こんばんは。
お盆と言っても早い方は既に故郷を離れ、帰路についておられるかもしれませんね。
或いは全く関係なく普段どおりお仕事の方もおられるかと思います。
いずれにしましても天候も各地で全く違い突然のゲリラ豪雨に襲われたり台風の脅威があったり、陽射しの強さにまだしんどい思いをなさって
おられる方も少なくないかと思います。
どのようであれ、体調を崩さないようお気をつけ下さいね。
しつこいくらい話しております;(本当にすみませんです;うるさくて;)この身体の痒み、少し良くなったかな?と思っているとすぐにまた
ぶり返して、ところかまわずかきむしっておりました。
今でもそうですけれど、それでも少しずつは赤みや痒みが引いてきたように思います。(と書いていると、またなるのですが;)
夕方いつも歩いていたのを息子が帰省してからは休んでおります。
別に彼がいるからとかではなく、日が翳ったと思って歩いてきても暑さはやはりかなりあるわけでして、そこを歩くとどうしても汗をかき、普段
ならどうもないことでも今回はその汗がまた悪かったようで、手の甲といわず腕と言わず、このところは日に当たっていないお腹あたりまで真っ赤
になってきており、つい知らず知らずに掻いておりました;。
そんなこともあり、しばらくやはり歩くのは控えようと考えたからでした。
深窓の令嬢ならぬ、ただの引きこもりのオバサンですけれどね;。(苦笑)
身体の不調の辛さはやはり自分がなってみないとわからないものだとつくづく感じておるところです。
そんな超消極的な過ごし方(笑)をしておりますが、祝詞奏上は変わらずさせて頂いておりますよ。
大神や別の存在からも言葉を受け取ったようでした。
大神
〝 伝えたであろう
香りは醸されていくのじゃ
この香り 多くの者等に広めよ
手らの香り 我の香りでもあるぞ 〟
この事はこれまでにも幾度となく言われてきたことですけれど、今日もしっかりと伝えられました;。
実際自分が作った時点ではまだ香りが色々と混在しているようで、それはそれで面白いのですが時間が経つにつれ少しずつハーモニーというのか
調和してきて、渾然一体となりそれが何ともいえず良い感じになってきているように思えます。
まぁ自画自賛と言われれば、それまでですけれど;(苦笑)
それでも、この香りならばテラ、或いは大神の一部と言われても納得出来るかもと思っております。
日々変化していくその香りに癒されておるのは他でもない自分ですので;。
その次にまた別の存在から言葉を聴きました。
“ この時期 多くの御霊がこの世へ戻ると考えられています
本来はいつでも会えるのです
けれど 人々の意識でそのように設定したため
その考え方が固定化して 今日に至っています
やがて 御霊 魂は終わることのない延々のものであるということが
認識されるようになるでしょう
そうなると墓という概念そのものが無くなってきます
けれど このことが変わるにはまだ五十~百年は掛かるかもしれません
徐々にそうなってきてはいます
樹木葬などがその良い例です
やがて肉体そのものが滅んでも 別の新たな「あなた」となり
再生することを知るようになります
そうなるとまた大きく変化します
今はその過渡期です
だからといって 今ある墓をないがしろにしてよいというのではありません
その人の亡き後 やはり敬う気持ちは大切です
大事にされた御霊 魂は 次に転生するにも
喜びを持っていくことが出来ます
そうでない魂は 別の世界 次元へと向かうことにもなります
いつであれ どこであれ 尊ぶ気持ちは大事です
それを忘れないで下さい ”
このような内容を聞いたことがある方、或いはいやこんなことは初めてだと感じる方、それぞれだと思います。
実のところ、自分もこのようなことはこれまでにも聴いたことはありましたが自分に向けて話されたのはそこまで無かったのではと思います。
お盆は郷里のご先祖に会いに帰る、直接的には故郷の家族や親戚に会いに行きながらお墓参りも兼ねるということかと考えます。
それが至極当然と考えられてきた時代も長かったかと思います。
けれどそんな時代も段々と変遷を重ね、お墓も墓終いという考え方も出てきていると聞きます。
あるいは樹木葬として故人を葬るということも認知されてきました。
ここのところを話し出すとまだまだ多くの考え方があり、とても自分などが簡単に語れることではないと、それは認識しております。
ですので、そこのところは少し横に置いておいて(って、置けないかもですけれど;)上で言われておるように今現在がちょうどそのような
過渡期であるともされておるようです。
自分がここで私見を述べるよりも、言われております事柄をご自身が自分でどのように捉えられるかではと思います。
誰しもやがては死を迎えますが、それは全てが終わりとなるわけではなく、自分というものはどこまで行っても続いていくものなのだ、そこの
ところが腑に落ちれば肉体が滅びるという事についての怖れは無くなるのではと感じます。
いきなりこのような話をしても面食らうばかりかと思いますが、自分にしてみるとそうであろうな、とむしろ納得する思いがしておるところです。
祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして四千五百円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は二千五百円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
此方も上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
尚、九月まではこのうちの五百円をこの度の豪雨災害の義援金とさせて頂きます。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。
またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいね。
テラも待っておりますよ~。
kimikimiblue13@gmail.com
今日はイルカのエーヴィンの言葉も受け取っておりましたが書いてみると案外と長くなったようですので;これはまた明日にでも上げさせて
頂こうと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
