馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

古い携帯電話は寝床の時計と電灯に使用。

2015-02-20 16:55:59 | 日記

2月18日(水)

ランチ オリジナル柳橋ラーメン。

前日から煮干しを水出汁したスープはいいな!

 

20時 加賀屋で焼酎ハイボールと煮込み。

 

ハイボールを飲み過ぎると寝床に入ってから

度々 放尿のために起きるのが辛い。

 

古い携帯を時計と電灯代わりに使用。

これが便利で重宝している。

枕元に置き

眠る時スイッチON 起床してOFFに切り替える。

去年 深夜契約切れ携帯電話から 突然地震注意報が流れた。

地震注意報は機能している。


認知症予防に折箱組立作業。

2015-02-17 18:40:50 | 日記

2月17日(火)

朝9時 自宅を出ると雪だ。

軽登山靴を履いた。

 

ランチはトマト味噌鍋。

 

冷や飯を最後にリゾット風に!

なかなか、いける。

 

午後の天気予報ではスカイツリー300m上は雪だそうだ。

 

午後2時から、数年振りで折箱組立作業。

認知症予防には効果があるだろうと思って始めたが

 

手順が掴めない。

 

若い頃は人と会話しながら、箱を見なくとも

手が動き組立が出来た。

 

手と脳を結ぶ回線が老化と錆びつきが酷くぎこちない。

デザイナー女性から手順を教わる。

彼女が10年前に入社した頃は私が包装、組立を教えたのが。

その頃、彼女は「社長は早すぎてついていけない」とぼやいたが

今では大逆転。

やり直しを命ぜられる。

それから、ボールペンの部品仕分け作業。

プラスチックと金属スプリングを分ける。

これは簡単!

マグネットを回せばスプリングは上がってくる。

 

体は毎日10キロ以上歩き大丈夫なのだが

脳だけはいかんともし難い。

 

中国の諺

「若い時は人間が体を虐め、老いては体が人間を虐める」

 

そうだよな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


バレンタインディーが過ぎて!

2015-02-16 18:02:05 | 日記

2月16日(月)

AM10時 錦糸町駅下車 魚寅で鮪ブツを買う。

国道歩き柳橋事務所へ。

ランチは簡単に素早く出来る鮪丼。

それと、枝豆豆腐、味噌汁に具材として納豆を入れた。

 

バレタインディーも過ぎたので、ネット販売は

落ち着くかなと思ったが、意外や来るのであります。

それも女性から!

一番高い羽ペンをリボン包装でお願いします。

 

3月に入ると、卒業記念品、入学祝品、入社祝品

それから、ホワイトディーがある。

 

在庫が少なくなった。

海外製作を急ごう。

アマゾンショップ

 

和亜瑠都

 

 

 三商ショップ

 

 

 

 


八ヶ岳 大学山岳部遭難死。

2015-02-15 17:38:42 | 日記

2月15日(日)

学習院大学山岳部八ヶ岳遭難

2月11日 4年生男子主将と1年女子部員が遭難死。

 

恐らくリングワンダリングの中で滑落と雪崩が原因か?

私も大学で体育会山岳部にいたので極限の状況を推測できる。

ご冥福をお祈りします。

 

昭和40年代は学生運動がキャンパスを吹き荒れ

全共闘がヘルメットと棒を持ち暴れていたが

私は山登りに熱中!

当時は大学山岳部の全盛時代。

体育会各部の中で最も過酷でシゴキが有名だった

大学山岳部は厳冬の雪山を団体で走破することが目標だった。

歴史と伝統と凄い山暦を誇る

学習院大学山岳部に女子部員がいるのに驚いた。

私がいた山岳部では

男と女では体力差が歴然としていたので

入部を認めずワンダーフォーゲル部を勧めた。

 

当時の不確かな記憶を辿った。

昭和45年12月24日 山岳部員6名は新宿駅中央線夜行列車で白馬岳主稜登頂に向かった。

 

 

私は4年生、兄の結婚式が25日のため、遅れて26日に一人で

幕営地の栂池までスキーを使って向かった。

その時 専修大学山岳部主将と学習院大学山岳部主将が

新宿駅で見送りをしてくれた。

その年、専修大学山岳部は1年部員が雪渓で滑落死していた。

仲の良かった国学院大学山岳部も4人が遭難死した。

昭和45年12月 白馬岳

学習院大学山岳部主将は翌年1月 剣岳早月尾根から登頂すると言った。

私が下山して戻ると遭難の知らせがあった。

学習院大学山岳部 剣岳で遭難。

主将は下級生を庇い自分の防寒着を下級生に被せ

シャツ一枚で凍死した。

今度の遭難死も主将が1年女子部員を庇い凍死した。

44年前と同じ悲劇だ。

彼も生きていたら60代後半なのだ。

昭和64年

私の兄も3月の八ヶ岳で遭難したが救助された

 私がいた山岳部もヒマラヤ登頂2度、韓国ウルサナムロック登攀等の

輝かしい歴史があったが70年近い活動だったが

入部者がいなくなり自然廃部になった。

 

私も2年生の時、白馬岳で凍傷になってしまった。

 

青春の悲しい想いでが蘇る。

逝ってしまった岳友に想い馳せる。

 

過ぎてしまった淡い記憶のかけらを拾い集めて

寂しい胸の内をそっと語るべき友は彼方へ、手紙も出せない。

 

 

 

 


バレンタインディーだが妻の誕生日だ!

2015-02-14 17:02:18 | 日記

2月14日(土)朝9時

茜浜までウオーキングのつもりでエントランスを出たが

風が強く、これでは海岸は突風で走れない。

住まいマンションを階段登りすることした。

20階建て 屋内非常階段三つ

15階建て 屋内非常階段一つ

5階建て 外階段一つ

合計 1.140段を上り下り。

加齢と共に駅階段を登るのがしんどい。

階段登りは足腰筋力アップ手軽ではなく足軽で良い。

 

ところで、14日はバレンタインディー

前日までバレンタインギフト発送でアタフタしていたが

14日は妻の誕生日なのだ。

年金をもらえる年齢になった。

 

夕方 息子から母親へお祝いの電話がかかってきた。

息子から嬉しい朗報もあった。

 

妻に特別に何かをするでもないのが我が家である。

子供達が幼い頃は食事したりしたが

互いに年齢は確認しない。

但し 母の日だけはプレゼントを贈る。

娘は母親の誕生日を知っているが

ダンスレッスンで午後外出帰宅は21時過ぎ。

だが気持ちは通じあっている。

動物は赤ん坊が生まれて誕生日を知らなくとも

成長するまで本能の愛情を注ぐ。

私達家族も同じ。