こんばんは。
今日は朝から青空が覗いておりました。
もっとも日中、少しだけゴロゴロと遠雷が聞こえていましたが雨が降ることもなく終わったようでした。
(解像度が悪いのでなんとも;ですが、遠くの山に光が射して美しい光景でした)
(なんだか顔に見えたりもしなくもないような?)
(こうして見てると秋の空みたいですね)
今夜もでしたっけ、ぺルセウス座流星群が見えるというのは。
見えれば嬉しいんですけどねぇ。
今夏はこの辺り、どうにもお天気が今一つな時が長く続き、とうとうあのネオワイズ彗星も肉眼で見ることは叶いませんでした;。
ただし、この辺りの天候が良かったとしても空そのものが明るければやはり分からなかったでしょうしね。
こればかりは仕方ありませんが、五千年に一度の邂逅と聞けば、そりゃ見てみたいと思うのは人情?というものでして。(笑)
その分Facebookや、昨日などは買い物ついでにちょこっと寄ってみた書店で科学雑誌を立ち読み(すみませんです;)させてもらい、その
雄姿を拝見させて頂きました。
Facebookのそれもかなりの迫力ですが、雑誌に掲載されていたのはかなり拡大してあり、思わずお~!と言いたいほどの姿でしたね。
次に会えるとすれば五千年後?!
その頃、我々人類はどうなっているのか、そう考えるだけでなんだかロマンがあります。
既に太陽系位までなら普通に旅行とかして木星のあの大赤斑を見るツアーとか出来てたりして。(笑;)
と、なんだか彗星の話からとりとめのない話へと進展してしまいました、オバサンの戯言と思っておいてください。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はスサノオノミコトの香りをつけて致しました。
スサノオノミコト
〝 これからの世
そちら一人ひとりが作って行く世となるぞ
誰か一人が覇を取り 君臨するではなく
互いが横並びであろうと 良き世にしようと励むのぞ
誰が良いとか 悪いとかではなく
互いに認め合い 尊重し合うのぞ
これ 最も大事ぞ
新しい世 明るい世にして参れ 〟
このように言われました。
素戔嗚尊といわれる神様、元々は出雲の地を治めていたであろう豪族の首長ともされているようです。
そう考えると上で言われたように、これからの世の在り方を説かれたのもあながち無くもないのではと思います。
当時、いえ今もそうですが何処かを治めようとするならばそこへはリーダーが必要とされてきました。
力の強い者が覇権を握り、諸々の事柄を手中に収める、それが上に立つ者の特権でもあり、役割とされてきたのかもしれません。
けれどこれからの世の中は一人ひとりが独立したような形で物事がなされていくのではということのようです。
そこへは正しい競争というと語弊がありますが、互いに切磋琢磨することはあっても、互いが高め合えるような関係性になっていければと
感じるところです。
実際にそのようになるのはまだ時間が掛かることでしょう、現に今この現実世界では多くの衝突があり、日々きな臭いことも少なからず
起こっているのが実状です。
しかしそれらの過程を経て、これではいけないと自分達が確信したらば新しい在り方へと目覚めていけるのではと思います。
理想論と言われるかもしれません、けれどそのようにして世界は日々進化していくのではとも思うところです。
(この雲、友人といろんなものが写っているねぇと話してました、分かりますかね? 答え合わせは明日のココロ 笑)
はい、出雲のお話でございます。
これまでにももう何度も同じような話を散々しておりますので、なんも目新しいことなんてないよねと思われるかもしれませんね。
確かに仰る通り;、そこまで新しいことなど何にもないのですけどもね。
ですのでお暇な方はこの先、読み進めてみてください、すみませんです。
神楽殿で御祈祷を終えた後は、御本殿へ参拝となります。
係の職員さんに伴われて御本殿へと参ります。
御本殿へは大きな扉があり、一般の方は普段はこの中、瑞垣内には入ることは出来ません。(初詣などは開けております)
守衛さんがおられるその門を開けて頂き、中へ入ります。
いつもならそのまま御神前へお進みくださいと促されるのですが、この日は少し此方でお待ちくださいと言われました。
時刻は午後2時半を回った頃、けれどこの時刻は既に大神様方に夕御饌(ゆうみけ)をお出しする頃、すなわち夕食の時間というわけです。
