意識有り ゆえに我在り 我思う
意識無くとも 脳は眠らず (8) By kinukototadao
朝起きると、真っ先に新聞を取りに行くのが私の日課なのです。地下室への脇階段を下りて行こうとして、スイッチを押したのです。ところが階段の電気がつかないのです。どうして電気がつかないのかしらと、不思議に思って、はたと気づいたのです。脇階段の電気をつけるのだから脇階段のスイッチ盤のスイッチを押さないといけないのに、玄関のタタキの壁のスイッチを押していたなんて。
私ぐらいの年齢になると、脳の老化も或る程度進んできているので、自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友を楽しむ生活を送っていても、或いは「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の潜在的な機能自体は正常なレベルにあっても、何か別のテーマに注意がそれていたりすると(「前頭葉」の注意の分配力の顕在的な機能の発揮度が低下した状態が起きてきていると)、老化現象としてのこうした症状が生じてくることになるのです。
それとはまったく別の構造的なメカニズムが原因なのですが、60歳を超えた年齢のお年寄りが、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々繰り返すような生活を速いケースだと半年間遅いケースでも3年間継続していると、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の機能が異常なレベルに機能低下した構造的な状態が恒常的に続くようになり(潜在的な機能レベルの低下)、間違えたスイッチとも気づかないで押してしまうような老化現象としての私の症状と外観だけから見ると類似したような現象、しかし老化現象ではなくて「認知症の初期症状」が、「何時でも、起きてくるようになる」のです。
〇 脳全体の司令塔としての「前頭葉」の諸機能とその役割
額のところにある「前頭葉」は、脳の最高次の機能です。運動の脳、左脳及び右脳を統括し、「脳全体の司令塔の役割」を担っています。私達人間だけに特有な機能である意識的な(自由で選択的な)意思や思考や行為や言動や行動の世界では、「左脳」が「デジタルな情報」の処理を専任的に行なうときも、「右脳」が「アナログな情報」の処理を専任的に行なうときも、「運動の脳」が「身体」を専任的に動かすときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳及び運動の脳の「三頭の馬」)の御者の役割をしている「前頭葉」の「評価の物差し」の機能による状況判断とその指示なしには、勝手には動けない仕組みになっているのです。三頭の馬のどれかが働くときには、必ず事前に「前頭葉」によるチェックと指示とが為されるのです。
「前頭葉」が自分の置かれている状況を判断し、その判断に従って、三頭の馬を主導しつつ、「前頭葉」の状況判断に沿う形で同時に協働しながら、三頭の馬が目的となる「テーマ」を実行していくというのが、「意識的な世界」で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。但し、本題からはちょっと脇道にそれるのですが,ここで言う意識的な世界には、意識に覚醒されてはいなくても脳機能としては選択的に働いている世界が存在することを注意喚起したいのです。一定の機能レベルにはあるが意識度が低い状況にある、「前頭葉」を含む脳全体の機能状態のことなのです。
「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の顕在的な発揮度を意識的に次第に下げて行くとき、(「前頭葉」の機能の発揮度と意識との関わりを調べていけばいく程)意識的な世界でありながら専門家とされる人達から無意識の世界と混同されている世界があることに私たちは気付いているのです。思考、行為、言動、或いは行動のいづれであるかを問わず、それらを一定レベルで行うには、「意識」が一定レベル以上の度合いで覚醒されていることが不可欠であり、その意識の覚醒の度合いは「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の分配力及び注意の集中力の働き具合に左右されていると私たちは考えているのです。その肝心要の「前頭葉」の三本柱の機能には内在的な(生来的な)性質としての「正常老化の性質」が存在していることを私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた極めて多数の「脳機能データ」が証明しており、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限定されることともリンクしていることを示唆してもいるのです。
(ここで、コーヒー・ブレイク) 私たちがこのブログの中で使用する「意識的」という意味は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のいづれか及び/又はそのうちの二者/又は全てが一定の機能レベルで機能しているがために(顕在的な機能)、意識が一定レベルで覚醒されている脳の機能状態を言います。心理学の専門家達から「無意識」と呼ばれているものには、潜在的な機能である「前頭葉」の「評価の物差し」としての機能の潜在的な存在の状態(潜在的な機能の状態)と顕在的な機能であるが「意識の覚醒度」が極めて低い状態にあるために意識に覚醒されていない状態(顕在的な機能の状態)とがあるそのこと自体が理解されていないか、或いは両者が混同されていると私たちは考えているのです。
(本題に返って)「脳の機能の顕在的な発揮度とその機能の潜在的な機能レベル」という視点から言えば、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も潜在的な機能レベル自体は未だ正常なレベルにあるのです。三頭の馬はどれも未だ正常なレベルにあって、脳全体の司令塔の役割を担っていて「三頭建ての馬車」の御者である「前頭葉」の潜在的な機能レベルとしての働き具合だけが「異常なレベル」に衰えてきている状態なのです。そのため、「前頭葉」の機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、発想、計画、創意、工夫、洞察、推理等「前頭葉」の各構成機能によるその「認知度」及び「発揮度」を左右(下支え)している「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えてきているが為に、様々な場面で、状況や目的に即しては(又は、状況や目的に十分には)「前頭葉」の各種個別の機能を十分には発揮できなくなっているが故の「認知症の初期症状」が発現してくることになると考えているのです。
