先日の土曜日の夕方から、仙台・塩釜・多賀城へ。
今月三日の義母の命日に行くことが出来なかった妻と次男と出かける。
仙台近辺は、若かりし頃の時間の多くを費やした場所。
そして今は、トライアスロンであったり、贅沢な海産物と地酒を楽しみながら妻の里帰りに付き合う場所でもある。
震災後、四度目の七ヶ浜訪問。火力発電所の方から車で通行してみた。
少しは、なんらかの復興の兆しでも見られるかと淡い期待をもって、車を走らせたが、瓦礫の撤去は進んだものの、期待には程遠い状況だった。
毎年七月のトライアスロンで、一生懸命応援してくれたバァチャン達は今どこにいるのだろう…消え去った街並みを運転しながら、そんな思いにかられ寡黙になってしまう。
二十代、そして最近ではトライアスロンで何度も訪れたこの辺りは、以前の街並みをよく知っている故に 例えようも無い気持ちになる。
救いは、海の景色は以前とほぼ同じ景色だったこと。そして前回まで放置されたままだったコンテナも片付けられていた。
帰る日、時間が少しあったので、荒浜と閖上に行くことにした。
報道で壊滅状態と聞き頭では理解しても、それを信じたくない気持ちが有った。荒浜は仙台市内から一番近い海水浴場だ。東北の短い夏の中でもちゃんと海の家があった。貞山堀の橋から浜辺にかけては、道の両側で浮袋や食べ物を売っていたりして、こじんまりした中でも活気が有って好きだった場所だ。
元々有った街並みが、家の基礎を残してサッパリ流されていた。たぶん、以前の景色を知らない人は事の甚大さを理解できないと思う。これは荒浜に限った話ではないけれど、津浪の直撃で街が消え失せてしまった景色と津波で壊れた家屋が点在する景色では、後者の方が初めての訪問者にはインパクトがあるらしい。しかし、実際は前者の方がより強烈な被害にさらされているのだ。以前の街の営みや賑わいを知る者にとっては想像を絶する破壊力に絶句し、そしてそこに生活していた人々を思うと何か役立つ事をしなければという焦燥感が、込み上げてくる。
昔よく走った道沿いに南下して閖上に向う。ここもトライアスロンとは少なからず縁のあるところだ。プールもありサイクルスポーツセンターも有った街。日曜日には新鮮な魚介類や野菜の市場も開かれ、活気ある漁師の街だった。
ここも街が消え失せていた。瓦礫は片付けてあったけれど…
まるで、家も立っていない誰も入居していない住宅団地ように道路だけは整備されている。
佐々直の蒲鉾屋の看板が、ここに工場が有ったんだぞと言わんばかりに、ポツンと取残されたように立っていた。
閖上を後にして、仙台空港を経て、東部道路から仙台市内に戻る。
妻も無言だ。車の中の空気が重苦しい。
「どんより重いな、気持ちが…」
とポツリ私がいうと…
「最初から、解ってるでしょっ!」
と責められる。
気持ちを切り替える為にも、
仙台駅の中の土産物屋めぐりをする。試食もできてウレシイ。
佐々直の蒲鉾屋があった。
「閖上の佐々直蒲鉾店です~!」
とおばちゃんが元気に販売していた。
「閖上の工場はダメでしょ?どこで?」
と聞いたら、名取の街よりにも工場があるのだそうだ。
閖上の街は危険地域に指定されていて、建物を立てたりすることが出ないのだそうだ。
と元気に説明するこのオバサンに慰められたような気持ちになってしまった自分に思わず苦笑する。
新幹線の中で弁当と地酒と地ワインを堪能しながら帰路につく。
これもお手伝いと自分自身に言い聞かせながら…
今月三日の義母の命日に行くことが出来なかった妻と次男と出かける。
仙台近辺は、若かりし頃の時間の多くを費やした場所。
そして今は、トライアスロンであったり、贅沢な海産物と地酒を楽しみながら妻の里帰りに付き合う場所でもある。
震災後、四度目の七ヶ浜訪問。火力発電所の方から車で通行してみた。
少しは、なんらかの復興の兆しでも見られるかと淡い期待をもって、車を走らせたが、瓦礫の撤去は進んだものの、期待には程遠い状況だった。
毎年七月のトライアスロンで、一生懸命応援してくれたバァチャン達は今どこにいるのだろう…消え去った街並みを運転しながら、そんな思いにかられ寡黙になってしまう。
二十代、そして最近ではトライアスロンで何度も訪れたこの辺りは、以前の街並みをよく知っている故に 例えようも無い気持ちになる。
救いは、海の景色は以前とほぼ同じ景色だったこと。そして前回まで放置されたままだったコンテナも片付けられていた。
帰る日、時間が少しあったので、荒浜と閖上に行くことにした。
報道で壊滅状態と聞き頭では理解しても、それを信じたくない気持ちが有った。荒浜は仙台市内から一番近い海水浴場だ。東北の短い夏の中でもちゃんと海の家があった。貞山堀の橋から浜辺にかけては、道の両側で浮袋や食べ物を売っていたりして、こじんまりした中でも活気が有って好きだった場所だ。
元々有った街並みが、家の基礎を残してサッパリ流されていた。たぶん、以前の景色を知らない人は事の甚大さを理解できないと思う。これは荒浜に限った話ではないけれど、津浪の直撃で街が消え失せてしまった景色と津波で壊れた家屋が点在する景色では、後者の方が初めての訪問者にはインパクトがあるらしい。しかし、実際は前者の方がより強烈な被害にさらされているのだ。以前の街の営みや賑わいを知る者にとっては想像を絶する破壊力に絶句し、そしてそこに生活していた人々を思うと何か役立つ事をしなければという焦燥感が、込み上げてくる。
昔よく走った道沿いに南下して閖上に向う。ここもトライアスロンとは少なからず縁のあるところだ。プールもありサイクルスポーツセンターも有った街。日曜日には新鮮な魚介類や野菜の市場も開かれ、活気ある漁師の街だった。
ここも街が消え失せていた。瓦礫は片付けてあったけれど…
まるで、家も立っていない誰も入居していない住宅団地ように道路だけは整備されている。
佐々直の蒲鉾屋の看板が、ここに工場が有ったんだぞと言わんばかりに、ポツンと取残されたように立っていた。
閖上を後にして、仙台空港を経て、東部道路から仙台市内に戻る。
妻も無言だ。車の中の空気が重苦しい。
「どんより重いな、気持ちが…」
とポツリ私がいうと…
「最初から、解ってるでしょっ!」
と責められる。
気持ちを切り替える為にも、
仙台駅の中の土産物屋めぐりをする。試食もできてウレシイ。
佐々直の蒲鉾屋があった。
「閖上の佐々直蒲鉾店です~!」
とおばちゃんが元気に販売していた。
「閖上の工場はダメでしょ?どこで?」
と聞いたら、名取の街よりにも工場があるのだそうだ。
閖上の街は危険地域に指定されていて、建物を立てたりすることが出ないのだそうだ。
と元気に説明するこのオバサンに慰められたような気持ちになってしまった自分に思わず苦笑する。
新幹線の中で弁当と地酒と地ワインを堪能しながら帰路につく。
これもお手伝いと自分自身に言い聞かせながら…
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