お盆と言っても早い方は既に故郷を離れ、帰路についておられるかもしれませんね。
或いは全く関係なく普段どおりお仕事の方もおられるかと思います。
いずれにしましても天候も各地で全く違い突然のゲリラ豪雨に襲われたり台風の脅威があったり、陽射しの強さにまだしんどい思いをなさって
おられる方も少なくないかと思います。
どのようであれ、体調を崩さないようお気をつけ下さいね。
しつこいくらい話しております;(本当にすみませんです;うるさくて;)この身体の痒み、少し良くなったかな?と思っているとすぐにまた
ぶり返して、ところかまわずかきむしっておりました。
今でもそうですけれど、それでも少しずつは赤みや痒みが引いてきたように思います。(と書いていると、またなるのですが;)
夕方いつも歩いていたのを息子が帰省してからは休んでおります。
別に彼がいるからとかではなく、日が翳ったと思って歩いてきても暑さはやはりかなりあるわけでして、そこを歩くとどうしても汗をかき、普段
ならどうもないことでも今回はその汗がまた悪かったようで、手の甲といわず腕と言わず、このところは日に当たっていないお腹あたりまで真っ赤
になってきており、つい知らず知らずに掻いておりました;。
そんなこともあり、しばらくやはり歩くのは控えようと考えたからでした。
深窓の令嬢ならぬ、ただの引きこもりのオバサンですけれどね;。(苦笑)
身体の不調の辛さはやはり自分がなってみないとわからないものだとつくづく感じておるところです。
そんな超消極的な過ごし方(笑)をしておりますが、祝詞奏上は変わらずさせて頂いておりますよ。
大神や別の存在からも言葉を受け取ったようでした。
大神
〝 伝えたであろう
香りは醸されていくのじゃ
この香り 多くの者等に広めよ
手らの香り 我の香りでもあるぞ 〟
この事はこれまでにも幾度となく言われてきたことですけれど、今日もしっかりと伝えられました;。
実際自分が作った時点ではまだ香りが色々と混在しているようで、それはそれで面白いのですが時間が経つにつれ少しずつハーモニーというのか
調和してきて、渾然一体となりそれが何ともいえず良い感じになってきているように思えます。
まぁ自画自賛と言われれば、それまでですけれど;(苦笑)
それでも、この香りならばテラ、或いは大神の一部と言われても納得出来るかもと思っております。
日々変化していくその香りに癒されておるのは他でもない自分ですので;。
その次にまた別の存在から言葉を聴きました。
“ この時期 多くの御霊がこの世へ戻ると考えられています
本来はいつでも会えるのです
けれど 人々の意識でそのように設定したため
その考え方が固定化して 今日に至っています
やがて 御霊 魂は終わることのない延々のものであるということが
認識されるようになるでしょう
そうなると墓という概念そのものが無くなってきます
けれど このことが変わるにはまだ五十~百年は掛かるかもしれません
徐々にそうなってきてはいます
樹木葬などがその良い例です
やがて肉体そのものが滅んでも 別の新たな「あなた」となり
再生することを知るようになります
そうなるとまた大きく変化します
今はその過渡期です
だからといって 今ある墓をないがしろにしてよいというのではありません
その人の亡き後 やはり敬う気持ちは大切です
大事にされた御霊 魂は 次に転生するにも
喜びを持っていくことが出来ます
そうでない魂は 別の世界 次元へと向かうことにもなります
いつであれ どこであれ 尊ぶ気持ちは大事です
それを忘れないで下さい ”
このような内容を聞いたことがある方、或いはいやこんなことは初めてだと感じる方、それぞれだと思います。
実のところ、自分もこのようなことはこれまでにも聴いたことはありましたが自分に向けて話されたのはそこまで無かったのではと思います。
お盆は郷里のご先祖に会いに帰る、直接的には故郷の家族や親戚に会いに行きながらお墓参りも兼ねるということかと考えます。
それが至極当然と考えられてきた時代も長かったかと思います。
けれどそんな時代も段々と変遷を重ね、お墓も墓終いという考え方も出てきていると聞きます。
あるいは樹木葬として故人を葬るということも認知されてきました。
ここのところを話し出すとまだまだ多くの考え方があり、とても自分などが簡単に語れることではないと、それは認識しております。
ですので、そこのところは少し横に置いておいて(って、置けないかもですけれど;)上で言われておるように今現在がちょうどそのような
過渡期であるともされておるようです。
自分がここで私見を述べるよりも、言われております事柄をご自身が自分でどのように捉えられるかではと思います。
誰しもやがては死を迎えますが、それは全てが終わりとなるわけではなく、自分というものはどこまで行っても続いていくものなのだ、そこの
ところが腑に落ちれば肉体が滅びるという事についての怖れは無くなるのではと感じます。
いきなりこのような話をしても面食らうばかりかと思いますが、自分にしてみるとそうであろうな、とむしろ納得する思いがしておるところです。
祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして四千五百円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は二千五百円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
此方も上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
尚、九月まではこのうちの五百円をこの度の豪雨災害の義援金とさせて頂きます。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。
またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいね。
テラも待っておりますよ~。
kimikimiblue13@gmail.com
今日はイルカのエーヴィンの言葉も受け取っておりましたが書いてみると案外と長くなったようですので;これはまた明日にでも上げさせて
頂こうと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。