あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

バイクの事 4

2011-12-13 22:14:00 | ノンジャンル
そして最後の愛車が、生涯最高の相棒になったスズキ「GSX-R1100」です。
中古で買おうかどうか迷っている時、ちょうど急激な円高になり、逆輸入車のこのバイクが安くなったので、チャンスと思い買いました。
バイクの借金が20年以上続いているのに、再びローンです。でも小遣いで払っているので、2年ほどの禁酒禁煙はもう何回もやっています。
今回は、あらかじめバイク屋さんにエンジンの改造を頼んでいました。
ヨシムラ・ステージ1という最高速260㌔くらいのエンジンを300㌔にする改造です。
街中の交差点では、青信号で原チャリに置いていかれるほど走りにくいのですが、いったん高速に入って加速していくと、200㌔あたりからロケットのような加速をするエンジンになりました。
東北道上り某地点で左を並走する新幹線の鼻先を後ろに見たのが一番の最高速ですね。
さすがに怖かったですねぇ。

そして僕が主宰するツーリングクラブも活動を始め、会報なども定期発行して最終的には100号以上発行しました。
このクラブは、明確な目的のもとに作られました。
「一般道日帰り1000㌔ツーリング」が、クラブの唯一の活動です。高速や自動車専用や有料道路を使わずに、国道・県市道だけで一日1000㌔を走るツーリングを年に一回一緒に走るという頭のイかれた4人だけのクラブです。
コースは、二つだけ。「秋田~新潟~いわき~仙台~宮古~秋田」の正逆コースと「秋田~宮古~下北大間~青森~津軽竜飛~秋田」の正逆コースの二つです。おおよそ1100㌔くらいです。
結局6回出発しましたが、完走できたのは3回だけです。天候やメンバーの体調不良で途中で断念し、目的の1000㌔以上を走って秋田に帰ってきたのが3回という過酷なツーリングです。
はっきり言って修行みたいなものです。
6月6日深夜0時出発。一般道を限りなく速く走るのですから、間違いなく反社会的走行の繰り返しですね。250㌔離れた新潟に7号線ひた走りで3時間で着いていましたから。
だいたいは、夜の21時頃に秋田到着していました。

そんなことの繰り返しへの罰は、当然あるのです。持病のヘルニアが悪化してバイクに乗れない体になってしまい、結局僕のバイクとの付き合いは終わったわけです。
あのままだったら、おそらく今生きてはいなかったことは確実なほど、危険なバイク乗りでした。
僕は今、路上弾き語り音楽をやれるのですから、ヘルニアに感謝しなければならないです!





バイクの事 3

2011-12-13 21:45:00 | ノンジャンル
コーナリングマニアから「スピード絶対主義」に最終進化した僕が入手したのが、このスズキ「GSX-R750」です。
このバイクは、東北自動車で最高速を狙うためのマシンで、車の少ない郊外の農免道路などの高速ツーリングも楽しみました。
しかし、ある夏の早朝、碇ヶ関~青森間でエンジンのオーバーレムをしてしまい、バルブを変形させてしまい、手放すことになりました。わずか220㌔程度で壊れるエンジンでは絶対スピードを出せません。
次のバイクが必要になりました。
でも長い間一緒に走っている友人とのバトルを快適に楽しませてくれたいいバイクでした。




バイクの事 2

2011-12-13 20:48:00 | ノンジャンル
憧れのZⅡは、結婚と同時にほかのローン返済もあり、手放しました。
そして再び小資金でバイクを手にいれました。
ホンダ「CB750F」は、日本に衝撃を与えた大排気量時代の幕開けとなったバイクでしたが、'76頃はだいぶ中古が増えていました。
僕は、知り合いの元ナナハン乗りで現在乗っていない人に連絡をして、年式の違う不動車を3台集め(69・72・74年式)、使える部品で1台組み立て車検を取りました。微妙に部品が合わなかったりして苦労しました。おもにK4という形式がエンジン回りです。4連キャブレターの同調などはバイク屋さんから習いました。
<CB750FK4>