60歳を超えた年齢の「高齢者」(発病の「第一の要件」)が、何かを「キッカケ」としてナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させる中で(発病の「第二の要件」)、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の潜在的な機能レベルが加速度的に衰えていくことが「アルツハイマー型認知症」を発病させるのです(発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。
「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、自分が置かれている状況の判断も的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるし、発想が湧いてこないし、見通しも立たないし、何をどうするのかという「テーマの構想と計画や工夫」も出来なくなってくるのです。テーマを実行する上で不可欠である実行の態様や程度、おかれている状況や相手との関係などのシミュレーションも的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるのです。最終的な決断も足元が揺らいでくるのです。
意識的に何かの「テーマ」を発想し、計画し、決断する上で必要不可欠の働きをしている「意欲」が不十分或いは断続的にしか発揮できなくなってしまうので、毎日をボンヤリと過ごして、居眠りばかりするようにもなります。何かの「テーマ」に取り掛かってみても、「注意の集中力」が続かなくて、「あれも遣り掛け、これも遣り掛け」という風に、中途半端になってしまうのです。「注意の分配力」が十分には働かないので、頭の回転が鈍くなってしまい、かつてのようにテキパキと用事を処理することができないのです。
これまでの本人を特徴づけていたその人らしい物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する「前頭葉」の評価機能である行動指針の反映としての「生活態度」が大きく変化し、或いは失われていき、「こんな人ではなかったのに」と周りから言われるようにもなるのです。他人に対する応答や対応の仕方を含めて「人柄の本質」自体が変わっていくような特徴的な症状を示してくるのですが、それは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えていることが直接の原因となって「前頭葉」の評価の物差しとしての潜在的な機能が異常なレベルに機能低下していることを反映した認知症の症状なのです。潜在的な機能自体が異常なレベルに衰えているので、日常の生活面での「前頭葉」機能の発揮度それ自体(機能レベルのアウトプットそれ自体)が認知症の初期症状として発現することになるのです。「軽度認知症」(小ボケ)のイメージは、何事も人を頼るようになり、一日や一週間の計画も立てられず、指示してもらわないと動けない「指示待ち人」が特徴なのです。
〇 状況を判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行の仕方を規制しているのが「前頭葉」の「評価の物差し」
「前頭葉」の評価の物差し自体は、あくまで後天的に形成されるものなのです。4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族環境の中での実体験を基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより悩み、迷い、或いは拒絶し、挑戦し、好むと好まざるにかかわらずそうしたもろもろの体験の集積が幼児期に獲得したその原型の上に加味され、溶け込んでいく中で、最終的に自分としての独自のものを形成し、確立していくのです。
なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する行動指針のことを言います。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーション、或いは計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や態度を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に非選択的に関わってくることになる「評価規範」のことなのです。なお、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度のいかんに拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が「前頭葉」の各種の個別構成機能全体を覆ってしまい、状況の判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンも、或いはそれらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による非選択的な評価が下された制約の下で実行されることになるという機序の意味なのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が「人格」或いは「人柄」であり、顕在的な機能状態が「心」或いは「気持ち」であると考えてください。
通常のケースとしては、幼児期に形成されたその「原型」を基礎機能として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により加味或いは付加される価値観を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(価値規範、評価規範、或いは行動指針)を形成していくことになるのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、同時に、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言えるでしょう。
なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、幼児期に形成された評価の物差しの「原型」は、その後の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できないほど、最終的な自分なりの或いは自分独自の評価の物差しを確立していくことに対する影響が極めて大きいのです。
3つ子、4歳以前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族環境の中での体験に対して、それらを評価したり、批判したり、反発したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観」として、ただひたすらに受け入れるだけだからなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまう、そのまま入り込んで評価の物差しの「原型」を形成してしまうことなのです。幼児を育児中の親は、この点に対する強い認識と自覚を持つ必要があると思うのです。
但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」と更には、その子が左脳優位に生れついたのか、或いは右脳優位に生れついたのかの差異があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになるということについての理解が重要です。
〇「アルツハイマー型認知症」の段階的症状と脳の機能レベル
「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、他の種類の認知症とは異なり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「認知症の症状」として直接発現してくること並びに回復させることが可能か否かという視点から見た時、回復させることが容易な「小ボケ」の段階があって、次いで回復させることが未だ可能な「中ボケ」の段階があって、最後に回復させることが困難な「大ボケ」の段階があるという風に、「段階的な症状」を示すのが特徴なのです。
従って、本当の意味での「初期の症状」、回復させることが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階での症状を的確に判定するには、この「前頭葉」の機能レベルの精緻な測定に基づく判定作業が不可欠のものとなるのです。その場合、極めて高額な費用が掛かるだけで、その割に「前頭葉」の機能レベルの精緻な計測及び判定には不向きなCTやらMRIやらSPECTやらPETやらを使うのではなくて、或いは回復させることが困難な「大ボケ」の段階で見つけるのではなくて、私たちが開発した「二段階方式」のように「前頭葉」の機能レベルを精緻に計測でき及び的確に判定できる上に費用が極めて安価な「神経心理機能テスト」を認知症の診断を専門とする医師達が使うようになってほしいのです。
回復させることが可能な「本当の意味での早期の段階」を見つけるのが医師としての社会的な使命だと思うからです。医療現場の現状は、回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているのです。「大ボケ」の段階で見つけることに何の意義があるというのでしょうか。見つける段階が遅ければ遅いほど、周りの家族の精神的及び経済的負担が増すだけでなくて、介護保険による費用の負担を含め、国が負担する医療費も莫大なコスト増加となるのです。
私たちの主張には未だ権威はありませんが、私たちが2年前のこのブログ A-35で(ここを「クリック」してください)予告した、「東日本大震災」の被災地の高齢者達の間に起きてきていると予告した問題(認知症の専門家と言われる人達の経験値をはるかに超える極めて高い割合による「アルツハイマー型認知症」発病の問題)が確認され、マスコミに取り上げられるようになれば、それなりの権威もついてくるとは思うのですが、私たちの主張にはこれまでの20年間にわたる市町村での「地域予防活動」の実践で示してきた成果による裏付けもあるのです。
「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方とという視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳の活性化を目的とした「生活習慣の改善」により発病を予防することもできるし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけると正常なレベルに脳の機能を回復させることができる(認知症を治すことができる)のです。
〇「前頭葉」の各種構成機能の発揮レベルを決定する三本柱の機能
意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、感動、発想、企画、計画、創意、工夫、シミュレーション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、決定及び決断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。意識的に何かの「テーマ」をそれなりのレベルで実行するには、一定レベルでの「意識」の覚醒が必要不可欠であり、更に一定レベルでの「意識」を覚醒させるには、一定レベルでの「認知度」及び「発揮度」が必要となるのです。
脳が(意識が)未だ十分に覚醒していない状態、例えば「寝ぼけ眼」の状態を考えてみると分かり易いと思うのですが、三本柱の機能の発揮度が一定レベル以下だと、先に例示したような「前頭葉」の各種構成機能であるそれらの「認知機能」自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」及び「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱」の機能(これは、私たちが独自の見解で命名したものなので、インターネットで検索しても出てきません)なのです。
