馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

金儲けの上手くない自営業者3人で新年会。

2016-01-13 20:20:54 | 日記

1月13日(火)

午後3時 浅草橋午後3時

年中無休24時間営業の居酒屋 磯丸に

金儲けの上手くない自営業者3人で新年会。

 

 

メディア報道は景気上向きと囃し立てるが

我々には一向に恩恵がない。

優等生には金が回るが、劣等生には金は落ちてこない。

お金持ちの財務大臣は、新人として立候補した時の

第一声は、檀上から「下々の皆さん」と挨拶。

上々の御方は高級ホテルでブランデー

下々のオジサン達は、居酒屋で焼酎ハイボール

 

青息吐息の我々は、安酒場で鬱憤を吐き出す。

午後6時半 お開き

浅草橋駅から、横須賀、横浜へ家路に帰る。

私は事務所に戻り午後11時半の電車に乗り

0時半帰宅。

娘はまだ帰宅していないので、直ぐに風呂に入る。

1時半娘帰宅。

入浴して2時半就寝。

7時半に駅に向かって駈け足。

愚痴もこぼさず懸命に働くが

これでは嫁にいけないと案じるが

溜息!

さてさて どうしたもんか?

 


高松山で滑落!

2016-01-12 22:52:50 | 日記

1月10日(日)

昨夜 飲み過ぎた。

朝7時 船橋駅から総武線乗車。

お茶の水駅で下車して放尿

新宿駅でもトイレ

小田急 急行小田原行に乗るも

我慢できず相模大野駅で下りてトイレ下車。

これでは、各駅停車に乗ったのと同じ。

新松田駅に9時半に着いた。

高松山入口行バスに乗り遅れた。

11時半までバスはない。

仕方がない、タクシーに乗る。

2050円払って9時54分

高松山入口に到着。

直ぐにマーキング。

スローピッチで林道を登る。

10時25分 林道から雪富士が見えた。

やっと余剰水分が抜けた。

体から放熱が始まり、汗が出始めたので

マーキングは治まった。

エンジンも快適に動き出した。

12時 頂上まで一息のところまで登った。

素晴らしい雪富士が眺められる。

ゼイゼイ 息を吐き出しながら

ロートルエンジンをフル回転。

12時20分 801mの草原頂きに着いた。

 

やや!富士が見えない。

雲に覆われた。

何てことだ。

高松山

富士は美しいが気まぐれ!

惚れれば惚れるほど、逃げ隠れする。

箱根、真鶴、相模湾、江の島が霞んでいる。

15分程 佇み、山北ルートに向かう。

下りだすと標識がある。

はなじょろ道 八丁 秦野峠

前々から気になっていた山道だ。

はなじょろ道は、戦前 峠を越えて嫁入りした道だそうだ。

 

今度 友人と一緒に登るために一度登ろうと思い

かなり急勾配の痩せ尾根を下る。

暫くすると、朽ちかけた板に文字が?

ガレ場、岩場あり注意の案内。

山道も不明瞭と書かれてる。

落葉樹の山道は、踏跡が枯れ葉で覆われて

注意深く辿る。

途中 ロープが張られて捕まりながら下る。

所々の樹木にピンクのテープが巻き付られて

下山方向の道標になる。

13時30分 視界が開け西丹沢の尾根が見渡せる。

奇妙な樹木があった。

説明文があった。

「烏山椒」

 

ふ~ん そんな木があるんだ。

 

14時 腐葉土の上に冬の落ち葉が被さり

トレースが消えた。

遠くに見える道標のピンクテープを目指して下る。

見下ろすような急勾配を慎重にステップを切る。

スポンジのような腐葉土に枯れ葉覆い滑りやすい。

そんなことを思いながら踏み出した足が滑り

腰が落ち葉に落ちた。

同時に滑り台に乗ったように

急峻な崖を滑りだすが止まらない。

木の根っこを掴むが、根本が切れている。

水の流れる音と沢の岩が眼前に迫る。

落下スピードが増す。

このまま、沢の岩に激突する。

目の前に細い木が見えた。

しがみ付いた。

軍手した両手で木にしっかり抱きかかえる。

下を見るが下りられない。

滝壺もあり、そこから下流に下るのは困難。

凄まじい緊張でアドレナリンが上昇。

こんな処で滑落して怪我 あるいは即死はご免被る。

峡谷なので携帯電話も繋がらない。

 

