日々徒然なるままに

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ありがとう

2017-10-12 20:53:13 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は朝からどんよりとした一日でした。
降る様でそれほどでもなく。
ただやはり曇りのため、少し早めに散歩に行って来ました。
なんというのか遠くの山辺りは雲に覆われているのですけれど、此の辺りはそこまででもなく、どことなく冬の雪を思わせるような景色でした。
もちろん気温は昨日までとは格段に下がっておりますが、当然雪が降るような気候ではありませんでしたよ。
そんな日の朝はこのように曇っておりました。



                              
                                





遠くが時雨れた感じが、気温が低ければ雪といった様相を呈しておりました。




                                




                                



今朝トイレ掃除をしながら、ふとシリアの難民の子供の顔が思い浮かびました。
もちろん会ったこともない子供です。
その顔を頭に思いながら、自分はこのように清潔なトイレを心掛け且つ使わせて貰えているけれど、彼らはあの劣悪な環境で暮らし、トイレは
おろか住環境でさえも厳しいのではないのか、そんな思いが浮かびました。
そのような環境の中で、此の子供らに笑顔はあるのだろうか、その親達はどうなのだろう、笑えることはあるのだろうか、そんな事が去来して
おりました。
思ったからといってどうなるものでもないけれど、それでも思いの中で、此の彼らの顔が笑っている様を思い浮かべることで少しでも彼ら自身が
実際に笑えるのならば、そう思おう、そう感じておりました。

そう思いつつトイレ掃除を続けながら、このような自分の今の有り様、これ自体がとても有り難いことなんだ、すごいことなんだ、そう感じて
尚のこと、有り難い、そう心の底から思いが出てくるようでした。
何もそう感じた自分がすごいと言っているのではなく、今の此の環境、此処へ不自由を感じることなく不安を覚えることなく、ごくごく普通に
暮らしておれる、その事自体に有り難いなぁ、と思えた、そういうことです。

そう思うと尚更、見たことも会ったこともない、でも頭に浮かんで来たシリアの人々の顔を思い浮かべ、その顔が笑っている様子を想像した
のでした。

どうってことはない、単なる自分一人のちっぽけな思いですけれど、この三次元はそんな自分達の思いで作られているともいわれます。
それならば大いに良い状況を思い浮かべることが大事なのでは、と感じます。



                                



昨日の「さとうみつろうさん」の『笑えるスピリチュアル』というブログにも、この「ありがとう」という言葉、その定義について語っておら
れます。
自分が書いたこととは若干ニュアンスが違うのですけれど、言いたいことはどことなく似ている気がします。
彼が書いていたのを読んで自分もそう思った、といいたいところですけれど、読んだのはトイレ掃除をした後の事でした。
いや、だからといってこれまた自分がすごいんじゃね?と自慢しておるのでは全く無く、先日も申したように、人間考えることがどこか上の方で
繋がっているんじゃないのかな?ということです。
此の上の方で繋がってるんじゃ?、という事自体は、自分自身も随分前に書いております。
一人がそう思うと、どこかしらで共鳴して物事がそのように繋がって行く、それが形をなして、自分達の目の前に現実として現れてくる、そう
いうことではないのかな、と。
それならば、ありがとう、有り難いと思うことを続けていれば、これはずっとそのような状況が続いていくということでもあるのかな、とも
感じます。
同じ暮らしていく、生きていくのならば、ありがとうと感じられる方がいいに決まっていますものね。



                                


そんなトイレ掃除をした後、今日はいつもより気持ちを落ち着けて祝詞奏上させて頂く事ができました。
その後に、しばし目を閉じてあの白水明さんの呪文を唱えて瞑想してみました。
その時に頭に浮かんで来た言葉です。


            「そなたは 私
             私は そなた 
             夢疑うことなかれ
             見えている景色 人の顔 それ全て そなたの魂 御霊が宙(そら)を飛び 見ているもの
             夢ではない 全て現実 
             人々の笑顔を思えば そのようになる 」

            「先だっての龍の絵は、そなたに我がどこにでもおることを示す為にそなたに見せた
             空の上だけではなく、いつでも どこでも我はおる 」

            
そのような言葉が入って来るようでした。
その時は、自分の目を閉じていても非常に明るく暖かい光を感じておりました。
その光に包まれる感じでもありました。
またこのように瞑想しておりますと、しばらくすると下から突きあげるようなエネルギー、エナジーを感じ、それが身体の中を通り頭上から
抜けていくようにも感じられます。

また毎回申すように、此の言葉自体、自分で自分に言っているのかもしれません。
ですけれど、このように頭に浮かぶ言葉、これは聞いた後に自分で書き取っていたものですけれど、書いていたので覚えておることでもあり、
自分自らが考えていたのでしたら、時間が経ても覚えておるのではとも思います。
いずれが本当のことなのか、そこれそわかりませんけれど、大事にしたい言葉だと感じております。



                                



その他にも、いつも散歩に行く際に持ち歩くスマホですけれど、これとて今でこそ写真が撮れて当たり前ですがその昔は写真一枚撮るのでも
それなりのカメラが必要であり、撮ってその場で確認することなど出来よう筈もありませんでしたよね。
そう考えると、この小さな本体に電話機能からメール、パソコンのする仕事ほぼ全般等、あらゆるものが詰め込まれており、何と便利になった
ものよ、と感じざるを得ません。
これとても、まさに有り難いことだよなぁ、と感じておる次第です。



自分一人で誰もいないのにありがとうもおかしな話かもしれませんけれど、それでも今此処にあること、在れることそのこと自体にありがとう
そう思います。


そういえば今日は息子の誕生日、二十六年前のこの日に生まれて来てくれたんだなぁ、そう思うとこれもまたじんわりくるほど有り難いことだ
よなぁ、そう感じさせて頂いております。
親バカで本当にすみません;。



こんな感じの今日のブログ、いつにもまして纏まりがありませんけれど;。
お付き合い頂きました皆様、これこそ誠に有難うございます。
感謝申し上げます。

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