先に例示したような「前頭葉」の構成機能(私たちは、47に及ぶ構成機能を確認しています)を中核の機能として、その下部機能である「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も共同参加して、脳全体で何をどのようにするかを決めるには、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になります。脳の機能面という視点から、通常の過程でこれを説明すると、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、一定レベルでの「意欲」が継続的に発揮されていることが不可欠なのです。更には、様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経て、最終的な実行内容とその実行の仕方(程度及び態様)を決定した上で、左脳や右脳や運動の脳に対し実行に移す指令を出すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の一定レベルでの継続的な発揮も必要になります。言い換えると、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が、「意識度」並びに「前頭葉」の各種構成機能の「認知度」及びその「発揮度」を左右しているという「二重構造」になっていると私たちは考えているのです(この見解自体も、極めて多数の脳機能データの解析に基づく、私たち独自の見解です)。
更に別の視点からの問題として、意識的に何かの「テーマ」を実行する過程における「前頭葉」の働き、各構成機能の関わり方を概説した上述の説明に付け加える必要があるのは、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、その全過程で常に「記憶」の問題が絡んでくるということなのです。何かの「テーマ」を発想するといっても、無から有が生じるわけではないのです。更には、状況判断に沿ったテーマを発想するには、状況判断の結果を記憶しておいて、且つ注意の分配機能を使って様々なシミュレーションを行う必要があるのです。計画した実行内容の実行の結果がどうなるかについての様々なシミュレーションを行うには、計画した実行内容を記憶しておいて、且つ洞察や推理の機能を使って実行結果がどうなるかのシミュレーションを行う必要があるのです。状況判断に沿った「テーマ」の発想や様々なシミュレーションを行う際に必要不可欠となる、「左脳」がらみの言葉や論理や計算、「右脳」がらみの映像、或いは「運動の脳」がらみの身体を動かすイメージ等は全て、それらに関連する過去の記憶が関わることになります。
そもそも記憶は、記銘、保持、そして想起という過程により構成されています。種々の段階における様々なシミュレーションを行う上で、関係する内容に関わる累積され蓄積された過去の記憶並びにシミュレーションの際に記銘した内容の保持と想起とがそもそも要求されることになるのです。その上に、次の項目で説明するように、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合には、記銘、保持及び想起という脳の機能にも、その発揮度を左右する「前頭葉」の3本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)のそれぞれの機能レベル並びにそれを反映した程度及び態様による関わり方の直接的で強い影響があるのです。
認知症の専門家と言われる人たちでさえ未だ気づいていないことなのですが、「中ボケ」の段階から、様々な「記憶障害」の症状が発現してくる原因は実はここにあるのです(「物忘れ」のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。(注:下記右端の図は、小ボケ、中ボケ及び大ボケの合算数値を示します)。
〇「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質
上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳の働きの「3本柱」の機能と言えるのです。ところが、私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」には、それらの機能が使われる機会が多い生活習慣が継続されているにもかかわらず、「加齢」とともにその働きが衰えていくという性質、いわば「正常老化の性質」が内在されているのです(この性質は、私たちの発見に基づく私たち独自の命名です)。
脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の三本柱の機能に「20歳代の半ばを過ぎると、年をとるにつれて100歳に向かって、緩やかではあるが徐々に直線的に働きが衰えていく」という特徴を有する「老化曲線」があること(「正常老化の性質」が内在していること)が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の重要な指標となるのです。私たちが開発した「二段階方式」を活用して集積した極めて多くの脳機能データの解析の結果、私たちが定義する「第一の要件」及び「第二の要件」と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が証明されたのです。
自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友や運動や社会活動など自分なりの目標がある生活を継続していて、それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかではあるが直線的に衰えて行くという性質があるのです。
「高齢者」の入口である65歳頃には、「前頭葉」の「三本柱」の機能レベルが最も高い20歳代の半ば頃にくらべると、そのほぼ半分くらいにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代と加齢が進むにつれて更に低空飛行となっていくのです。すなわち、「前頭葉」の三本柱の機能には加齢とともに緩やかではあるが直線的に衰えていく内在的な性質があることに注目すべきなのです(この性質に注目して私たちは、「60歳を超える年齢の高齢者」という要件を「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」としているのです)。
