アメリカのアイデンテティとしては、「銃崇拝~もはや宗教的信念」と「無古歴史」と「正義」があらゆる局面で顕著に表れる。
時には、SF映画で悪者やエイリアンとレーザーガンで撃ちあっているのに、唐突に銃を捨てて殴り合いシーンを山場に持ってきたりと、「銃崇拝」だからこその逆説的な「格闘崇拝」として映画などで表現される。
●南部連合(アメリカ連合)旗(このほか南部連合の各州旗のデザインもバリエーションがある)
https://www.google.co.jp/search?q=don+troiani's+civil+war&hl=ja&rlz=1T4SNJA_jaJP415JP416&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=HqVTUsDhPKqDjALu6YGICg&ved=0CC4QsAQ&biw=1274&bih=880&dpr=1
1861年開戦時~1863年(星の数は最終的に13州に増えていく)
1863年~1865年
南軍リー将軍旗
僕は、超田舎の高校の同級生に「高校ベ平連!」の友人がいて、当時から「反戦原理主義者」でありながら、高校の頃から自然科学、歴史、生物や特に古今の世界中の戦争の歴史に惹かれてきた。
数学は二次方程式も解けないし、物理や化学の公式は全く知らない。英語は中学初期程度で、ただ国語や古文や歴史、社会、生物が大好きだった。ノンフィクションの読書も好きで、寝るまでの時間の読書は現在までもう50年も続いている。
もちろん、大学にもいっていないから、働きながらの広く浅く(笑)映画をみたり読書をしてきた。
今は南北戦争に興味がある。
●アメリカのホラー系映画は、なぜ古い屋敷と怪物や悪魔や黒魔術が中心になるのか?
●SF映画でさえレーザーガンを捨てて、殴り合いを始める、必然性のないストーリーをアメリカ人が好むのか?
●「世界の警察」(オバマは否定したが)としてのアメリカの政策が長い間国民の支持を得ているのか?
●なぜに、「62万~64万人」というアメリカ人どおしの戦争が行われたのか。南北戦争以降の全戦争のアメリカ人戦死者よりも多い戦死者を数年で出すほどの南北の対立・憎しみはなぜなのか?
●ナチスのユダヤ人虐殺は映画で取り上げても、自国における100万人以上いたはずのネイティブ・アメリカンが、わずか2~30年で数万人まで(絶滅寸前まで)減ったことを検証する映画が少ない etc
など、住んだこともない、英語もわからない僕が映画やニュースを見ていてずっと疑問に感じていた事がある。
僕の全くの直観なのだ。
*イギリスのようなローマ帝国までさかのぼるような古い伝統が無い
*王族・貴族がいない
*独立戦争以降、建国と発展の歴史は「銃」によってのみ正当化される歴史だった
*ヨーロッパ・アジア各国からの移民と、アフリカからの奴隷が国家建設の中に組み込まれている*ネイティブ・アメリカンをそもそも人間として認識していなかったのではないか?