大学山岳部時代に谷川岳一ノ倉の岩壁登攀したが

岩場は緊張と全神経と肉体を駆使して登るれるが

頂上直下で、ザイルを外し草付きの斜面を登るのは

スリップするので恐怖だった。

 

木に抱きつきながら周囲を見回した。

山の鉄則は、迷えば上に向かう。

しかし、草スキーのような斜面は登っても滑落する。

左横1mに細い木があった。

足元の落ち葉と腐葉土を取り除き

固い土に靴底をしっかり置いた。

リュックを捨てるか思案したが

背負ったまま、サルのようにジャンプした。

かろうじて、右手が木に届いた。

右手懸垂で這い上がり、両手で掴んだ。

登るのは諦めて、トラーバースすることにした。

少しずつ斜面下の木に飛び移る。

焦ってはいけないと言い聞かせる。

どの位に時が過ぎたか分からないまま

徐々に沢に近づいた。

沢の流れに1メートル程の高さになった。

流れの淵は泥で滑る。

水嵩がある流れにジャンプした。

下半身はずぶ濡れだが倒れることもなく

打撲もしなかった。

安堵 安堵である。

沢の岩を伝いながら下ると

家が見えた。

沢から家まで鉄梯子があり登った。

民家の庭先だった。

犬が吠える。

繋がれていた犬だが、突然現れたので

激しく吠える。

林道に出た。

軍手は泥と穴が開いていた。

 

林道は山北に通ずる道だ。

先に、はなじょろ入山口の朽ちた道標があった。

 

時刻を見た。

14時13分。

30分程 格闘していたようだ。

黙々と山北に向かって歩いた。

50分程 歩くと、林道脇に軽自動車が停車して

斜面で竹を切り出していたオジサンに出会う。

相手はこちらをじっと見ていた。

歩き続けた。

後ろから車の音。

私の横で停まった。

 

オジサンが顔を出して

「乗って行きなよ」

竹を切っていたオジサンだ。

有り難く乗せて頂く。

「かなり疲れてそうだった」とオジサンは言った。

オジサンは私が疲れ切って歩くのを見ていたのだ。

事情を話すと

「あの尾根は廃道になって峡谷なので危険だよ」

15時半 松田駅で下りしてもらった。

丁重にお礼を述べて住所尋ねたが謝絶された。

私が名刺を渡すべきだった。

 

山北 さくらの湯に向かった。

湯に浸かりながら、自己への戒めと反省にガックリ。

以前 高松山で怪我した女性を救助したが

今度は自分が不用意な登山をしてしまった。

 

 

 

桜の湯には、毎回来るたびに 入れ墨のお人がいる。

今日も子供連れの2組があった。

都心では、入れ墨入浴ご法度だが

ローカルな処では許される。

一般人と変わらない和やかに入浴している。

 

16時40分 小田急新宿行急行に乗車。

目覚めたのは代々木上原駅 

50分程 爆睡したようだ。

19時40分 船橋駅に着いた。

居酒屋加賀屋に入り、焼酎ハイボールを飲んだ。

昨夜から何も食べていない。

500mlのポカリスエットを下山後

松田駅で飲んだけ。

強い炭酸が胃袋を膨らませる。

 

21時半 自宅着

再び」風呂に入る。

妻と娘には惨状は伝えなかった。

脱いだ衣類の汚れを見て

清潔でないと我慢できない妻が直ぐに

洗濯機に放り込んだ。

 

午前0時 寝床に就くがアドレナリンが

体を巡り熱く寝付けない。

得体の知れない悪夢を見て目覚める。

やはり不用意だったのだ。

私の単独行で良かったのだ。

友人を連れて行けば遭難事故の可能性は大。

間もなく69歳 ぶざまな行動である。

日頃」 鍛錬していていたが

昔の心身は乖離しているのだ。

 

翌朝 起きると、胸襟、肩、首が筋肉痛。

やはり、相当のエネルギーと気力を振り絞ったのだ。

登山での一瞬の気の緩みが事故に繋がる。

 

反省します。

歩数計

 

 

 

 

 

 

 

 