かなり早いじゃないかと思われるでしょうけれど、神様は朝夕二回のお食事と決まっておりますのでこの時刻となるのですね。
(夕食としてもかなり早いですけど;)
話は飛びますが、その昔まだ主人が元気だった頃に大社へ参拝し、やはりこの時間にちょうど御祈祷が終わり、今回と同様、この夕御饌に
掛かったことがありました。
当時は前国造(こくそう)の頃、また今回よりやや早かったのか、自分達の待つその場所で国造と数名の神職がその場でお祓いをされ
国造を先頭に大神様へのお供え物を携えて御本殿前の階を登って行かれるのを拝見したことがありました。
国造、我々は国造様とお呼びしておりますが、滅多に目の前でお目に掛かれることのない、言ってみれば今以上に雲の上の方という雰囲気
でしたので随分と緊張したのを覚えております。
主人は、まぁいろんなエピソードをその頃聞かされておりましたので、そこまででもなかったようですが;。(ワルイ学生でしたんでね;)
今回久方ぶりの夕御饌の刻と重なり、そんな以前のことを思い出しておりました。
さて神職らが大神様へお供え物をされているのを階の向こうへ垣間見ながら、自分達は御神前まで進み、拝礼させて頂きました。
この際にはさっきおられた自分と同年代と思しきご夫婦?に先に行って頂き、続いて我々親子が拝礼させて頂きました。
この御前までくれば、来させて頂きまして有難うございます、これからもどうぞよろしくお願いします、そんなことしか浮かんできません。
各々頭を垂れて神様に御挨拶し、御本殿から外へと出ました。
此処で先の神楽殿から肩掛けと称して白い掛け物をしておりましたが、それを職員さんにお返しし、これで御祈祷は滞りなく終わりました。
ところでこの御夫婦、祝詞の際にどうも遠賀郡(おんがぐん)とその住所が聞こえたように思いました。
お互い此処までご一緒した訳ですし、どちららお越しになられたのですかと伺えば、やはり福岡県からと仰います。
更にもう一つ、気になっていたのは先程のこの方々の祝詞の最中のお名前が別々に読み上げられていたということでした。
え?あんた、そこまで聞いてるんかい?と言われそうですが;すみません;一応自分もこの仕事させて頂いておりますので内容はほぼ分かります。
どうやら出雲大社にて良縁祈願を願われ、それが今回成就したということで、つまりはこれから籍をお入れになるということらしく、そのお礼
参りにお越しになられたようでした。
え~、福岡なら宗像大社(むなかたたいしゃ)がおありでしょうにと申しますと、いえやはり縁結びは出雲大社に限りますと仰っておられました。
傍から見ていても長年連れ添われた中年の御夫婦、そう感じておりましたがこの度めでたくご縁があり、晴れて御夫婦になられるようでした。
ご主人となられる男性、ちょっと見はまるであの清原さんみたい(どういう意味;)ですが破顔一笑、笑うと人懐こい笑顔に此方までほっこり
させて頂きました。
此処でお会いしたのも何かのご縁、どうか末永くお幸せにとお伝えし、そこでお別れ致しました。
(トラ柄の黒いシャツに黒いマスク
黒いパンツと、なんだかねぇなおニイさん;)
(ま、私も大した服装はしておりません; 滅多に二人で撮ることなどないので記念に一枚、パシャリと)
(午後なのに咲いていた朝顔 おくにがえり会館壁面)
その後に祖霊社へ車を停めておりましたので、そこまで戻るついでにと申しますと怒られそうですが;都の稲荷さんへと参拝させて頂きました。
お名前から分かるように京都の伏見稲荷より御神霊(おみたま)を勧請し、此方で祀ってあるものです。
この社も平成の大遷宮と呼ばれる大改修の折に色々と改修され新しくなっております。
普段の御参拝のルートからは若干外れておりますがこじんまりとして落ち着いた雰囲気のお稲荷さんです。
お越しになられる方はどうかお足を運んでみてください。
(境内の内側から撮りました)
出雲大社での参拝は終えて、これからは最初の目的の墓掃除となりますが、またもやこの続きは明日にさせてくださいませ。
やはり長いので少しずつとさせて頂ければと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は朝から青空が覗いておりました。
もっとも日中、少しだけゴロゴロと遠雷が聞こえていましたが雨が降ることもなく終わったようでした。
(解像度が悪いのでなんとも;ですが、遠くの山に光が射して美しい光景でした)
(なんだか顔に見えたりもしなくもないような?)