これらの新しい国家としての貴重な経験が、優越感、劣等感、正義感となり、その現代アメリカに引き継がれるアイデンティティの表裏が、僕が疑問に思った事柄のある程度の答えになっているのではないだろうか。
つまり、「南北戦争 American Civil War」がアメリカという国の原型を作ったのではないか、と考えていたので、元々好きだった西部劇の一環としての南北戦争がらみの映画を何本か見てきた。
「奴隷解放」をめぐっての戦争ではなく、南部農園経営者がイギリスなどのヨーロッパとの貿易で富を独占していくのと対立する東部・北部の各州との純粋な「経済摩擦」を原因とする戦争だったことを明らかにすべきだと思う。
イギリスによる南部連合への全面支援を防ぐための北部(リンカーン)によるイギリス議会向けの人道政策が「奴隷解放」であり、これがイギリスの南部支援をとん挫させて、最終的に北軍が勝利することになる。
南軍の正規兵はまだしも、ゲリラ活動したり、南部農園富裕層に資金援助をもらいながら義勇軍として南軍に加わった兵は、戦後には仕事にもつけない状況に陥り、南部住民の同情を受けながら犯罪者・ギャングになっていくのだが、この無法者たちを当時「アウトロー」と呼んだのである。
西部劇(マカロニウェスタン除く~イタリア語はダメでしょ!)は、映画館やレンタルで多くの作品を見たつもりだが、未公開の作品や見逃しもあるので見た範囲で、西部劇の中の南北戦争の実態にある程度ふれていて、「なるほど!」と感じた映画を挙げてみる。
「赤い河」(1948年)
「無法の王者 ジェシィ・ジェイムス」(1957年)
「西武開拓史」(1962年)
「ダンディー少佐」(1965年)
「風と共に去りぬ」(1939年~公開1952年)
「続・夕陽のガンマン」(1966年)
「アウトロー」(1976年)
「ロングライダース」(1980年)
「グローリー」(1989年)
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)
「楽園をください シビル・ガン」(1999年)
「アメリカン アウトロー」(2001年)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)
「コールド マウンテン」(2003年)
「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)
「リンカーン 秘密の書」(2012年)
「リンカーン」(2013年)
さらに、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を描いた映画を二つ。
「頭の皮を剥ぐ」のは、ネイティブ・アメリカンの残虐性として過去強調されてきたが、実際は初期の虐殺をおこなった白人たちが、その証拠として殺したネイティブ・アメリカンの頭の皮を剥いだ復讐として行った行為だ。
「小さな巨人」と「ソルジャー・ブルー」は是非見て欲しいと思う。
まっとうな歴史修正主義、新しい史料を掘り出したり、今まで注目されてこなかった人々の事績を掘り出そうとするという意味でのリヴィジョニズムの成果だ。
しかし、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)への虐殺を真正面からとりあげた映画はあまり見ていない。
ジョン・フォードの西部劇での「インディアン悪い人」というステレオタイプな白人主義的正義を振りかざした歴史観による映画から真に脱却し、リヴィジョニズムによる新たな虐殺の真実を取り上げた映画が、今後ハリウッドから発信されるかどうかに興味をもっている。
※ 映画における奴隷など記録を残せなかった人々を扱った作品の歴史的解説本。
時には、SF映画で悪者やエイリアンとレーザーガンで撃ちあっているのに、唐突に銃を捨てて殴り合いシーンを山場に持ってきたりと、「銃崇拝」だからこその逆説的な「格闘崇拝」として映画などで表現される。
●南部連合(アメリカ連合)旗(このほか南部連合の各州旗のデザインもバリエーションがある)
https://www.google.co.jp/search?q=don+troiani's+civil+war&hl=ja&rlz=1T4SNJA_jaJP415JP416&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=HqVTUsDhPKqDjALu6YGICg&ved=0CC4QsAQ&biw=1274&bih=880&dpr=1
1861年開戦時~1863年(星の数は最終的に13州に増えていく)
1863年~1865年
南軍リー将軍旗
僕は、超田舎の高校の同級生に「高校ベ平連!」の友人がいて、当時から「反戦原理主義者」でありながら、高校の頃から自然科学、歴史、生物や特に古今の世界中の戦争の歴史に惹かれてきた。
数学は二次方程式も解けないし、物理や化学の公式は全く知らない。英語は中学初期程度で、ただ国語や古文や歴史、社会、生物が大好きだった。ノンフィクションの読書も好きで、寝るまでの時間の読書は現在までもう50年も続いている。
もちろん、大学にもいっていないから、働きながらの広く浅く(笑)映画をみたり読書をしてきた。
今は南北戦争に興味がある。
●アメリカのホラー系映画は、なぜ古い屋敷と怪物や悪魔や黒魔術が中心になるのか?
●SF映画でさえレーザーガンを捨てて、殴り合いを始める、必然性のないストーリーをアメリカ人が好むのか?
●「世界の警察」(オバマは否定したが)としてのアメリカの政策が長い間国民の支持を得ているのか?
●なぜに、「62万~64万人」というアメリカ人どおしの戦争が行われたのか。南北戦争以降の全戦争のアメリカ人戦死者よりも多い戦死者を数年で出すほどの南北の対立・憎しみはなぜなのか?
