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2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。

在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。



震災から半年

2011-09-11 10:11:08 | 伝えたいこと


『東京に原発を』  25年前に広瀬隆さんが書いたこの本、見覚えある方もいらっしゃると思います。
当時も世界じゅうの人が身を震わせる事故が起き、日本でも原発への関心が高まりました。
ある都立高校ではこの本が副教材になりました。 当時高校生だった人達は覚えているでしょうか。

本の内容は、今は誰もが知ることになった原子力発電の危険性、発電すると(していなくても)“死の灰”が大量に溜まっていき、それを処理する能力を人類は持ち合わせていない。

経済活動を維持するために必要なら、原発を東京に造ればよい。 広瀬さんの理屈によれば “都市型原発”というのはじゅうぶん可能だそうです。

人口が集中しているから危険?   じゃあ人口が少ない所ならいいのか?

ホントにそうですよね。
他にもいろいろ興味深い内容があります。

広瀬さんが今年3月の震災後に書いた本も読んでみましたが、ほとんど同じことが書いてあるのです。
25年前の本のほうが、(語弊はありますが) 面白いです。 当時だから書けた、ということも多々あるんじゃないかと思います。

今となっては原発を造る問題は過去のことになるのでしょうが、
放射能との戦いは、事故が起こる前から始まっていて終わることはないのです。
体の中へ取り込まれた放射性物質は、甲状腺に、あるいは骨に、蓄積されて何十年ものあいだ体の中で放射能を放ち続けるものもあるそうです。

もしも数年後に放射能の影響独特の病気になる子供が増えたとしても、私たちはそれを放射能のせいだと立証する術がないのです。
特に低線量被爆には、過去の調査もないし根拠になる数値がないのです。
まさに日本人はパンドラの箱を開けてしまった ということになるのでしょう。

福島の事故がレベル7だというのは、チェルノブイリと同レベルの量の放射性物質を撒き散らした ということなのです。 しかし事故の性質が違うから影響の出方が違うのでしょう。
それほどの事故を、私たちは起こしてしまったのです。

除染しても、安心して住むことはできない、 若い世代の人、子供たちを思うと本当に胸が痛みます。
影響の少ない地域へ避難したくても、いろんな事情で避難できない人が沢山いることを思うと、どうしたらいいのか、 私などが何を言えるでしょう。
せめて、日本じゅうの人がいつも支援していることを忘れないでいてほしい・・ そして、政府の発表やマスコミに出る報道がすべてだと思わないで。



あれから半年、これからも記憶が褪せることはないでしょう。
私自身も東京であの日以降経験したこと、恐ろしい揺れ、停電のパニックと暗い町、価値観さえ覆され、・・ きっと皆さんそうですよね。

そのうえで、原発に NO! とはっきり言えないでいました。
なぜなら、私達が使う電気のために造られた発電所のおかげで振り回され、人生台なしにされながらも今なお事故収束のために身を削って取り組んでいる人にとってみれば、『何をいまさら』 ということになる と聞いたからです。

しかしそれでも、茨城県東海村の村長さんは脱原発を宣言したそうです。
東海村と言えば、日本の原子力発祥の地、発電所だけでなくあらゆる原子力施設が集まる場所、原子力によって生活を支えられている住民が沢山いるのです。

村長さんの話を聞いて (ユーチューブは削除されていたので貼りませんでした。もし興味ある方は検索してみてください)、 私も NOと言っていいのかな という気がしました。

節電しない奴が何言ってるんだ って言われそうですね

でもコマメに電気消したり節電してますよ。  未来を生きる人たちのために残す世界を考えなければね。。