(こうして見てると秋の空みたいですね)
今夜もでしたっけ、ぺルセウス座流星群が見えるというのは。
見えれば嬉しいんですけどねぇ。
今夏はこの辺り、どうにもお天気が今一つな時が長く続き、とうとうあのネオワイズ彗星も肉眼で見ることは叶いませんでした;。
ただし、この辺りの天候が良かったとしても空そのものが明るければやはり分からなかったでしょうしね。
こればかりは仕方ありませんが、五千年に一度の邂逅と聞けば、そりゃ見てみたいと思うのは人情?というものでして。(笑)
その分Facebookや、昨日などは買い物ついでにちょこっと寄ってみた書店で科学雑誌を立ち読み(すみませんです;)させてもらい、その
雄姿を拝見させて頂きました。
Facebookのそれもかなりの迫力ですが、雑誌に掲載されていたのはかなり拡大してあり、思わずお~!と言いたいほどの姿でしたね。
次に会えるとすれば五千年後?!
その頃、我々人類はどうなっているのか、そう考えるだけでなんだかロマンがあります。
既に太陽系位までなら普通に旅行とかして木星のあの大赤斑を見るツアーとか出来てたりして。(笑;)
と、なんだか彗星の話からとりとめのない話へと進展してしまいました、オバサンの戯言と思っておいてください。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はスサノオノミコトの香りをつけて致しました。
スサノオノミコト
〝 これからの世
そちら一人ひとりが作って行く世となるぞ
誰か一人が覇を取り 君臨するではなく
互いが横並びであろうと 良き世にしようと励むのぞ
誰が良いとか 悪いとかではなく
互いに認め合い 尊重し合うのぞ
これ 最も大事ぞ
新しい世 明るい世にして参れ 〟
このように言われました。
素戔嗚尊といわれる神様、元々は出雲の地を治めていたであろう豪族の首長ともされているようです。
そう考えると上で言われたように、これからの世の在り方を説かれたのもあながち無くもないのではと思います。
当時、いえ今もそうですが何処かを治めようとするならばそこへはリーダーが必要とされてきました。
力の強い者が覇権を握り、諸々の事柄を手中に収める、それが上に立つ者の特権でもあり、役割とされてきたのかもしれません。
けれどこれからの世の中は一人ひとりが独立したような形で物事がなされていくのではということのようです。
そこへは正しい競争というと語弊がありますが、互いに切磋琢磨することはあっても、互いが高め合えるような関係性になっていければと
感じるところです。
実際にそのようになるのはまだ時間が掛かることでしょう、現に今この現実世界では多くの衝突があり、日々きな臭いことも少なからず
起こっているのが実状です。
しかしそれらの過程を経て、これではいけないと自分達が確信したらば新しい在り方へと目覚めていけるのではと思います。
理想論と言われるかもしれません、けれどそのようにして世界は日々進化していくのではとも思うところです。
(この雲、友人といろんなものが写っているねぇと話してました、分かりますかね? 答え合わせは明日のココロ 笑)
はい、出雲のお話でございます。
これまでにももう何度も同じような話を散々しておりますので、なんも目新しいことなんてないよねと思われるかもしれませんね。
確かに仰る通り;、そこまで新しいことなど何にもないのですけどもね。
ですのでお暇な方はこの先、読み進めてみてください、すみませんです。
神楽殿で御祈祷を終えた後は、御本殿へ参拝となります。
係の職員さんに伴われて御本殿へと参ります。
御本殿へは大きな扉があり、一般の方は普段はこの中、瑞垣内には入ることは出来ません。(初詣などは開けております)
守衛さんがおられるその門を開けて頂き、中へ入ります。
いつもならそのまま御神前へお進みくださいと促されるのですが、この日は少し此方でお待ちくださいと言われました。
時刻は午後2時半を回った頃、けれどこの時刻は既に大神様方に夕御饌(ゆうみけ)をお出しする頃、すなわち夕食の時間というわけです。
