

福島原発放射能汚染は沢庵まで影響した。

毎年仕入れる群馬産干し大根が放射能汚染で廃棄され

西で作付けけされた大ぶり、水分過多でしなやかさが無い大根だった。

 

早速食味したが例年食べる沢庵の味にはなっていない。

実家の横浜市郊外は海抜7555メートルある高台。

そして気温も零度以下になる最も寒い地域。

沢庵を漬けるには最適条件なのだ。

 

お袋は1月に胃ろうの手術をした。

口から食べることができなくなった。

残念だろう。

お袋の漬物作りは妻も認める言葉に表現できない味だ。

 

   


ジャパニーズカラー!

2012-02-05 22:42:54 | 日記

23日(金)本日のランチ トマト鍋。

彼女の作るトマト鍋はヘルシーそして旨い!

 

午後、友人が来社。

USBフラッシュメモリーの見積もりをする。

酒は一滴も飲めないがヘビースモーカーなので

学生時代友人は新発売の缶入りピースをもってきた。

地域限定販売の煙草だという。

一缶千円

 

ピースの紙箱や缶の色はピース紺と言われ

日本人が大好きな色なのだ。

海外の取引先からはピース紺のことを

ジャパニーズカラーと言われることがある。

私も海外の工場に指定色はジャパニーズカラーと言う。

まあーこの言い方も喫煙人口減少で死語になるだろう。

久しぶりに煙草を吸ってみた。

足元ふらつき階段で転げそうになった。

加齢で脚力の衰えか、又は喫煙のせいか?

吸わないのが良いのだが

喫煙する来客にはテーブルで遠慮なく、吸っていただく。

狭い事務所、窓開ければ隅田川の川風に乗って消える。


久しぶりに恩人との新年会。

2012-02-05 21:55:01 | 日記

21日(水)18時半、新橋駅前汽車ポッポで待ち合わせ。

久しぶりに会う二人。

一人は以前取引していたお客さん

もう一人は学生時代からの知り合いで先輩。

新橋ガード下の居酒屋で新年会。

先輩は中央線の山梨四方津に住んでいて5年前会社定年になった。

6年前 新宿駅中央線ホームで午後8時半頃

見知らぬ人に突き飛ばされてホーム下に転落した。

その時丁度快速電車が入ってきた。

轢かれて引きずられた。

しかし右足ダタイ部複雑骨折だけで奇跡的に助かった。

新聞テレビ報道され6万人の足に影響がでた。

今も足には金属が固定されている。

ぶつかった相手は逃げたが目撃者がいたため

自殺でも酔っ払いでもないことが証明された。

死亡して証言者もいないと、JRから損害賠償請求があるそうだ。

その事実を知ってから混雑する駅ホームの端は歩かない。

予測しえない真坂の事故。

山岳部同期の転落も掴んだ石が緩んだための転落死。

60秒先は予測できない。

だが、世の中怖くても引きこもりは出来ない。

 

20時、居酒屋を出て虎ノ門へ歩くと中国料理店新橋亭が見えた。

ここで坦坦麺を食べる。

この店の対面にあるビルの一階の軽食喫茶に

サラリーマン時代25歳の時嫌がらせ人事でいたのだ。

店は既になかったが旅行部門はまだあった。

失意で暗い日々だった。

当時、近くに勤めていた山岳部先輩が会社の女性を連れてきた。

それが現在の妻になるのだが、今日の四方津の先輩も

当時の状況を知っていて「俺がお前の店に夕方行くと彼女がいて

これからデートだと言って銀座へ、俺を置いて行ってしまった」

すっかり忘れていたことを話した。」

四方津の先輩は人生の大恩人なのだ。

会社を首になり殆どの人が寄り付かなかった時

助けていただきその後の仕事も紹介していただいた。

この方の援助がなかったら私たち家族は生きていけなかった。

生涯私は忠実なる子分であり、犬のように裏切ることはない。

長男はアメリカ、次男は九州で研究者

娘さんはイタリア人と結婚してローマにいる。

息子がイタリアでの展示会では通訳としてお世話になった。

 

サラリーマンで尊敬に値する人は少ないが

この方はサラリーマンとしての立ち位置と処し方がすごい。

決して人の悪口を言わず、与えられた仕事を黙々とこなす。

嫌がらせも黙って耐え、地方支部の事務所長に赴任したが

部下の不祥事を庇い責任を取ったあげく

平社員になったが愚痴も言わず勤め上げた。

どんな人も受け入れ排除することはなかった。

他人を蹴落とすこともなかった。

定年後も社の内外の方々から親しまれ

お誘いの飲み会が多い。

 

22時新橋駅でお別れ。

久しぶりの清清しい飲み会だった。