●ナチスのユダヤ人虐殺は映画で取り上げても、自国における100万人以上いたはずのネイティブ・アメリカンが、わずか2~30年で数万人まで(絶滅寸前まで)減ったことを検証する映画が少ない etc
など、住んだこともない、英語もわからない僕が映画やニュースを見ていてずっと疑問に感じていた事がある。
僕の全くの直観なのだ。
*イギリスのようなローマ帝国までさかのぼるような古い伝統が無い
*王族・貴族がいない
*独立戦争以降、建国と発展の歴史は「銃」によってのみ正当化される歴史だった
*ヨーロッパ・アジア各国からの移民と、アフリカからの奴隷が国家建設の中に組み込まれている*ネイティブ・アメリカンをそもそも人間として認識していなかったのではないか?
これらの新しい国家としての貴重な経験が、優越感、劣等感、正義感となり、その現代アメリカに引き継がれるアイデンティティの表裏が、僕が疑問に思った事柄のある程度の答えになっているのではないだろうか。
つまり、「南北戦争 American Civil War」がアメリカという国の原型を作ったのではないか、と考えていたので、元々好きだった西部劇の一環としての南北戦争がらみの映画を何本か見てきた。
「奴隷解放」をめぐっての戦争ではなく、南部農園経営者がイギリスなどのヨーロッパとの貿易で富を独占していくのと対立する東部・北部の各州との純粋な「経済摩擦」を原因とする戦争だったことを明らかにすべきだと思う。
イギリスによる南部連合への全面支援を防ぐための北部(リンカーン)によるイギリス議会向けの人道政策が「奴隷解放」であり、これがイギリスの南部支援をとん挫させて、最終的に北軍が勝利することになる。
南軍の正規兵はまだしも、ゲリラ活動したり、南部農園富裕層に資金援助をもらいながら義勇軍として南軍に加わった兵は、戦後には仕事にもつけない状況に陥り、南部住民の同情を受けながら犯罪者・ギャングになっていくのだが、この無法者たちを当時「アウトロー」と呼んだのである。
西部劇(マカロニウェスタン除く~イタリア語はダメでしょ!)は、映画館やレンタルで多くの作品を見たつもりだが、未公開の作品や見逃しもあるので見た範囲で、西部劇の中の南北戦争の実態にある程度ふれていて、「なるほど!」と感じた映画を挙げてみる。
「赤い河」(1948年)
「無法の王者 ジェシィ・ジェイムス」(1957年)
「西武開拓史」(1962年)
「ダンディー少佐」(1965年)
「風と共に去りぬ」(1939年~公開1952年)
「続・夕陽のガンマン」(1966年)
「アウトロー」(1976年)
「ロングライダース」(1980年)
「グローリー」(1989年)
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)
「楽園をください シビル・ガン」(1999年)
「アメリカン アウトロー」(2001年)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)
「コールド マウンテン」(2003年)
「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)
「リンカーン 秘密の書」(2012年)
「リンカーン」(2013年)
さらに、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を描いた映画を二つ。
「頭の皮を剥ぐ」のは、ネイティブ・アメリカンの残虐性として過去強調されてきたが、実際は初期の虐殺をおこなった白人たちが、その証拠として殺したネイティブ・アメリカンの頭の皮を剥いだ復讐として行った行為だ。
「小さな巨人」と「ソルジャー・ブルー」は是非見て欲しいと思う。
まっとうな歴史修正主義、新しい史料を掘り出したり、今まで注目されてこなかった人々の事績を掘り出そうとするという意味でのリヴィジョニズムの成果だ。
しかし、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)への虐殺を真正面からとりあげた映画はあまり見ていない。
ジョン・フォードの西部劇での「インディアン悪い人」というステレオタイプな白人主義的正義を振りかざした歴史観による映画から真に脱却し、リヴィジョニズムによる新たな虐殺の真実を取り上げた映画が、今後ハリウッドから発信されるかどうかに興味をもっている。
※ 映画における奴隷など記録を残せなかった人々を扱った作品の歴史的解説本。