あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

広島へ

2011-08-08 10:55:00 | ノンジャンル
僕は、かねてから原爆投下の8月6日8時15分のその時間を広島で迎えたいと考えていました。
当時、労組役員だったこともあり、原水禁運動の動員参加者として何度かは広島や長崎へ行くチャンスがありましたが、(ソ連・東欧交流派遣と同様に)断ってきました。僕自身のお金で行くべきだと思っていたからです。
今回は、「広島青空音楽祭」という、現在の自分のライヴ活動の一つとしてライヴ参加のためにという理由もあり、広島に行ってきました。

秋田からは、日本海東北自動車道・国道7号・山形道・国道7号・日本海東北自動車道・北陸道・名神高速・中国自動車道・山陽自動車道・広島高速1号を走り続け、深夜広島につきました。
とりあえず、安全な駐車場に車を止め、助手席リヤシートを平らにした椅子で仮眠して、夜明けを待って平和公園に行きました。
僕は、今回の旅の最大の目的をこの白々と明ける空にシルエットで見える「原爆ドーム」や「平和記念塔」に祈りをささげることでした。

しかし、もうすでに地元の方が花束を抱え、カトリックのシスターや仏教僧などが、線香の煙の中で静かに祈りをささげていました。
僕は、原爆で亡くなった人々と戦禍に巻き込まれて亡くなった、世界中のすべての人々にたいし、ただ手を合わせて祈りました。



平和公園には、明日の慰霊祭の準備の人たちが出始め、ザワザワしてきたので、隣接する路上で再び仮眠して、昼前に神奈川から広島青空音楽祭を聴きに来たYさんと待ち合わせ、呉から江田島にかけての瀬戸内海の景色を見に行きました。瀬戸内海を見たかったのですが、山陽道からは海が見えなかったのです。
5日は、こうして終わり、呉のホテルでビールを飲んで、コンビニ弁当を食べ泥のように眠りました。



明けて6日は、6時に起きて風呂に入り、直ちに広島に向かいました。
比治山公園マンガ図書館は、丘になっている公園の一番奥にあり、その横の緑地で集まった人たちが唄うのです。
僕が、ギターを背負って歩いて行ったら、緑地の最も奥に一昨年、新潟の旧加治川村「ホタルの夕べ」で知り合った完全な路上(繁華街深夜)ミュージシャンのTさんがギターを弾いていました。昨日のYさんとも二回目ですが、Tさんともたった一度の縁なのに抱き合ってよろこびあえるなんて幸せです。
この木の下がステージです。

8時15分、眼下の広島市内から聞こえてくる梵鐘とサイレンに合わせ、爆心地に向かい5分の黙とうをささげ、その後に順番に唄っていきました。
僕は、念願のステージで唄えることをかみしめながら、「イマジン(John Lennon)」「君がいるだけで(自作)」「10月10日映画のように(自作)」の三曲を心をこめて唄いました。

「失礼します」とあいさつをして駐車場に向かう僕を追いかけてきたTさんと見つめ合っていると、広島に来てよかったと心から感じました。

僕の夏が、こうして終わりました。

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