かなり早いじゃないかと思われるでしょうけれど、神様は朝夕二回のお食事と決まっておりますのでこの時刻となるのですね。
(夕食としてもかなり早いですけど;)
話は飛びますが、その昔まだ主人が元気だった頃に大社へ参拝し、やはりこの時間にちょうど御祈祷が終わり、今回と同様、この夕御饌に
掛かったことがありました。
当時は前国造(こくそう)の頃、また今回よりやや早かったのか、自分達の待つその場所で国造と数名の神職がその場でお祓いをされ
国造を先頭に大神様へのお供え物を携えて御本殿前の階を登って行かれるのを拝見したことがありました。
国造、我々は国造様とお呼びしておりますが、滅多に目の前でお目に掛かれることのない、言ってみれば今以上に雲の上の方という雰囲気
でしたので随分と緊張したのを覚えております。
主人は、まぁいろんなエピソードをその頃聞かされておりましたので、そこまででもなかったようですが;。(ワルイ学生でしたんでね;)
今回久方ぶりの夕御饌の刻と重なり、そんな以前のことを思い出しておりました。
さて神職らが大神様へお供え物をされているのを階の向こうへ垣間見ながら、自分達は御神前まで進み、拝礼させて頂きました。
この際にはさっきおられた自分と同年代と思しきご夫婦?に先に行って頂き、続いて我々親子が拝礼させて頂きました。
この御前までくれば、来させて頂きまして有難うございます、これからもどうぞよろしくお願いします、そんなことしか浮かんできません。
各々頭を垂れて神様に御挨拶し、御本殿から外へと出ました。
此処で先の神楽殿から肩掛けと称して白い掛け物をしておりましたが、それを職員さんにお返しし、これで御祈祷は滞りなく終わりました。
ところでこの御夫婦、祝詞の際にどうも遠賀郡(おんがぐん)とその住所が聞こえたように思いました。
お互い此処までご一緒した訳ですし、どちららお越しになられたのですかと伺えば、やはり福岡県からと仰います。
更にもう一つ、気になっていたのは先程のこの方々の祝詞の最中のお名前が別々に読み上げられていたということでした。
え?あんた、そこまで聞いてるんかい?と言われそうですが;すみません;一応自分もこの仕事させて頂いておりますので内容はほぼ分かります。
どうやら出雲大社にて良縁祈願を願われ、それが今回成就したということで、つまりはこれから籍をお入れになるということらしく、そのお礼
参りにお越しになられたようでした。
え~、福岡なら宗像大社(むなかたたいしゃ)がおありでしょうにと申しますと、いえやはり縁結びは出雲大社に限りますと仰っておられました。
傍から見ていても長年連れ添われた中年の御夫婦、そう感じておりましたがこの度めでたくご縁があり、晴れて御夫婦になられるようでした。
ご主人となられる男性、ちょっと見はまるであの清原さんみたい(どういう意味;)ですが破顔一笑、笑うと人懐こい笑顔に此方までほっこり
させて頂きました。
此処でお会いしたのも何かのご縁、どうか末永くお幸せにとお伝えし、そこでお別れ致しました。
(トラ柄の黒いシャツに黒いマスク
黒いパンツと、なんだかねぇなおニイさん;)
(ま、私も大した服装はしておりません; 滅多に二人で撮ることなどないので記念に一枚、パシャリと)
(午後なのに咲いていた朝顔 おくにがえり会館壁面)
その後に祖霊社へ車を停めておりましたので、そこまで戻るついでにと申しますと怒られそうですが;都の稲荷さんへと参拝させて頂きました。
お名前から分かるように京都の伏見稲荷より御神霊(おみたま)を勧請し、此方で祀ってあるものです。
この社も平成の大遷宮と呼ばれる大改修の折に色々と改修され新しくなっております。
普段の御参拝のルートからは若干外れておりますがこじんまりとして落ち着いた雰囲気のお稲荷さんです。
お越しになられる方はどうかお足を運んでみてください。
(境内の内側から撮りました)
出雲大社での参拝は終えて、これからは最初の目的の墓掃除となりますが、またもやこの続きは明日にさせてくださいませ。
やはり長いので少しずつとさせて頂ければと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。