銭湯に行き、出て来る時は乞食になった。

2016-01-11 17:13:26 | 日記

1月9日(土)朝9時 海老川沿いをウオーキングして

戻り途中 製麺所でヘギ蕎麦を買う。

製麺する息子さんに「本年も宜しくと」ご挨拶。

世間話の中で銭湯の話になった。

この辺りは商店、漁師が多く住んでいたので

自宅に風呂がなく、皆 風呂屋に行った。

製麺所の近くに駐車場があるが

以前は風呂屋だった。

息子さんが面白い銭湯の出来事を話してくれた。

 

昔の風呂屋の脱衣場は鍵かかるロッカーはなく

脱衣場に大きな籠が置いてあり

その籠に衣類を放り込んで入浴する。

私も幼い頃、父親に連れられて

お風呂屋での籠の記憶がある。

 

かなり、昔、オジサンが一風呂浴びて

脱衣場に戻った。

ずらりと並ぶ籠を探すが自分の衣類がないのである。

かなりの時間 オジサンは裸で入浴済まして出てくる

男衆を見詰めた。

湯冷めの身体で訊ね探したが

残った籠が一つあった。

臭い匂いと汚れた衣類と

真っ黒な雑巾入った籠だけ。

今では ホームレスと呼ばれるが

以前の呼び名は 乞食 である。

そのオジサン 自宅への通信手段なく

乞食の服装でご帰還したそうだ。

他の銭湯でも同様の事件が発生したそうだ。

自分と体型が同じようなオジサンを狙うのだ。

 

そう言えば、浅草橋地下通路ホームレスの方々の装いは小奇麗だ。

 

ホームレスも色んな方法で生きている!

でも 窃盗した乞食を捕まえて衣類を返却さても

そんなもん 着れるわけない。

警察も  裸で放り出すことも出来ない。

そうすると、かっぱらった衣類は乞食の物?

 

ヘギ蕎麦 食べながら銭湯の出来事を

 

思い浮かべていたら、ソバツユと間違えて

ホッピーを注いでしまった。

ボケかな?

 

 

 

 

 


老いて、呆けても 若い頃のことは鮮明に憶えている。

2016-01-09 20:44:19 | 日記

1月8日(金)

17時40分 渋谷スクランブル交差点を渡り

センター街を通り、松涛の緩い坂を上がり

山手通り左折して介護病院に18時着いた。

弟も車で着いたところだった。

3階の廊下で車椅子に座り、お袋が認知症予防の計算をしていた。

私達を見上げて 「ああ!良かった」

 

暫くすると、私が誰だか分からなくなった。

今日は頭が鮮明ではないようだ。

 

お袋の若い頃の写真がスマホに保存していたので

お袋に「これは誰」?

「私」と答えた。

ずっとずっと古い記憶は断片的に蘇るのだ。

1時間程して「帰るな」との声を無視してロビーに下りた。

弟は車で横浜へ。

私は道玄坂を下る。

通り建物の1階にはオシャレなカフェの灯火が連なる。

 

私も20代30代だったら可愛い女の子と入りたい。

 

その後、円山町の場所へ行く?

  

そうだ!思い出した。

保育園の卒園写真に隣に写っていた女の子と渋谷でデートした。

20歳の時だ。

道玄坂で食事したのだが、まもなく振られてしまった。

私は最下段左から5番目。

その幼馴染と高松山に登ったのだ。

 

まあ~そんなセピアの想いでがあったんだ。

お袋だって親父との想いでがあるんだ。

 

20時 下車してオジサン達の癒し処でハイボールを飲んだ。


世界のキンキンキッズのおかげで、わが社も混乱。

2016-01-08 16:32:50 | 日記

1月8日(金)

ランチ トマトパッツア。

 

食べ過ぎだ!

 

昨日 中国の取引先からメールで

支払いを円からドルに急遽変更しての依頼。

 

中国の零細企業だが、日本国内にも

口座が有り円で振り込んでいたが

今回の送金は上海の銀行にドル送金に変更。

 

元安に振れたので為替差益を目論んだ。

日本円価格を突然ドルレートで換算すれば

損してしまうので、日本円価格を下げて送金。

 

中国のキンペイが突然元を切り下げ。

北朝鮮の金坊が水素爆弾を切り上げ。

 

 

キンキンキッズに世界は振り回される。

 

芥子粒程の弊社でも影響が現れ混乱する。