日々徒然なるままに

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病気平癒のご祈祷を致しました  義姉の見舞いへ

2019-09-21 21:18:44 | お出かけ
こんばんは。
朝からどんよりとしてはおりましたが雨が降ることはなく、なんとか一日もちました。
けれど今夜あたりから台風の影響でかなりの雨となるかもしれません。
つい2、3日前まで日中は暑いと感じておりましたが一転して涼しくなり、今日などは半袖から長袖のTシャツに着替え尚且つその上に
薄手のパーカを羽織っております。
ご近所の子供らも同様のようで、やはりどこかしら肌寒さすら感じるこのところです。
台風の後、もっと涼しくなるのかはたまた暑さがぶり返すのか分かりませんね。
その前に台風そのものが無事過ぎて欲しいと願うところです。





                              





                                       






                                       





朝はいつもの祝詞奏上に加え、義姉の病気平癒(びょうきへいゆ)のご祈願を致しました。
19日の午後5時過ぎ、義姉の娘さん、私からすれば姪にあたりますが自分より一つ年上のA子さんから電話がありました。
いきなり、今母の手術の最中、それも足の切断をしているとの連絡でした。
え;?どういうこと?と驚きましたが元々糖尿病があり、それでも長年の不摂生等が重なり、2,3日前にどうもおかしい、足の痛みの
訴えが尋常でないということで病院へ行くと、これは壊死が始まっているので即座に手術しかないという判断を下されたのだそうです。
主人亡き後、しばらくは音信不通だったのですけれど(ま、色々あった;)ある日偶然A子さんに街中でばったり会い、お互いにどうしてる?
という話になりました。
その後は時折電話をしたりして互いの様子を聞いていたりもしておりました。
聞く限りにおいては義姉もしばらくは小康状態でいたようなのですけれど。
義姉は生まれつき股関節が悪く、それが元で何年か前に人口骨頭を入れております。
他にも若い頃には乳がんを患いその手術をしたり、主人が癌になった年には義姉自身も能動脈瘤が出来、これもまた大きな手術をしていたり
と、言い方は悪いのですがさながら病気のデパートのような人でした。
それでも食べることが好きで不摂生を繰り返していたのでしょうね。
かなり血糖値は高いまま推移していたことが災いしたのか、今回のようなことになったようでした。
けれど良い医師に巡り合えたのでしょう、多くのそのような症状を抱える方の手術をこれまでも幾つもされていたようで、その関係から当日
も3人目の手術患者となった義姉は午後5時からの手術となったようでした。
電話はそんな手術の真っ最中に私宛に神様に拝んで欲しいと言う悲痛な訴えだったように思います。
昨日すぐにでも拝もうと思いもしたのですが、どうも昨日の時点でそのような気になれず万難を排して今朝の事となりました。
病気平癒のご祈祷は、よし!しよう!という心情の時でなければ自分に来る感じにどうしてもなりますので気力も必要です。
そんな訳で今朝、装束を身につけ大神の御前にて祝詞奏上させて頂いた次第です。
ですので今回の大神の言葉はその義姉についてのものとなっておりますことをご了承下さい。


 大神

 “ この者 大儀であった

   既に あちらとこちら 行き来しておろうよ

   此度で しましの間 こちらへおられようぞ

   まずは良し  ”


 別の存在

 “ 誰しもが通る道です

   ようにみてやりなさい

   その者の生き様です ”


昨日も確か似たような言葉を書いていたかと思います。
実際このところ立て続けのようにして似たようなことが出てきております。
言葉もそうなると似通ったものになるのかもしれない、そうも感じるところです。
義姉自身、この夏に熱中症になってしまい入院騒ぎとなっていたのだそうです。
その頃から急速に認知症の症状が出てきたとA子さんから聞きました。
そんな様子を神様は言われたのかもしれませんね。
いずれにしても今回の手術により一命は取り留めましたので、まだしばらくはこちらの世界で居てくれそうです。





                                   





