どうして「朝サイ」はじめたの?
モチベーションのひとつはフジヤマ……
人間、還暦を過ぎるとアチコチ経年劣化で、ポンコツになる。
腰が痛いだの、血圧が高いだの、痛風になっただの……。健康診断をしたら××だらけ、同年代同士の会話となると病気自慢に思えるぐらいの雰囲気だ。
とはいえ、先輩の自転車の師匠に言わせれば、「まだまだ若いな。もう少し加齢が進むと薬自慢になるんだ」だそうだ 。
まぁ、一般的には40歳を過ぎて、健康診断の要再検で病院に行ったら言われることは決まっている……「煙草をやめなさい、ダイエットしなさい、食生活に気をつけなさい、運動しなさい 」
「運動? ゴルフやってますけど?」と医師に言おうもんなら、「〇〇さん、あればゲームだ。プロ並みに練習すれば別だがね」なんて言われてしまう。
自分の場合は、20年以上前にそんなことを言われ、いつの間にか自転車に乗るだけでなく、スイムもランもするようになっている(笑)。
しかし、いくら運動していても、経年劣化で体力も落ちてくるし、アチコチ痛かったりするし、ちょっと酒を飲んだだけですぐに眠くなったりする。
さらに膀胱の伸縮性が無くなってきたせいか、世が白みかけた明け方にトイレに起きることもしばしばだ。酔っ払って早く寝たので朝は二度寝に陥ることもなく悶々として、明るくなってきたカーテンを眺めながら、ぼんやりと人生の残り時間を考える。
「この時間がもったいない……」
これが、「朝サイ」をはじめたキッカケだ。この年齢ならではの思考パータンだろうか?
自宅から3kmほど走れば荒川サイクリングロードがあったのが幸いだった。
早朝のピンク色に染まった富士山をはじめて見たときには、感動もさることながら、とても得した気分だった。
【自宅から3kmほどの荒川の土手上からの風景】
【早春の景色】
【少し上流、西区付近から】
「早起きは三文の徳」とはまさにこれだな、と思いながら 清々しい気分になったことを覚えている。そんなこともキッカケとなり、朝サイ(クリング)なるものが始まった。
同じ場所でも、季節や時間によって見える景色がちがうし、趣も異なる。そんなことに気が付き、愛おしく思えるようになったのは、中年になってからだ。
【同じ場所から撮影しても季節によってこんなに違う】
若い頃は、花を見て綺麗だなとは思うことはあっても、愛おしいという感情は皆無だった。その頃は、オートバイに乗ってスピードを楽しみ、カッコよくコーナリングを決める方が優先順位が高かったのだ。
でも、いつからか「生きることは死ぬこと」なんて禅問答みたいなことを思い、「人間はいつか死ぬし自分も例外ではない」ということを悟った頃から、春の桜の美しい景色をみて、「この景色をあと何回楽しめるのだろう」と思い始め、にわかに花や景色が愛おしくなったのだと思う。
今では、マンションの窓から東の空を眺めて、「今日の富士山は最高かもしれない!」なんて感じると、寝起きで腰が痛くてやっとの思いでトイレに行ったことも忘れて、サイクルパンツとジャージに着替えてそそくさと出かけるのが常だ。
最近は、新型コロナの影響で夜の会食も皆無になり、早く寝て早く起きる(トシなので目覚めるが正しい)ので、カーテンを開けて雨でも降っていると落胆は著しいが……。
【冬の景色、桜区役所付近】
【街側をみるとこんな景色】
【早春の景色】
【仲間がいるとうれしいよね】
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