そして車検を取ると改造です。当時はやっていたカフェスタイルにするために出来る限り自作で部品を装着しました。FRPビッグタンクとフロントブレーキのダブルディスク改造のキャリパーだけは友人に作ってもらいましたが、何とか形になりました。
超ロングツーリング用25㍑タンクを載せた前傾ポジションの日本でただ1台のバイクです。


次の車検では、フレームを切ったりしたので元に戻せずに手放し、再びカワサキZⅡの車検なしの改造放棄車を中古で入手しました。前のCB750の経験から、さらにグレードアップした改造をするためにエンジン・ミッション以外に徹底的に凝りました。
シートカウルはFRP一体成型でレーサーのモノをコピー。ハンドル・ステップ・ブレーキ・ホイール・ショック・キャブその他かなりの改造ぶりです。この仕様で北海道一周などにも行きました。


そして僕は、のんびりツーリングから、コーナリング主義に変貌したのです。
今回は、友人に売った改造バイクの代金で買える程度の安くて、しかし性能のいい不人気車を探していて、ようやく見つかったのがスズキ「GSX750E」です。
早速、コーナリング性能を上げるため、コーナーで接地する若干のフレーム研磨切断などを行ってコーナー専用バイクにしました。
土日早朝は、仲間と山形県との県境にある有料の鳥海山ブルーラインに出かけて、タイムトライアルをしたりで遊びました。7時に料金所が開くので夜明けから7時まで五合目までの上り下り合わせて20㌔のコーナー数70以上を往復するのです。一番速い人で17分ほどで、僕は18分台でした。ギアがセカンド中心で、時々サードに入れるくらいの小さなコーナーが続きます。

何台のバイクがこけたでしょうね。僕も左コーナーで激しく倒れ、クランクケースを割ってしまいオイルが無くなり、一度自宅に帰ってから軽トラを借りて回収しに来たことがあります。
当時エンジンは次々と水冷化され、高性能化に進化する中、スズキが考えたのは「空油冷」というシステムです。ミッションオイルをピストンの裏側にジェット噴射させ、冷やすというシステムで、僕はこの荒々しいエンジンにほれ込み、このあとスズキGSXシリーズしか興味が無くなってしまったのです。


バイクのこと 1

2011-12-13 13:27:00 | ノンジャンル
僕は、周りがほぼ農家だけの大田舎で小6から中高を過ごしましたが、男子は農作業の重要な働き手のため、中学校の頃からテーラー(小型耕運機リヤカー付き)や原付バイクを運転していました。
何しろ、五月休み(田植え)があった出身中学(卒業後廃校)ですから、推して知るべしです。

そんな非合法がまかり通る環境だったので、高校卒業時には、免許は無いものの普通にバイクは運転できるようになっていました。

なので、高校を卒業してまずはバイクの免許を取りました。
そして新車で初めて買ったバイクが、ヤマハのオフロードバイクの「AT125」です。当時のヤマハのバイクは、排気量をアルファベットで分けていてわかりやすかったのです。~G(50cc)H(90cc)A(125cc)D(250cc)R(350cc)
写真が無かったのでネットで見つけた同型機です。

<ヤマハAT125>


アパートの前に雪を固めてジャンプ台を作ったりして遊んだものの、一冬過ぎて春が来ると長距離をツーリングするバイクを探し始めました。若者はナナハンにあこがれていましたが、僕の技量不足を考え、また長距離を走り続けるためのバイクとしてホンダの「CB500FOUR」を新車で購入しました。

このバイクはよく走ってくれました。「静かなる男のマシン」というキャッチコピーの通り、ゆったりとした低いポジションで一日10時間以上走り続けられる、未舗装国道もまだまだ残っている当時としては最も優れたツアラーだと思います。
東北は、あらゆる国道を走りました。長野岐阜名古屋京都滋賀北陸などを走破し、そしてついに憧れの北海道に行きました。

<ホンダCB500FOUR>



その北海道は、まさにバイク乗りの聖地でした。
そこで僕の心を奪ったのが、北の大地を走るカワサキ「750RSZⅡ」の美しい姿でした。ファイアボール塗装の初期型です。


早速僕は、ありったけの倹約をしてこの美しいバイクを買いました。酒もたばこも断たないとローンを返済できなかったのです。
この通称ZⅡ(ゼッツウ)は、後に結婚する彼女とのデートやツーリングで乗りました。