実態面からも明らかなように、「アルツハイマー型認知症」は、50歳代以下の年齢で発病する人は極めてまれなケースであり、60歳代以降の年齢の「高齢者」が発病の対象となり、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になればなるほど、発病する人の年齢別の割合が、どんどん増えて行くのです。その背景には、「前頭葉」の「老化曲線」のカーブの傾きの度合いが、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢になると、日々の生活面での脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになることがあるのです。
このことが、アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを理解し解明する上で、極めて重要な要因となるのです。三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」の働きは、脳の後半領域の働きである左脳、右脳及び運動の脳から送られてくる情報の質と量次第で、「老化の曲線」の傾き具合が、「緩やかに低下するカーブ」を描き(「正常な老化」)、或いは、「加速度的に低下するカーブ」を描く(「異常な老化」)ことになるのです。
たくさんの量と質のよい情報が送られてくるような「生活習慣」が継続されているお年寄りは、老化の曲線は緩やかなものとなり、身体が持つ限り脳も保てる、「かくしゃく老人」への道が開けてきます。
生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていて、量も少なく質も劣る情報しか送られてこない「生活習慣」が継続されているお年寄りは(これが私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」なのです)、老化の曲線が加速度的な低下の曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。
第一の要件と第二の要件とが重なり合うことにより、言い換えるとその「相乗効果」により、脳全体の司令塔の役割を担っていて三頭立ての馬車の御者の役割をしている「前頭葉」の機能が「加速度的」なカーブを描いて「異常な機能の低下」が進行していくこととなり、その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです。
「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、本人も周りも認知症を専門とする医師さえもがそのことに気付かないで、相変わらずナイナイ尽くしの単調な生活が続いていると、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階が始まり、それでも周りが気付かないで年のせいなどと悠長に構えていて、相も変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されたままでいると、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入っていくことになるのです(「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各期間の目安については、ここを「クリック」してください)。
繰り返しになりますが、「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」なのです。本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして、「右脳」も「運動の脳」も使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していくと(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が「第一の要件」と「第二の要件」との「相乗効果」により廃用性の加速度的な機能低下を起こして、異常なレベルに衰えてきたとき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。
〇「小ボケ」の段階における「前頭葉」の機能レベル
私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際には、置かれている状況を判断するにも、状況判断に沿ったテーマを発想するにも、発想したテーマの内容を企画し計画するにも、或いはその内容を実行した場合の結果をシミュレーションするにも、自分独自のものとして確立されている自分独自の「前頭葉」の評価の物差しという「網」が必ず先ず全体に覆い被せられた上で、そうした個々の機能が発揮されていく、それが私たち人間だけが獲得した脳のメカニズムなのです。それ故、その人の人格は、その人独自の「評価の物差し」を反映したものとしての物の見方、感じ方、考え方、行為や行動や言動、或いは表情や感情の表出の仕方などに具現化されることになるのです。
「前頭葉」の機能の中核をなしていて、何かの「テーマ」を発想し或いは選択するために不可欠の「状況の判断」並びに選択したテーマをどのように実行するか及びその実行の態様や程度や仕方をどのようにするかのシミュレーションを行う際に不可欠の機能である「評価の物差し」の機能不全を反映した症状を「小ボケ」の症状の類型の中から拾い上げてみましょう。「評価の物差し」の機能不全は、実は、あの「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力
注)本著作物(このブログB-07に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
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