雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

見放したのではなく、見放されているらしい

2008年01月20日 | 卓球
 ちょっと見方を変えればこういうふうに見えるのだな、と思い知らされた電話があった。

 マジなブログに、「もどき」というタイトルで思うところを書いてみたら、早速こっちの卓球の追及を止めた方がいるらしい。

 何故あんな文章を書いたのか、その真意は何なのか、、、

 関が原の決戦での勝敗を決めたポイントは何だったのか知っているだろうか?
 東(徳川方)につくという密約を交わしながら、合戦が始まっても一向に動こうとしなかった「小早川軍」に対して、家康が小早川軍の陣に向って大筒(大砲)を打ったことで、小早川軍が動いたことによるものなのである。

 見方につくと言いながら、意を決せ無い小早川軍に大砲を撃つことによって、「はっきりしろ」と喉元に匕首を突きつけたということだろう。
 もし、小早川軍に寝返られたなら、日本の歴史は変わっていたことだろう。
 そんな、ギリギリの思いで、家康は「撃て」と命じたのだ。

 決して、私が家康だと言っているわけじゃない、「お前ら、もっとしっかりせい」という叱咤激励の意味で書いたのだけれど、あっさりと「追求を辞めます」といってきた方がいたそうだ。

 ある有力者の言葉を借りれば、「見放したのではなく、あんたが見放されたのだよ」ということらしい。

 ああ、どんどんネットワークが少なくなってスリムになっていく、成人病の予防には「痩せる」ことが大切だから、喜んでいいことなのかもしれないな。
コメント (2)
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