日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

大神の言葉 己への戒め

2018-05-23 20:16:14 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝からそれほど強くない感じの雨が降り続いております。
雨雲をレーダーで見るとさほどでもないようですが実際には霧雨よりももう少し雨粒の大きな雨が落ちております。
そんな雨も夜半には上がるかもしれません。





                                    






                                   




今日もお祓いはお休みで一日家へおりました。
こんな日はネコも気だるいのか日中は殆ど寝てますね;。
外へ出ようにもやはりこの雨模様では出るに出られないようで、私の顔を見つめては恨めしそうにします;。
いやイヤイヤ;、なんぼなんでもこの雨は母ちゃんが降らしとるんじゃないよ;と彼女に言うのですが、そこのことろは人間の言葉を解さないとでも
いうようにむくれております;。
ま、夜には出られるでしょうからもう少し待っておいてもらいたいものです。

雨降りの日、ネコにとっても退屈な日なのかもしれません。




                                   
                                    




普段ニュースはネットでしか見ませんし(テレビが無いので;)それほど中身について詮索することもないのですけれど。
最近は一つの事件なり事故なりがあれば、必要以上に追い続けるようにも感じております。
それがあるので尚のこと、あまり見ないようにもしておるのかも、と自分で自分に思ったりします。
とはいえ中には、これはどうなのだろうと感じることもあります。
今回自分でどうも半分は感情移入した面もあったのかもしれませんが、ある一人の若者に気持ちが揺さぶられたようでした。

いつもの祝詞奏上の後、大神からいつになく長い言葉を受け取りました。
けれどこの内容は、この方にのみ発せられたのではなく誰に対しても有りうる事、自分にしてもそれは例外ではないと感じましたので敢えて此処で
上げさせて頂く事と致しました。
今後この内容が不適切と自分で感じられた際には削除致す所存です。


 祝詞奏上の後、静かに座る 奉幣を振る時から眉間に意識が集中しているのを感じる
 白いような 暗いような

 大神


 〝 そなたの気にしておる若者

   この者 しばらく前までは闇の中に居た

   しかし その闇の中の僅かな光に気づき 自らの想いで 眩い光の世界へと出て行くことを望んだ

   はじめは その眩さに目がくらんだであろう

   しかしこの者は 臆することなく己の闇を語り 悪しきものを外へと吐き出したのだ

   この後 この者にとり厳しい道が待ち受けておるやもしれぬ

   しかし この者は敢えてその道を 自らが選んだのだ

   此処を乗り越えれば 真の明るい世界が待っておる

   大丈夫である

   この者の選んだ道 間違うておらぬ


   この者を導きし者

   彼らもまた勝負の世界へ挑んでおった者達

   しかし その術は 闇の世界へと通ずる道を選んでおったが故に 間違った方向へと進んでおった

   力を持った者が 心の隙に入り込んだ驕りというものに囚われていたからこそだ

   誰にも 無いことは無い

   その驕り 誘惑に克己心が持てるかどうかだ

   なんとしてでもの思いは表裏一体でもある

   踏み間違えると 途端に闇の世界へと 入っていく

   そこへ囚われたと思うかどうか

   己の真の心との分かれ目でもある

   
   そなたも覚えがあるであろう

   その頃の自分を省みて 今の己はどうであるのか

   気づいた時には まだ引き返せる道がある

   はじめは眩し過ぎて 目もくらむであろう

   しかし その光を全きに受け取れる程に その道を歩め


   世界はいつでも光で溢れておる

   そのことを忘れるな  〟   

   

                                  
これらの言葉に注釈を付けることは致しません。
自分自身もこの言葉の持つ意味を自分なりに考えてみたいと思います。
ただし、この中で言われておりますこと、かつての自分もそうであったということは確かです。
自分がこの仕事に就いて曲がりなりにもさせて頂いておりますうちに、いつの間にか驕っておりました。

主人が倒れて介護をしながら仕事もする中で自分への戒めとして紙に三つの言葉を書いていつも目に付くところへ貼っておりました。

 驕るな
 高ぶるな
 侮るな

この言葉を常に自分の心のうちに持つようにして仕事に当たっていたと思います。
けれどその言葉をなぞるように、いつの間にか自分自身が驕り、高ぶっていたのではと今にして思います。
侮るまではいかずとも、それ自体を自分で蒙っていたかもしれません。
その結果は、まさに推して知るべし、自分自身がどのようになったかは正に身を持って知った次第です。
驕るな、としていた己の心はどこかで驕りを持ち、謙虚さを忘れておりました。
高ぶるな、としていた気持ちはいつの間にか偉そうな態度を取っていたかもしれません。
侮るな、としていた思いは、これくらいならという下手なプライドに取って変わっていたように感じます。
それら総て、そう全てはそっくりそのまま自分への裏返しとして受け取っておったと感じております。
したこと全てはそのまま、ものの見事に自分に戻ってきました。
そのことに気づいた時は、自分自身に愕然とする思いでした。

上記の言葉とは少し趣を異にすることです。
ですけれど、表裏一体の光と闇はいつも本当に紙一重であるということかもしれない、そう感じております。
どちらの道を進みたいか、歩めば良いのか、そこのところは踏み外してはいけない、そう思っておる自分です。
肝に銘じたい、そう強く感じております。

おっと;またもや偉そうげに物申しますこと、申し訳ございません。
己への戒め、今一度胸に刻みたいと思います。




                                    





                                     





夕方大分雨も上がり、その辺りを少しだけ歩いてきました。
ネコも外へ出ましたが、此方もそれほど長く出歩くことなく戻ってきました。
濡れるのが嫌だったのかもしれませんね;。




                                    




夕方にはまだ曇り空でした。
明朝には晴れていてほしいものです。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント (1)
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