日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

いつまでが松の内?

2018-01-04 20:45:35 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日から通常、日常に戻るかなと考えておりましたが案外とまだゆっくり時間が過ぎているように感じられます。
先日も申したようにやはり本格的には来週の連休明けくらいからでしょうか。
来るまでは待ち遠しいお休みですけれど、過ぎてしまうとあっという間の感覚ですね。
不思議なものです。
そんな日の朝はこんな感じ、雲が多いなと思っている間に朝焼けになりました。
といってもその後、特にお天気が崩れるということもなかったようです。



 
                                 




                                 





                                




                  
                                




スマホでこのブログをご覧下さっている方にはわからないかと思いますが、今年の初めにブログの装いというのか壁紙をお正月風に変えております。
門松が登場していたりして結構おめでたい感じになっておるのですが、これをいつ頃までしておいてもよいものなのか、ちょっと考えてしまい
ますね。
以前なら松の内と称して、これもまた以前の成人の日とされていた十五日頃までは十分飾っていたのでしょうけれど、最近はもっと早いのかな、
とも思います。
とは言え大体広島近辺ではどこでもこの日くらいに、とんどとかどんどと呼ばれるお祭りで古い注連縄やお飾り等を燃やしてお焚き上げをし、無病
息災を願ったりする伝統行事を執り行っておられます。 
ということは、それくらいまでは、このブログの門松も飾っておいても?よいのかもしれませんね。 
たかがブログのレイアウトという感じですけれど、同じ背景ですとさすがに飽きが来たというのか少し気分も変えたいなと思い、そうしてみました。
松の内が終われば、またちょっと変えてみようと思います。
というより変えないと、いつまでも門松飾っておいたんじゃ、それこそ良くないですよね;。




          
                                



昨日辺りから、なんとなく少しだけ咳が出るなと思っており朝起きると、喉が痛い感じです。
息子が戻り、喉の痛みが取れないと言っておりましたが、どうやら置き土産をしてくれた?ようですね。
明日からは信者さんのお宅へ新年のお祓いへ参らせて頂きますが、さて声が出るかなと我ながら案じておるところです。
今日は少し下界まで買い出しに行こうかと考えておりましたがこんな調子で余計悪くしたら元も子もないと思い、ネコとふたり、家の中でちんまり
と過ごしました;。
耳下腺が少しだけ腫れているようでもあり、無理は禁物と用心したところです。
若くないよなぁ;とつい感じてしまった自分です;。
 


あまり声を張り上げないようにして今朝は祝詞奏上させて頂きました。
そんな今日は大神の言葉であったのか、聴かせて頂くことが出来ました。




 〝  佳きほうへ 参れ 必ずそうなる 光ある方へ向かえ 必ず そうなる

    その中で 影(陰?)の部分も見えてくる

    それは 何であるのか 見ていくうちに 分かる  

    それもまた 光へと 転換させよ   〟

 
 後ろに白龍 玉を持ち 光のある 強烈な朝日の方へ向いている
 
 自分の頭越しに その大きな姿
 
 金龍も後ろ? 相変わらず大きな顔が覗いている


 彼方此方へ行く方が良いのか?

  
 〝  呼ばれれば 参れ  その時が来る

    まずは 時をみて 折りをみて 社(大社)へ参れ

    (人とも)その時が来れば いずれ必ず 会える

    今は 朝(あした)に 日を拝め(おろがめ)

    それでよい

    伊勢の空気は また 時来れば 授かることになる   〟
 

このところ頭の中に言葉が入ったり、或いは瞑想をしたりしても頭頂が以前よりも遥かに強い圧力というのか何かを感じるようになりました。
どのような感じと言っても説明のしようがないのですけれど。
よく胸の辺りが温かいとか、自分ですと眉間辺りにこのモワモワした感覚を良く覚えておりましたが、このところは頭の上ばかりに感じられる
ようになっております。
だからといって何かあるのか変わったことはあるのかと言われても格段変わりなど感じられず、その時だけの感覚でしかありません。
良いとか悪いとか、そのようなこともわかりません、ただそのように感じるというだけのことです。
あくまで自分サイドの話なので取り立てて話すことでもないのですけれどね。
今日もそのような感じで、これらの言葉が入って来ておりました。

自分の場合、大概は頭の中へ映像として感じられます。
これが人によっては音であったり、また別のもので感じられる人もいるようです。
また見えるのではなく、あくまでもそのような感覚として受け取っているということです。
これもどのように説明すればよいのかわかりませんが、白龍もその姿がしっかりと目の前に見えているというのではありません。
頭の中に今風に言えばバーチャルな感じで見えているというのが一番近いのではとも思います。
実体は無いのに、感じているという、そういう感じでしょうか。
要するに同じ場所であっても次元が違う処へお互いがいるのでお互いに触って確かめるということは難しいという風に言えるかもしれません。
こう説明すると、よけい分かりにくいでしょうかね;。
ともあれ、そんな感じで感じ取っております。

光ある方というのは、抽象的ですが比喩として捉えるのかどのように考えるのか、これもいずれにしても自分が明るいと感じられる方へ進路を
取れということなのだと思っております。
ただし、その明るい側にも必ず暗い部分、ダークな部分は存在する、けれどその部分ですら光があたる側へと転換、反転させることは可能なのだと
いうことを言われたように思います。    
強烈な光が当たっている反面はその分、これも非常に暗い部分が存在しますね。
けれどそこの部分へも光を当てることにより、その暗さでさえも明るくすることが可能なのだということでしょうか。
この辺り、理解は出来るようにも思いますが、なかなか難しいように感じます。

そんな風にして聴いている?すぐ後ろには白龍が自分の頭越しにその大きな顔をこれもまた眩いほどの朝日に向けておるようでした。
光の圧力とでもいえるような、そんな風のような圧を感じられるほど強烈な光のようでした。
手には透明な、しかし輝くような玉を携えております。
そしてそのまた後ろには金龍の大きな顔が見えておりました。
何か象徴的なことを暗示していたのでしょうか、そこまではしかとはわかりませんでした。

彼方此方というのは、これもどうしてか頭に伊勢(神宮)が浮かんできたからですけれど、これについては今すぐにどうということはない、むしろ
今は朝昇ってくるその日、太陽そのものに手を合わせて拝みなさいというように言われました。
確かにまた時期がくれば、いずれは彼の地を訪れるようになるのかもしれません。




                                                                     



一日グズグズしておりましたが、何とな今はく熱っぽい感じがしないでもありません;。
しかし病は気から、とも申します。
それこそ、気合を入れて明日からのお祓いに臨みたいと思います。
あ、でも人には移さないよう(もし風邪ならば;)、そこは万全を期して参りたいと考えております。(って、大丈夫かいな;)



          
                                 




ちょっと、間の抜けたような今日のブログとなってしまいました(これもいつものことか、うむ~;)



それでも変わらずお付き合い頂きました皆様、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
 




    
                                                                              

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