午後からは拝んだ御神札や御守りを持って見舞いに行きました。
市の中心部にある病院ですので途中バスから路面電車へ乗り換えるのですが、その前にお花屋さんへ寄りお花をオアシスへ活けてもらい
持参しました。
元来花の好きな義姉ですし、少しでも喜んでもらえればと考えてです。
義姉の入院した病院は、十数年前に主人も癌だの脳梗塞だのでやはり長い間入院していたこともあった所です。
当時はまだ古い建物で、人の多いウィークデイはそうでもありませんが土日などは訪ねていくとどこかしら陰気な感じのする場所でした。
ま、病院という場所柄もあるでしょうけれど、原爆に関連もしている場所でもありますのでその頃の記憶が建物自体に残っているようでも
ありましたしね。
けれど既に新しくなった建物はそんな様子もなく、どこまでも明るい清潔感が感じられる場所へと変貌しておったようです。
ともあれそんな所へ見舞いに行き病棟へ入ると、これもまた以前とは比べ物にならないくらい快適な場所になっておりました。
そんな病棟の一室へ義姉はおりました。
訪ねるとA子さんが付き添っておられ、果たして義姉が私だと分かるかなと懸念しましたがちゃんと認識してくれたようでした。
但し、やはりというのか以前のようなしっかりとした義姉の感じではなく、主人が段々とそうであったようにどこかしら呆けたような顔つき
になっていたのは否めないところです。
それでも私の手を取りじっと顔を見つめてくる義姉自身、これまた当然ながら主人に良く似ており、さすがに姉弟だよなと感じたところです。
とはいえこれも申すよう、言動は以前の義姉の勇ましさと子供返りのかわいらしさとおこりっぽさとあれやこれやがない交ぜになった様々な
感情が立ち表れているようでした。
A子さん曰く、多重人格みたいと言っておりましたが義姉自身の持っていたうちに秘めていたこれらの性格が今一度に出てきているようにも
思えたのでした。
そんな義姉は以前はどこかおっかない感じもしておりましたが;今は何かしら憎めないというと怒られそうですけれど、どこかかわいい人
に思え、それがまた少し不憫で、自分にしても見舞った後にはどうとも言い難い感覚に感じておったのも事実です。
必ずいつかは自分も通る道、そう思うのは自分自身が既にそのような世界と近しいところまで来ているからでしょうか。
二時間程を義姉やA子さん、それに最後には彼女のご主人も来られ「痛いよぉ おなかすきました!! 早く!」とある時は怒鳴りながら
次の瞬間には懇願するようにものを言う義姉を囲んでそこへ居たのでした。
五時近くになり、そろそろ帰ってくれていいよというA子さんの言葉で、じゃまた来ますねと御挨拶し、その場を辞しました。
帰路はまた街中を通っていつものバス停からバスに乗ったのですが、華やかな周りの様子を見てもとても何か見て帰ろうという気にはなれず
そのまま20分ほどバスを待っておりました。
辺りはお休みの方が多く、中には何か催し物の帰りでしょうか、素敵な花束や華やいだ格好の女性も見受けられましたが、そんな姿も今日
ばかりはどこかしら色褪せて見えていたように思います。





                                 
                               



バスを下り、家路へ向かう頃にはかなり暗い足元でした。
最後に、これはお笑いとさせて頂ければと思うのですが;いつも通る里道のその先の茂みの中、なにやらガサゴソと音がしておりました。
まさかイノシシではあるまいに、とその場を通り過ぎましたが、その直後に後ろでなにやらブヒブヒという声?が。
え;と思い振り返ると、いや本当にイノシシがその場へいたのです;;。
もう慌てて一目散に駆け出したのですが、追いかけてくることなく向こうも驚いて今一度茂みへと逃げたようでした。
いや~慌てましたよぉ;。
あのまま猪突猛進されていたならば、今頃私はこの文章をしたためておられなかったことでしょう;。(笑)
終わり良ければ全て良し。
そう締めくくりの出来た今日の日でした。




                                  





今日は身内のことにかこつけて書かせて頂きました。
彼岸の頃、これも何かご先祖からの働きかけなのかもしれません。
皆様はどのような過ごされ方をなさっておられますでしょうか。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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