日々徒然なるままに

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神迎祭と龍蛇神

2017-07-10 22:44:11 | 神様等について
こんばんは。
暑い一日でした、ムシムシ感は半端ありません。
東のほうは、かんかん照りのようですし、うまくいかないものですね。
今朝は、こんな感じ。


                                


昨夜山の端から見えていた月も、月光環という、少しぼんやりとした冠を被ったように見えていましたよ。
ただし、やはりガラケーでは、解像度は今ひとつというのか、今三つ;という感じ。
仕方ありませんです;。


                                  


ところで昨日、宗像大社が世界遺産に登録されたとの嬉しいニュースがありました。
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、福岡県宗像市の沖ノ島や宗像大社など8つの構成資産から成る遺産群ということらしいですね。
その宗像大社と、大島にある中津宮にはご縁があり、幾度か参拝させていただいたことがあります。
宗像大社はその名のとおり、かなり大きなお宮であられたのを記憶しております。
今回、あの場所が世界遺産になったとうかがって、さもありなん、と感じました。
こちらの事については、またいずれ書かせて頂ければと思っております。
世界遺産への登録、おめでとうございます。


                                


さてさて、話題は昨日書きかけていた龍蛇神についてでしたね。

稲佐の浜で毎年旧暦の十月十日執り行われる神迎え祭、続いての神在祭、此処へは八百万の神々がお越しになられます。
元々日本では旧暦十月を神無月と呼び習わしておりますが、出雲のみは神有月と称し、この言葉自体は室町時代の「下学集」という辞書にもそれが
書かれておるということで、かなり古より出雲には神様が集うと信じられていたようです。
先に大国主大神が国譲りの際、『日本書紀』にあるように、大国主大神は天の神に向かい
「吾が治(し)らす顕露(あらわに)の事は皇孫まさに治めたまうべし、吾はまさに退きて幽(かく)れたる事を治めん」
といわれ、以来神事つまりは幽事(かくりごと)を司ることとなったという伝えがあるとされております。
この伝承と結びついて、全国の神々は出雲大社に集われ、これから一年間の幽事を相談するという信仰を生み出し、幽事というところから、男女の
縁結びはいうに及ばず、あらゆる人の世の諸般の出来事まで、その全てをこの時の神議り(かむはかり、神様の会議というものと解釈頂ければと思
います)により決められると信じられているとされる故、この神議りこそが、神在祭であるとされております。

さて海を渡って神々はお越しになられるわけですが、この時にはどうっと風が吹いたり、それまで何事もなく晴れていたのに一転俄かに掻き曇り、
ともすれば雨が降ることもある、不思議な天候となります。
これらも、目に見えぬ神様方のお越しを知らせる一種の印なのかもしれません。
また、この祭の当日は近隣の方々はこの期間に参集された全国の神々との神議りに差し障りがあってはならないとして、皆さん扉を閉め物音を立て
ぬよう静かに過ごされます。
このようにひっそりと過ごすということで土地の方は「御忌祭(おいみさい)」と呼んでおられるそうです。
この神々を国造以下出雲大社の神官が迎え入れ、大社までの道程を歩いて向かいます。
この迎え入れる際に、白い絹垣にて周りを被いながらお越しになられた神様を人間の目に触れないように致すわけですが、その先導役となられるの
が龍蛇神といわれておるものです。

やっと話が、この龍蛇神までたどり着いたのですけれど、もうしばらく続きます。

神在祭の頃は、海が荒れる頃でもあり、この頃にこの龍蛇神とされている「海蛇」が波に乗って稲佐の浜に浮かびより来るが多いとされておるよう
です。
(もっとも近年はその数も減ってきており、年によるとほとんど無い時もあるとのことです。)
巷間、この海蛇こそを人々は「龍蛇神」様と称し、八百万の神々が参集されるにあたり、龍蛇神様が大国主大神のお使いとして大社まで来たのだと
いい、その日、神人は予め潔斎し海辺に出、泳いでくる龍蛇神様を玉藻の上に承ります。
こうして迎えた龍蛇神様を曲げ物に載せて注連縄を張り、大社の神殿に納めるのが慣わしとなっておったようです。
なお、大社の御神紋とされている亀甲文様も、この海蛇の背の紋によるものではないかともいわれております。

このようにして納められ祀られた龍蛇神様が先に述べたように、この祭の先導役となられるということですね。
また、この龍蛇神とよばれておる海蛇は大小様々のようで、小さいものは30センチ程、大きいものになると2メートルにもなるものがあったよう
です。
祭の日ではなくとも、大社の稲佐の浜に上がったものは大社へ、日御碕の海岸へ上がったものは日御碕神社へ、北浦の海岸へ上がったものは佐太神社
へと、それぞれの神社へ奉納されておられたようです。
神社ではこれをお祀りし、豊作、豊漁、または火難除け、家門繁栄の印として、信徒の皆さんはその御神縁を受け、帰られるというわけです。
この龍蛇信仰というもの自体がいつ頃から始まったのかは定かではないようですが、室町時代末期には既にあったということは記録に残っておる
とのことです。
また、この龍蛇神とされている海蛇が上がるのは範囲が出雲地方の海浜に限られ、またその時期もこの神在祭の頃にしか無いようで、余計に人々の
神秘感をそそるものがあったのではないか、とされておるようです。   


以上、出雲大社及びその周辺の神社による龍蛇神、またその信仰等について述べさせて頂きました。
なお今回、この龍蛇神についての説明文は、そのほとんどを出雲大社第八十二代国造、千家尊統(せんげたかむね)著による学生社刊、『出雲大社』
より抜粋とさせて頂きましたことを申し述べるものです。
これはつまり、カンニング、今風にいえばコピペということになります、申し訳ございません。
ですけれど、これを機に興味を持たれた方は、どうぞ前述のこの書物を紐解いてみられて下さいませ。
当然ではありますが、国造その方ご自身が述べられたより多くの様々な事柄について書かれてあります。
より一層、深く知る一助になるのではと存じます。
  
                          

神迎祭、また神在祭、これについて自分が感じましたことは、また改めて(まだ続きます、すみません;;)書かせて頂ければ、と思います。

本日も、また長々としたこのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。



ご相談等、承っております。
 
  kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
  

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